表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/59

旅館ふせふじ

【前話までのあらすじ】


 月人と真心、そして山岡夫妻を乗せたミニバンは飛騨高山に向かう。梓湖の雄大な大自然はやがて険しい山々が連なる上高地エリアに入っていく。しかし自然保護の管理を担う検問所に足止めされてしまう。後部座席の山岡夫妻から紫色の一枚のカードが検問官に渡されると、ミニバンは上高地エリアの立ち入りが許されるのだった。月人は山岡夫妻がただならない人物ではないかと推察する。

◇◇◇

 『赤かぶの里』から40分ほど車を走らせ、俺たちはようやく高山市に着く。


 バックミラーに映る博さんは街並みを懐かしそうに眺めていた。


 「月人さん、もうひわけありまひぇんが、あのひゅたつ目のひん号を右に、おねがいひます」


 博さんは大げさに口を広げ、なるべく活舌よく話そうと努力していた。


 博さんの案内通りに車を走らせると、ある旅館に到着した。


 その名は『旅館ふせふじ』


 飛騨高山は大昔の豪商によって作られた商人の街。その高山市に公認の遊郭が作られたのが明治の中期。昭和に入り売春防止法が施行されると次第に遊郭は鳴りを潜めていった。


 遊女たちを置いていた妓楼ぎろうは、時の流れにその名残を残す旅館へと姿を変えたのである。


 格子戸が並ぶ、妓楼造りの面影を強く残す玄関口。思いのほか軽いその扉を開けると、女将が三つ指をついてお迎えをしていた。


 「お、女将おかみ、ひさしいですね」


 博さんの優しい声が思わず跳ね上がる。


 深々と頭を下げてから『ようこそ、おいでくださいました。山岡様』と言った女将の瞳は潤んでいたようだ。


 山岡夫妻はこの『旅館ふせふじ』がどんなに苦しい経営状況の時でも歴史的な建物を保存するため力になっていたらしい。


 女将の年のころは、博さんと同じくらい。


 なぜか下世話な勘繰りをしてしまいそうになるのは、年を重ねても、なお漂う女将の色気にあてられたからかもしれない。


 玄関を入ると床は全面赤い敷物となっている。正面には横広い階段が上の階につながっていた。奥の部屋では、今でも長い煙管を手にした花魁が煙をくゆらせているのではないかとさえ思えてしまう。


 案内された1階は少し広い廊下になっていて、廊下を挟みながら両脇に部屋が置かれている。


 それぞれの部屋はまるで外玄関のような造りで、豪華な格子扉が付いていた。


 山岡夫妻の部屋の左上の札には『鯉』と書かれ、他の格子よりも若干朱味を帯びているようにも思えた。


 ―鯉.. 恋とかけているのだろうか― その朱い色は俺の想像をかきたてていた。


 俺と真心はその隣の角部屋で表札には『ふせふじ』とこの旅館と同じ名が冠されていた。


 部屋は2人で使うにはやや広く、窓際には庭を眺めるための渡り廊下となっていた。部屋と渡り廊下を隔てるための障子の中央には、破れてしまいそうなほど薄く加工された天然ガラスがはめ込まれている。上を仰げば、見たことのない網掛け模様の高い天井で、それは高級なものであろうことは想像ができた。


 庭の眺めは素晴らしく、池の中には錦鯉が泳いでいる。おそらく昔の製法で作られた硝子なのだろう。その硝子越し見える景色はゆらゆらとゆらめき、それがこの元遊郭の空間を味わい深いものに演出している。


 今まで自分の住む町の中で、俺は世界を達観していた。しかし、ここには自分が知らない世界が存在した。今、その世界に触れることが出来たことにわずかな興奮を覚えていた。


 真心はその建物の香りに寺とは違うものを感じ取っていたようだ。


 部屋がどんな感じか説明しようとすると、俺の目を通して映像が見えたそうだ。そして、俺の心の興奮具合からおおよそこの空間の世界観がだいたい感じ取れたと言っていた。


 —何とも恥ずかしいことを言ってくれる..


 廊下の柱にもたれかかり、窓が映すふぞろいな風景をひとすじ撫でする真心が艶っぽく見えたのは、この建物のせいなのかもしれない。


 部屋の外で女将が『外で山岡様がお待ちでございます』と呼びに来た。


 「外に人力車を2つほど用意してございます。山岡様と街のご散策をお楽しみください」


 やはり山岡夫妻はVIP待遇だ。


 全てを『旅館ふせふじ』が用意してくれる。


 ・・・・・・

 ・・


 先に乗った俺は真心の手を取り椅子に座る。


 膝掛けを掛けると『あらよっ』という車力しゃりきの声とともに目線が高くなる。


 「ふわっ」と思わず真心の声が漏れた。


 人力車が走り出すと、その独特の揺れと風に真心の顔は次第に楽しそうな表情になっていく。


 「真心、ほら、これは可愛い赤い日傘だよ」


 手渡すと、2回ほどくるくるとさせて、おどけた顔をしてみせた。


 人力車は奥深い風情の古い町並みを走り抜ける。


 この古都を思わせるような街並みは奈良井宿ならいじゅくとは趣が違う。


 奈良井宿を茶色とイメージするなら高山の街並みは漆黒のイメージだった。


 人力車は飛騨高山で有名な『山王祭さんのうさい』に使われる山車だしの博物館やからくり人形の博物館に立ち寄った。おそらくは俺たちに高山を知ってほしいと山岡夫妻の計らいなのだろう。どこに行っても真心は楽しんでいたが何故か『高山陣屋』の建物ではあまり楽しそうな顔はしなかった。敏感な真心は御白洲おしらすの空間に何か仄暗いものを感じ取ってしまったようだ。


 人力車は河にかかる朱い橋、『中橋』を通る。


 洗練された街並みに色を加えたこの橋は何とも言えぬ風情を感じさせる。


 その橋の欄干らんかんを背景に記念写真を撮った。


 そして人力車は旅館のある花岡町に戻るが、俺の目には寺の三重塔が入り込んだ。


 今まで『寺』を中心に旅をしてきた。


 どうしても寺というものに気を取られてしまう。


 そして、人力車は頼みもしないのにその寺『飛騨国分寺』の前に停車した。


 「少し寄っていかれませんか?」


 山岡夫妻に促されるように境内へ入っていく。


 そこには御神木となった銀杏の木が祭られていた。


 「ここは、私たちが新婚の頃に初めて立ち寄った場所なんですよ。あの時はもう少し秋は深くて銀杏の葉も黄色くてロマンチックだったわねぇ」


 そう聖子さんがつぶやくと、博さんは懐かしそうに銀杏の葉を眺めていた。


 —きっとこの木を前に、2人は若い頃に立ち返っているのだろう..


 俺は真心を見つめると―いつか俺にもそんな日が来るのだろうか―と考えていた。俺の気配に気が付くと真心は俺の方を向き緩やかな笑顔を見せた。


 慌てて俺は銀杏の木に視線を向けた。するとその木の根元が大きく割れているのに気が付いた。中を覗き込むと、その中には親と子供を模した地蔵が置かれている。


 忘れていたように一陣の風が吹き抜け、銀杏の葉がカサカサと鳴る。


 「はああぁぁ....」


 真心が頭を抱えながら今まで聞いたことのない声でうなり始めた。

◇◇◇

 次回

 5章 銀杏の木の下で

 『妓楼の夜は危ない』


 どうぞコメント、レビュー、評価をお待ちしています。

 こんぎつねの励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