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第17話 形見

 家の裏手にある荒れ地……だった場所には、信じられない光景が広がっていた。

 生命力に満ち溢れた黒土の畑へと生まれ変わっている。

 クータルのおかげだ。


「すげえ……」


 さて、問題はここからだ。

 この奇跡の大地に、何を植えるか。


「よし、緊急家族会議だ! この畑に何を植えるか、みんなで決めるぞ!」


 俺がそう宣言すると、三人の娘たちは「おー!」と元気いっぱいに声を上げた。


 真っ先に手を挙げたのは、もちろんクータルだ。


「はいはーい! くーはねー、あまーいのがいい! おっきくて、あまーいのがたべたい!」


 うん、お前は分かりやすくて助かるよ。

 甘いもの、だな。

 よし、覚えとこう。

 果実がいいか?


「にゃ! あたしは、お魚さんがなる木がいいにゃ!」


 ミーシャが、ぴんと尻尾を立てながら、とんでもないことを言い出した。


「ミーシャ、木に魚はならねえぞ……」


「えー、なんでにゃ? お日様の匂いがする、あったかいお魚、おいしいと思うのににゃ……」


 しょんぼりするミーシャの頭を、俺は「今度、とびきり美味い焼き魚を作ってやるから」と撫でてやった。

 こいつの発想は時々、斜め上にぶっ飛んでて面白い。

 うーん、ミーシャのためには……芋でも植えてやるか。


 そんなやり取りを見て、くすくすと笑っていたピヒラが、おずおずと手を挙げた。


「あの……パパ」


「どうした?」


「この土の生命力……本当に、すごい。これだけの力があるなら、普通の野菜だけじゃなくて……私の故郷の森にしか生えないような、特別な植物も育てられるかも」


 ほう、と俺は感心する。


「例えば、どんなのだ?」


 ピヒラは、いつも腰に下げている、古びて使い込まれた小さな革袋を、そっと胸の前に抱きしめる。


「……私たちの森で《癒やし手》と呼ばれた大賢者、レクナール様の名を冠した薬草がありの。その葉は、どんな深い傷も癒やすと……おばあ様から、そう教わりました」


 彼女は次に、もう一つの種を指し示す。


「それと……太陽の光と、大地の恵みをその一粒にぎゅっと閉じ込めた、フュリング・ベリー。口にすれば、心が満たされて、どんな疲れも忘れてしまう果実」


 彼女は革袋の口を慎重に開き、その中から、光沢のある黒い種と、瑠璃色に輝く小さな種を、数粒だけ手のひらに取り出して見せてくれる。


「その種……もしかして」


「うん。故郷の森から、これだけを持ち出すことができたの」


 形見、か……。


 俺は息を呑んだ。

 こいつにとって、それはただの種じゃない。


 失われた故郷そのものであり、二度と戻れない過去との、たった一本の繋がり。


「……ピヒラ。そんな大事なもの、いいのか? 俺たちのこの畑なんかに、使っちまって」


 俺が思わずそう言うと、ピヒラはふるふると首を横に振った。


 そして、俺の目を、まっすぐに見つめ返す。

 もう、その翡翠色の瞳に、怯えや迷いの色はない。


「だから、いいの。……ううん、ここがいいの」


 彼女は、俺と、俺の隣で不思議そうにしているクータルとミーシャの顔を順番に見渡すと、これまでで一番優しい、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「私の、一番大事な宝物だから。今の私にとって……一番大事な家族のために使いたいの。レクナール草があれば、みんなが怪我をしても、病気になっても、きっと助けになる。フュリング・ベリーが実れば、みんながもっと笑顔になる。……私、ここで、みんなと一緒に生きていきたいから」


 目の奥が、ツンと熱くなった。

 帰る場所をなくしたこの小さなエルフは、過去に生きるんじゃなく、俺たちとの未来のために、その最後の宝物を使おうとしてるんだ。


「分かった」


 俺はそれだけ言うと、彼女の小さな頭に、ごつごつした手を置いた。


「お前の覚悟、確かに受け取った。最高の畑にしようぜ」


「うん……!」


 ピヒラは力強く頷いた。


「よし、決まりだ!」


 俺は改めて娘たちに向き直り、高らかに宣言する。


「ギュンターの店に卸すためのトマトとトウモロコシ! クータルのための甘い果物! ミーシャが腹いっぱい食える芋! そして――俺たちの家族を守り、笑顔にするための、レクナール草とフュリング・ベリー! 全部まとめて、この楽園に植えるぞ!」


