第13話 三人娘の大活躍
「ぱぱー、みてみてー!」
ある日の朝。
家の裏手にある、申し訳程度の小さな畑からクータルの元気な声が聞こえてきた。
最近、あいつはあの畑で「おままごと」と称して、土をこねたり、石を並べたりして遊ぶのがお気に入りらしい。
まあ、好きにさせているが。
「どうした、クータル。何か面白いもんでもあったか?」
俺が畑に顔を出すと、クータルは満面の笑みで、自分が遊んでいた場所を指さした。
「じゃーん! できたのー!」
「ん? ……は?」
思わず、間抜けな声が出た。
クータルが指さす場所。そこには、数日前まで何もなかったはずの土から、見たこともねえ植物が、にょきにょきと芽を出していた。
いや、芽なんてレベルじゃねえ。
もう、ぐんぐんと、目に見えるような勢いで成長してやがる。
なんだこれ……?
俺は呆気にとられて、その場に立ち尽くした。
その異常な成長は一日や二日で終わらなかった。
数日後、その場所は、もはや家庭菜園なんて生易しいもんじゃなくなっていた。
ルビーみたいに、内側から光を放つトマト。
一粒一粒が黄金のように輝き、太陽の光を浴びてキラキラと乱反射するトウモロコシ。
どれもこれも、常識から完全に逸脱した作物だった。
「……まじかよ」
俺は、恐る恐る、ルビーみたいなトマトを一つ、もぎ取ってみる。
ずしりとした重み。
うーん、これ、食えるのかなぁ……。
意を決して一口、かぶりつく。
「―――うまっ!?」
なんだこりゃ!?
口の中に、濃厚な甘みと、爽やかな酸味の爆弾が炸裂した。
今まで食ってきたトマトが、全部水で薄めた偽物だったんじゃないかと思うほどの衝撃。
脳天をカチ割られるような美味さだ。
……これ、合法か?
続けて、黄金のトウモロコシも食ってみる。
プチッ、と弾けた瞬間、蜂蜜みたいな甘い果汁が溢れ出し、幸福感で頭が真っ白になった。
どう考えてもおかしい。
これが、ただの『おままごと』の結果だっていうのか?
……クータルって、何者なんだ?
この子の力は、攻撃や防御だけじゃなかった。
『生み出す』力。
それも、規格外のものを。
俺は、目の前に広がる畑を前にして、Cランク冒撮険者らしい、実に現実的な思考にたどり着く。
……これ、売れるんじゃねえか?
◇◇◇
目の前のテーブルには、収穫したばかりの奇跡の野菜が山積みになっている。
あまりの量に、俺たち四人じゃどう考えたって食いきれねえ。
それに、この美味さは、もっと誰かに知ってほしい。
なんて、柄にもないことを思っちまった。
「よし、ちょっと街の市場まで売りに行ってくる」
俺がそう宣言すると、真っ先に反応したのは、やっぱりクータルだった。
「おでかけ! ぱぱ、くーもいく!」
目をキラキラさせながら、俺の足にまとわりついてくる。
その純粋な言葉に、俺は一瞬、返答に詰まった。
いつも背中の籠に連れて行っていたクータルはともかく、ピヒラとミーシャは亜人だ。
特に、エルフや獣人は希少種として人攫いの対象になりやすい。
人目に晒すのは、どう考えても危険が伴う。
俺が言い淀んでいると、クータルの無邪気な声に背中を押されたように、ピヒラがおずおずと口を開いた。
「……私も、その……外の世界を、少しだけ見てみたい」
俯きながら、消え入りそうな声で、だがはっきりと。
その様子を、ミーシャは部屋の隅で、ただ黙って見ていた。
膝を抱え、顔を伏せている。
俺は、クータルとピヒラの期待に満ちた顔と、ミーシャの寂しそうな背中を、交互に見つめる。
隠して、守るだけが正解なのか?
こいつらの世界を、この小さな家の中に、俺の腕の中に、閉じ込めてしまっていいのか?
