第20話 黄金竜の覚醒
あまりに洗練された、どこか見覚えのある剣の動き。
脳裏に、ギルド支部長室で俺を睨みつけていた、あの怜悧な横顔が浮かぶ。
……嘘だろ。
俺は痺れる腕に無理やり力を込め、剣を握り直し、よろめきながらも立ち上がった。
「ちっ、こいつ、手強いぞ! 挟み撃ちにしろ!」
リーダー格の大男が叫ぶ。
残った数人が、俺と仮面の剣士、それぞれに狙いを定めた。
その時だった。
仮面の剣士の視線が、一瞬だけ、俺に向けられた。
言葉はない。
だが、その銀の仮面の奥の瞳が、はっきりと俺に語りかけてきた。
――行けるか?
俺は、ニヤリと口の端を吊り上げて、応える。
――おうよ。
まるで、長年連れ添った相棒のように。
呼吸が、ぴたりと合った。
俺は雄叫びを上げて、正面の二人に突っ込む。
狙いは、奴らを斬ることじゃねえ。
ただ、引きつける。
体勢を崩す。
隙を作る。
俺が盾となり、荒々しく敵の攻撃を受け流す。
ガキンッ! と甲高い金属音。
腕に衝撃が走るが、構うもんか。
その、俺が作ったほんの一瞬の隙。
それを、背後の彼女が見逃すはずがなかった。
風を切る音。
俺の肩越しに、銀色の閃光が二筋、闇を切り裂く。
呻き声と共に、俺の前にいた二人の傭兵が崩れ落ちた。
すげえ。
本当に、すげえ連携だ。
過去、Aランクパーティで死線を潜り抜けてきたときと同程度の共闘。
間違いない。
こいつは、シグルーンだ。
なぜ、ギルド支部長のお前が、こんな真似を……。
様々な疑問が頭をよぎるが、今はどうでもいい。
俺たちは背中合わせになり、残った最後の一人、リーダー格の大男と対峙した。
◇◇◇
大男は恐怖に顔を引きつらせながらも、最後の抵抗とばかりに戦斧を構え直す。
だが、勝負はもう、決していただろう。
俺とシグルーンが、同時に踏み込もうとした、まさにその瞬間だった。
「――そこまでだ」
物陰から姿を現す影。
絹の上等な服に身を包んだ、醜く歪んだ顔。
ブルーム男爵だった。
その腕には、禍々しい輝きを放つ、黒曜石の腕輪が嵌められている。
詠唱不要の、魔道具か!
男爵が狙いを定める。
その狙いは、俺じゃない。
より脅威度の高い、仮面の剣士――シグルーンに向けられていた。
まずい!
「死ねェッ!」
腕輪から、凝縮された闇が、槍となって放たれる。
シグルーンが反応するより、ほんの僅かに、闇の槍が速い。
避けられねえ!
「危ないッ!」
考えるより先に、俺の体は動いていた。
トラウマが、脳裏をよぎる。
仲間を、守れなかった、あの日の光景。
リーダーの、最期の顔。
――もう、二度と。
――目の前で、仲間を失ってたまるかよ!
俺はシグルーンの体を突き飛ばし、彼女の前に、自らの体を晒した。
ブスリ、と。
肉が焼ける、嫌な音と感触。
闇の槍が、俺の右肩を容赦なく貫いていた。
「ぐっ……あ……ぁ……ッ!」
激痛。
視界が、赤と黒に点滅する。
膝から力が抜け、俺はみっともなくも、その場に崩れ落ちた。
遠のく意識の中、俺に突き飛ばされたシグルーンが「なっ……!?」と息を呑むのが見えた。
次の瞬間、彼女は邪魔な仮面を投げ捨て、血相を変えて俺に駆け寄ってくる。
「馬鹿者ッ!」
怒声が鼓膜を打つ。
「なぜ庇ったりした! 貴様には、生きて守らねばならぬ娘たちがいるだろう! 私のことなど捨て置け!」
その声は怒りに震えている。
だが、それ以上に、悲痛な響きを帯びていた。彼女の瞳が、見たこともないほどに揺れている。
「……仲間を守れて、良かった」
◇◇◇
「ぱぱ……?」
物置の扉の隙間から、か細い声が漏れた。
クータルだ。
「いや……」
次の瞬間。
空気が、震えた。
「ぱぱを、いじめないでえええええ!!」
それは、この世のものとは思えない絶叫だった。
悲しみと、怒りと、そして、計り知れないほどの力がごちゃ混ぜになった、魂の叫び。
ゴオオオオオオッ!
