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野に咲くコスモスは色あせない~青白く燃える瞳  作者: こんぎつね
7章 野に咲くコスモスは色あせない
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安らかな夜を

【前話までのあらすじ】


 解読した暗号に示してあった延命寺から乙戸川を結ぶ道。そこには斎藤博士の手掛かりがある。そう固く信じていた月人と真心。しかし道には広がる田畑があるだけだった。無意味な暗号に踊らされただけだったのだ。悔しさに乙戸川を睨む月人の目に入ったのは川の水を啜る惨めなホームレスだった。そのとき中尾が叫んだ。「あれは斎木博士だ」

◇◇◇

 変わり果てた斎木博士の姿を見つけると、中尾さんはガードレールを飛び越え、ヨシをかき分けながら川に降りて行った。


 「は.. 博士.. なのか..」


 「あぅ.. あぁ....あ.. あぅ..」


 斎木博士は生気のない半開きの目でゆっくり中尾さんを見上げる。何かを話そうと口を開けたかと思うと、ただ虚しい唸り声を上げるだけだった。


 中尾さんはポケットから取り出したハンカチを水で濡らすとそのホームレスの顔の汚れをふき取った。


 ―こ、この人が.. この人が俺たちが探し求めていた斎木博士.. 本当に真心の父親..なのか?


 「お父さん? お父さんなの?」


 ガードレールを無造作に跨ごうとする真心の手を引き留めた。


 今、俺に出来ることは、彼女を安全に父親の元に連れて行くこと。


 ―そんな事しかできやしない。


 だが、なんて残酷な現実なんだ。幼き頃に別れた父親との再会がこんなだなんて.. まったくくそったれが!


 「お父さん!! お父さん!!」


 「..あば.. ぁ.. ぁばばば..うぅ」


 娘の真心が呼びかけても、斎木博士は何にも理解できずに、また川の水を啜り始めるだけだった。


 ―廃人だ..


 認めたくない事実を突きつけられた。


 誰もが眉を顰める鼻をつく匂いと汚れ。


 しかし、真心はそんな父親を手で探りあて、強く抱きしめた。



 「会いたかった。会いたかったよ.. お父さん」



 抱きしめられる斎木博士は、何もない空をただ見上げているだけだった。


 「おいっ! 月人、あれを見てみろ」


 中尾さんが指さす橋の下に行くと、そこには毛布と食器が置いてあった。


 匂いが沁みつき汚れてはいたが、その毛布は比較的新しかった。


 「ボランティアが置いていったのかな?」


 「いや、違うな。今の人道支援を呼びかけるボランティアがこんな劣悪な環境に放置したりしない。ましてや衣服だってもっと細目に支給するはずだ」


 「なんだこれは! ..ひでえ」


 「どうした、月人」


 「これ、見てよ。この皿、犬用の食器だ。そしてここに散乱しているもの。これはドッグフード。誰かがここでドッグフードを与えているんだ。斎木博士の食事として」


 人の尊厳を無視したこの行為に悔し涙が出た。


 「とにかく彼をここから連れ出そう」


 俺は、五曉寺ごぎょうでら澄徳ちょうとくさんに連絡をした。


 もともと寺の多いこの地区。どこかに受け入れてくれる知り合いの寺がないかを尋ねた。


 「それなら、その近くに連照寺れんしょうじという寺がございます。そこの照安さんなら力になってくれるでしょう。私から連絡しておきますので、そこを訪ねてください」


 乙戸川のその場所からほんの1km弱の『蓮照寺』


 牛久大仏から目と鼻の先にある場所にある寺だ。


 斎木博士に肩を貸し山門を跨ぐ時、ふと俺は大仏様の顔を見上げた。その顔は愚かしい人間を憂えているようだった。


 迎え出た住職の照安さんは、不衛生な斎木博士を嫌な顔ひとつせずに招き入れてくれた。


 「何て事でしょう。私も永承会には一度参加したことがありました。その時、1度だけ斎木博士とはお話ししたことがあります。まさか、橋の下のホームレスが斎木博士だとは思いもよりませんでした」


 「..ぁ..あ....」


 廃人に成り果てた斎木博士を見ながら照安さんは経を一説唱えた。


 「照安様、『橋の下のホームレス』とおっしゃっていましたがご存じだったのですか?」


 「はい、あの場所にホームレスが居ることは知っておりました。少なくとも5年以上は住んでいたでしょう。地元ですから、そういう噂話は耳に入ります」


 ―なるほど.. 毛布はもしかしたら、どこかの寺が与えたのかもしれない。しかしドッグフードは.. まさか寺がそんな施しをするはずがない。 ..それなら誰が?


 「ささ、湯が沸きましたので離れの風呂場をお使いください」


 「真心、俺が斎木博士を綺麗にしてきていいかい? 俺にやらせてくれ」


 「うん。月人さん、お願い」


 真心は盲目だ。代わりに俺がやるしかない。いいや、なぜか俺は、他の誰にもその役目を譲りたくはなかった。俺は斎木博士の汚れを全て洗い流し、その与えられた屈辱を削ぎ落したかった。


 ゴミ袋を用意し、その衣服を投げ入れ、借りたハサミで板のようになった髪を切り落とした。ハサミを入れるたびに悪臭が漂い、ノミのようなものが飛び跳ねる。


 形は悪いが短くした髪になった斎木博士は、少しだけ写真の斎木博士に近づいた。


 シャンプーは2度やったが泡たたず、3度目は石鹸を泡立つまでこすり付けながら洗った。陰部、肛門を洗うことさえ俺は平気だった。


 2度、3度繰り返し洗った。


 ―真心に綺麗になった父親と会わせてあげたかった。


 最も酷かったのが足の指だった。指の間の皮がはがれ落ち、膿みはじめていた。


 「中尾さーん!!」


 風呂場の窓から中尾さんを呼ぶと、髭や鼻毛の処理をするため頭を抑えてもらった。


 そして、綺麗になった斎木博士に清潔なTシャツとスウェットを着せた。


 斎木博士は着替えたシャツを何度も手でなでると、心なしか ほっとしたような、うれしそうな、そんな表情を浮かべているようだった。


 その夜、ふかふかの布団の中で斎木博士は真心と一緒に眠った。



◇◇◇

 次回

 7章 野に咲くコスモスは色あせない

 『青いクーラーボックス』


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