――違う。
断じて、違う。
俺は覚悟を決め、ミーシャの前にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「ミーシャ。お前は、どうしたい?」
びくり、と彼女の肩が小さく跳ねる。
顔を上げられないまま、ミーシャはか細い声で答えた。
「あ、あたしは……留守番してる、にゃ。その方が、パパの迷惑に、ならない……から」
その、健気で、あまりにも悲しい言葉。
俺は思わず、腹の底から笑いがこみ上げてくるのを、必死でこらえた。
「馬鹿野郎」
俺は立ち上がると、三人の娘たちを見渡し、力強く宣言した。
「いいか、よく聞け。俺たちは家族だ。四人で行くぞ。堂々と、胸を張ってな」
ぽかん、と口を開けるミーシャ。
俺は笑って、言葉を続ける。
「お前らを狙う奴がいるなら、返り討ちにすりゃいい。文句を言う奴がいたら、黙らせりゃいい。何かあったら、俺が全部ぶっ飛ばしてやる。だから、何も心配するな」
俺の力強い言葉に、三人の娘たちの顔が、ぱっと明るくなった。
特にミーシャの大きな瞳には、信じられないという驚きと、じわりと込み上げてくる喜びの色が浮かんでいる。
ぴん、と力強く跳ね上がった尻尾が、その気持ちを何より雄弁に物語っていた。
こうして、俺たち家族の、初めての四人揃ってのお出かけの準備が始まった。
◇◇◇
ウィッカーデイルの市場は、活気に満ち溢れていた。
肉屋の威勢のいい声、香辛料の匂い、行き交う人々の喧騒。
ピヒラは、初めて見るその光景に、目を真ん丸くしてキョロキョロしている。
その様子が、おかしくて、そしてどうしようもなく愛おしかった。
だが、やはりというべきか。
エルフと獣人の娘を両脇に連れた俺の一家は、嫌でも注目を集めた。
遠巻きにヒソヒソと交わされる会話。
あからさまな好奇と、わずかな警戒が混じった視線。
ピヒラとミーシャの肩が、びくりと小さく震えたのが分かった。
俺は二人の小さな手を、ぎゅっと強く握りしめる。
「大丈夫だ。俺を見ろ。胸を張れ」
俺が力強く言うと、二人はこくりと頷き、俺の手を握り返してきた。
そうだ。それでいい。
そんな、少しだけ張り詰めた空気の中を歩いていた、その時だった。
「うわあああ! 馬が!」
「危ない! どけぇぇぇ!」
市場の広場の方から、甲高い悲鳴と怒号が響き渡った。
見ると、野菜を山積みにした大きな荷馬車が、狂ったように広場を暴走している。
御者が荷台から振り落とされたらしい。
手綱を失った馬が、パニックを起こして人混みの中に突っ込もうとしていた。
露店が薙ぎ倒され、商品が宙を舞う。
逃げ惑う人々。
阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
まずい!
あのままだと、広場の真ん中で遊んでる子供が轢かれる!
その光景を認識した瞬間、俺の頭は、Cランク冒険者のものから、かつてのAランクパーティ『太陽の槍』で培われた、冷徹な指揮官のものへと切り替わった。
――思考を切り替えろ。
――被害を最小限に食い止める。
――やるべきことは、三つ。
俺は、一瞬の逡巡もなく、娘たちに向かって叫んだ。
「ピヒラ、蔓だ! 馬の足を狙え!」
「――っ、うん!」
「ミーシャ、広場のあの子を助けろ! 行けッ!」
「にゃっ!」
俺の、普段とは全く違う、鋭く短い命令。
二人は一瞬もためらわなかった。
ピヒラが地面に手をかざすと、石畳の隙間から、何本もの太い蔓が蛇のように伸び、暴走する馬の四肢に絡みついた!
「ヒヒィィン!」
馬が体勢を崩し、そのスピードがわずかに落ちる。
ミーシャは人混みを駆け抜け、恐怖で立ち尽くす子供の前に飛び込むと、その小さな体を抱きかかえて、間一髪で荷馬車の進路から飛びのいた。
「よし!」
俺は、二人が稼いだ時間で、馬の正面に回り込んでいた。
暴れる馬の鼻面を、全体重をかけて押さえつける。
並の男なら吹き飛ばされるだろうが、元Aランクの膂力をなめるな。
「落ち着け! もう大丈夫だ!」
俺が馬の首を優しく叩き、落ち着かせていると、クータルがとてとてと、俺のもとへ寄ってきた。
そして、馬に、にぱっと笑いかける。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
そのクータルの言葉に、馬の表情が和らいだ気がした。
徐々に落ち着いていく。
◇◇◇
後に残されたのは、めちゃくちゃになった広場と、耳が痛くなるほどの静寂。
その静寂を破ったのは、誰かの、ぽつりとした呟きだった。
「……すげえ」
それを皮切りに、ざわめきが広がっていく。
「あ、あの……ダンスタンの子が、助けてくれたのか……?」
「見たか? あのエルフの子の蔓と、猫の子の速さ!」
「あの旦那も、なんて馬力だ……」
そして。
パチパチパチ……。
誰かが始めた拍手が、一人、また一人と伝染し、やがて、市場全体を包み込む、万雷の喝采へと変わった。
「ありがとう!」
「あんたたち、英雄だ!」
「助かったよ、本当に!」
さっきまでの、好奇と警戒の視線じゃない。
そこにあるのは、純粋な感謝と、尊敬の眼差しだった。
……正直、困る。
あんまり目立ちたくはなかったんだが……。
つい、やっちまった。
だが、隣を見ると、ピヒラとミーシャが戸惑いながらも、どこか誇らしげに胸を張っている。
その顔を見たら、まあ、悪くねえか、なんて思っちまう。
「本当に、ありがとうございます……!」
ミーシャに助けられた子供の母親が、涙ながらに駆け寄ってきた。
そして、ミーシャの猫耳を怖がるでもなく、その小さな手を両手で固く握りしめる。
「この子が助かったのは、あなたのおかげです……! なんてお礼を言ったら……」
「い、いや……あたしは、パパに言われたことを……」
戸惑うミーシャの頭を、俺はわしわしと撫でてやった。
「よくやったな、ミーシャ」
露店の親父も、ピヒラに親指を立てて笑いかけてくる。
「お嬢ちゃんの蔓がなけりゃ、俺の店ごと全損だったぜ! ありがとな!」
ピヒラは、はにかみながらも、嬉しそうにこくりと頷いた。
人を助けることで、感謝される。
その当たり前の経験が、この子たちの心の氷を、じんわりと溶かしていくのが分かった。
この街に、この子たちが受け入れられるといい。
俺はただ、そう願った。