俺たちのボロ家を中心に、凄まじい黄金の光と風が、嵐のように吹き荒れる。
クータルの小さな体から放たれた光が、天を衝く柱となった。
「な、なんだこれはぁっ!?」
男爵が、恐怖に引きつった悲鳴を上げる。
光の中心で、クータルの姿が、ありえない変貌を遂げていく。
人の形が溶け、再構築されていく。
やがて、光が収まった時。
そこに立っていたのは。
黄金の鱗に全身を覆われた、一頭の、小さな竜だった。
大きさは、俺の背丈ほど。
だが、その存在が放つプレッシャーは、絶対的だった。
ルビーのように輝く瞳は、神々しく、そして、冷たい怒りに燃えている。
「ひっ……!」
ブルーム男爵が、恐怖に慄きながらも、最後の悪あがきとばかりに腕輪を竜へと向ける。
だが、それよりも早く。
黄金の竜――クータルが、天に咆哮した。
「グルルルルルアアアアアァァァッ!」
その小さな顎が開き、放たれたのは炎ではない。
破壊の意思そのものが形になったかのような、眩いばかりの黄金の光の奔流。
聖なる裁きのブレスが、ブルーム男爵へと直撃した。
「ぎゃあああああああ!?」
悲鳴と共に、男爵の体は凄まじい衝撃でくの字に折れ曲がり、吹き飛ばされる。
小さな黄金の竜は、戦闘不能になった男爵には目もくれなかった。
そのルビーの瞳が捉えているのは、ただ一人。
血を流して倒れる、俺の姿だけだ。
小さな竜は俺に駆け寄ってくる。
そして、俺の顔を、ぺろり、とざらついた舌で舐めた。
「ぐるるるる……」
人語ではない、竜の鳴き声のような、悲しげな響き。
自分の姿に戸惑い、元に戻れないでいるようだった。
その美しいルビーの瞳から、ぽろり、ぽろり、と大粒の涙がこぼれ落ちる。
ああ、くそ。
こんな顔、させちまって。
俺は、なんてダメな父親なんだ。
俺は、残った左腕に全ての力を込めて、痛む体を無理やり起こした。
そして、目の前で悲しげに鳴く、震える小さな竜を。
力いっぱい、抱きしめた。
「……大丈夫だ、クータル。どこにも行かない。俺は、ここにいる」
温かい。
ごつごつした鱗の感触の下に、確かに、娘の体温を感じる。
「ありがとうな。お前が、守ってくれたんだ」
俺の腕の中で、クータルの体が、びくりと震えた。
次の瞬間、抱きしめていた竜の体は、眩い光の粒子となって、ふわりと解けていく。
そして、光が収まった時。
俺の腕の中には、いつもの、小さな娘の姿があった。
「ぱぱああああっ!」
泣きじゃくりながら、クータルは俺の胸に強く、強くしがみついてきた。
俺は、その小さな背中を、何度も、何度も優しく撫でてやった。
俺たちの横で、シグルーンが静かに膝をついた。
彼女は俺の肩に手を置くと、治癒魔法の詠唱を始める。
温かい光が、俺の傷をゆっくりと癒していく。
「……助かった。ありがとうな」
俺は、泣きじゃくる娘を抱きしめたまま、ただ、それだけを呟いた。
◇◇◇
後日。
ブルーム男爵は、傭兵の不正雇用、周辺地域への不当な圧力など、数々の悪事が明るみに出て、あっけなく失脚した。
俺たちの家に、ようやく本当の平穏が訪れた。
それからというもの、シグルーンは、なにかと理由をつけては、頻繁に俺たちの家に顔を出すようになった。
「周辺のパトロールだ。異常はないか?」
そう言って、手にはいつも、街で評判の菓子店のケーキやらパイやらをぶら下げている。
誰がどう見たって、ただの口実だ。
「わーい! きれいなおねーちゃん、またきたー!」
「シグルーンさん、こんにちは!」
「いらっしゃい、にゃ!」
娘たちは、すっかり彼女に懐いていた。
ピヒラやミーシャに囲まれ、クータルに服の裾を引っ張られながら、困ったように、でも、どこか本当に嬉しそうに微笑むシグルーン。
その姿は、まるで――。
俺は、そんな光景を静かに眺めている。
肩の傷はまだ少し痛むが、それすらも、誇らしい勲章のように思えた。
守り抜いた、俺の日常。
守りたかった、俺の宝物。
がらんどうだったこの家に、今は温かい笑い声が満ちている。
俺の、止まっていた時間は、再び動き出した。