 俺の言葉に、娘たちは最高の笑顔で頷き返してくれた。


◇◇◇


 植え付け作業はお祭り騒ぎだった。


 俺とミーシャが、等間隔に種を植えていく穴を掘る。


「パパ、そこはもう少し深く掘るニャ!」


「おう、任せとけ!」


 ミーシャの鋭い嗅覚が、土の中の石ころの位置まで正確に嗅ぎ分けるもんだから、作業効率が半端じゃねえ。


 俺たちが作った穴に、今度はピヒラが、まるで宝物を置くように、一粒一粒、丁寧に種を蒔いていく。


 そして、仕上げはクータルの出番だった。


「みんなー、おおきくなーれ!」


 クータルが両手を広げて、いつものように『祝福』の力を畑に注ぎ込む。


 ふわり、と黒土が命を宿し、柔らかな光を帯び始めた。


 俺たちの畑は、信じられない速度で緑に覆われていった。


 そして、数日後。


「……ぱ、パパ……これ……」とピヒラ。

「……夢、見てるのかにゃ……?」とミーシャ。


 ピヒラとミーシャが、言葉を失って立ち尽くしていた。


 無理もねえ。

 俺だって、目の前の光景が信じられねえんだから。


 畑には、真っ赤に熟したトマトがゴロゴロと実っている。

 トウモロコシは一粒一粒が黄金の宝石みたいに輝いていた。

 ピヒラが植えたレクナール草は、淡い光を放ち、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 そして、一番奥に植えたフュリング・ベリーの木には、今にも甘い蜜が滴り落ちそうなほど、完熟した瑠璃色の果実がたわわに実っていた。


「クー、すごいでしょ?」とクータルが胸を張る。


「……すごいというか、すごすぎる」


 クータルは嬉しそうに頭をこすりつけてきた。


◇◇◇


「よーし、獲るぞー!」


「にゃっほーい! 収穫祭だにゃー!」


 収穫作業は、これまたお祭り騒ぎだった。

 俺が歌うデタラメな鼻歌に合わせて、娘たちが笑い声を上げる。

 規格外の作物で、荷車はあっという間に山盛りになっていった。


 俺たちは収穫したばかりの作物を満載にした荷車を引いて、意気揚々と『獅子のグリル亭』へと向かった。


「……だ、ダンスタン殿……これは一体……」


 店の前に着くなり、出迎えてくれたシェフのギュンターは、荷車の山を見て腰を抜かした。

 一流の料理人である彼の目が、カッと見開かれる。


「このトマトの張り、このベリーの芳香……信じられん……! これだけの食材があれば……王都のどんな高級店にも、俺は負けんぞッ!」


 料理人としての魂が、メラメラと燃え上がっているのが見えた。


 その夜。

 俺たちの家の食卓は、これ以上ないほど豪華で、豊かだった。

 ギュンターが「当然金は渡すが、これは礼だ」と言って持たせてくれた、最高級の肉塊。

 それを、ピヒラが俺に教わりながら、フュリング・ベリーを使った特製のソースでソテーしたんだ。


「……おいしい。懐かしい」


 ピヒラが、自分の作った料理を一口食べて、感極まったように瞳を潤ませる。


 懐かしい。

 その言葉をきいて、俺は不覚にも泣きそうになっていた。

 なんだか、子どもを育てていると、ついつい涙もろくなってしまう。


 最高の食材、最高の料理。

 そして何より、最高の娘たちの笑顔。

 俺の人生で、今が、一番幸せかもしれねえ。


◇◇◇


 それからというもの、ギュンターの店は、以前にもまして評判が高まっていった。

 俺たちが卸した『森の恵み』を使った新メニューは、たちまち街の噂になる。

 その評判は、ウィッカーデイルを訪れた旅の商人や冒険者を通じて、日を追うごとに遠くの街へと広がっていった。


「ウィッカーデイルに、奇跡の食材を出す店があるらしい」

「なんでも、一度食べたら忘れられない味だとか」


 そんな噂が、風に乗って、届くべきではない人間の耳に届くのは、もはや時間の問題だった……。


◇◇◇


 ――薄暗い、埃っぽい屋敷の一室。

 燭台の光が、テーブルに置かれた高級そうなワイングラスを、いやらしく照らしている。


 ブルーム男爵は、部下からの報告に、不機嫌そうに眉をひそめていた。


「……なんだと? あのギュンターの店が、連日満員だと? 俺が後ろ盾になっている『金猪の酒亭』の客足が、日に日に遠のいているというのにか?」


「は、はい。その原因ですが……どうやら、ダンスタンという冴えない中年冒険者が、どこからか仕入れてくる規格外の野菜にあるようでして……」


 ダンスタン。

 その名を聞いたブルーム男爵の目に、暗く、粘つくような光が宿った。


「知らん名前だが……。ほう……。野菜、か」


 男はワイングラスをゆっくりと傾け、その赤い液体を舐める。


「……その『魔法の畑』とやら、根こそぎ奪い取ってくれるわ」


 その呟きは、誰に聞かせるでもなく、薄暗い部屋の闇に、静かに溶けていった。

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