赤かぶの漬物
【前話までのあらすじ】
奈良井宿では斎木博士の居場所を入手することができなかった月人と真心。次の目的地へ向かうため車に乗り込むと、その前に山岡夫妻があらわれた。驚いたことに脳障害を患い考えることができなかった山岡博が、真心に対してお礼の言葉を発した。まさに奇跡が起きたのだ。山岡夫妻は月人と真心に自分たちの旅に同行してほしいと願った。月人と真心はその願いを受け入れた。
◇◇◇
奈良井宿を出発し、車は中山道から川沿いの道を進んでいく。
やがて、野麦峠のふもとを走ることから道の名前は野麦街道へと変わっていった。
車と共に走る川は梓湖につながり、湖面の光に揺れる木々や鳥たちの奏でる大自然は、あまりにも雄大で清々しかった。
「すごく美しい景色だね」
真心が笑顔を向けてつぶやいた。
—ということは、俺の心が動いたということか..
盲目の真心にこの景色が伝わったということは、俺の心に大きな感動があったということなのだ。真心の瞳には俺の心に響いた情景だけが映し出されるのだから..
そして、自然はより険しくなり、やがて厳しい自然保護が敷かれる国定文化財・飛騨山脈南部『上高地』のエリアに俺たちのミニバンは足を踏み入れた。
この地域は奈良井宿と同様に自家用車の乗り入れが禁止されていた。そして、2038年頃より地域に入る人数制限もより厳しく管理されるようになっていた。
地区に置かれる検問は合計で4つだ。この4つの検問所はリアルタイムで交信をしあいながら、事前登録されていない車を徹底的に排除しているのだ。
[この先、事前登録車以外の通り抜け禁止]の看板が見えると、道路にはスピードを制限するための凹凸がしつこいくらいに敷かれている。
車のスピードが落ちるのを確認すると、管理センターのスタッフが近づいてきた。
『こんにちは。どちらまで行かれますか? 登録証はお持ちでしょうか?』
「高山まで。登録証..ですか.. えっと..」
この飛騨高山への旅は山岡夫妻の旅だ。急遽、その旅に同行することになったのだ。無論、事前登録もしていないし、ましてや登録証など寝耳に水だ。
『お持ちでないようですね。では、申し訳ないのですが、ここをお通しすることはできません。事前登録をしていただいた後に通過していただくか、山を下りて迂回していただくしかありません』
「と、いうことらしいです。一回引き返して名古屋の方から行くしかないですね」
俺は後部座席の聖子さんの顔を伺った。
「あの、月人さん。これをスタッフの方へ渡していただけますか?」
聖子さんが紫色に斜め二筋の金色のラインが入ったカードを差し出した。
「これは?」
受け取ったカードの裏を見ると『共立固有保持蔵相の優会』と書いてあった。
俺は言われた通りそのカードをスタッフに渡した。
スタッフは無線を使い何かを話している。見る見るうちにスタッフが集まりだした。
検問施設からネクタイをした男が走って来た。襟に引っかかったままのネクタイから、その慌てぶりがうかがえた。
『お、お待たせいたしました。も、申し訳ございません』
責任者らしい男性は、たすき掛けにした少し大きめのカードリーダをオンにすると、メモ帳を取り出し、そこに書かれたコード番号を入力している。
そして白い手袋を手にはめると、スタッフからカードを受け取り機械に通した。
—ピーピピピ..
アナログ的な機械音を鳴らすと、今度はポーンポーンと木琴楽器の音を2度鳴らした。責任者の表情が強張った。
『うちのスタッフが大変な失礼をいたしました。申し訳ございませんでした。さぁ、どうぞどうぞ、お気をつけてお通りくださいませ』
一連の様子から、なんかとんでもないカードのような気がしてきて、俺は巻き込まれるように緊張してきた。
「あっ、もしもし..」
後部座席の聖子さんがスタッフのひとりを呼び止めた。
『はい。 な、なんでございましょうか』
一時はホッとした責任者の顔が再び引きつった。
「あの後ろに付いてきている車も私たちの護衛ですので、よろしくお願いしますね」
『か、かしこまりました』
聖子さんは、わざわざ中尾さんにまで気をまわしてくれた。
「すいません。中尾さんにまで気を使っていただいて。置いて行ってもいいんですよ、アレは」
「いえいえ、中尾さんにもいろいろとお世話になりましたから、そうもいきません」
俺としては見張り役の中尾さんがいない方が気が楽だったのだが.. まぁ、身内のような存在でもあるので、一応お礼を言っておいた。
—ところで、この山岡博と山岡聖子は、ただものではなさそうだ。
この「上高地」管理区間を通り過ぎると、岐阜県高山方面へ向かう道路は山脈を貫くトンネルに入っていく。いくつものトンネルを通り抜けていくのだが、中でも連続する安房トンネルと湯ノ平トンネルは嫌になるほど長い。なんと全長10㎞にも及ぶのだ。
このトンネルを走り抜けると、俺たちのミニバンは既に岐阜県に入っていた。
ミニバンはさらに平湯トンネルを抜けそのまま乗鞍山麓を降りていった。この辺りになると、標高も低くなりお店や人家がちらほらと見えはじめた。
頃合いも良かったので『赤かぶの里』と呼ばれる休憩所で腰を伸ばした。
俺の服が摘まむようにひっぱられた。
「お疲れ様」
伸びをする俺に真心からの労いの言葉だ。
「私も運転できたらいいのにね」
「大丈夫だよ」
「ところで、月人さん。何か耳が変だったよね」
「ああ、標高が変わると気圧が変わるからね」
「へぇ、よくわからないけど、月人さん頭いいんだね」
13年もの間、寺に軟禁されていた真心は多くの人が体験から学ぶことを知ることはなかった。今、やっとその新鮮な体験をしているのだ。その証拠に真心の顔はとても清々しく、そして楽しそうだった。
・・・・・・
・・
「コーヒーでよかったかな? 真心ちゃんはカフェオレでいい?」
聖子さんが微笑みながら両手のカップを差し出した。
「「ありがとうございます」」
「ふふふ。まぁ、声をそろえて。お二人は本当に仲が良いのね」
聖子さんは口を手で覆いながら笑った。
「ここに、くるのはひさしぶりでふよ。もうなんねん前になりまひゅかね?」
博さんは朝よりもかなり活舌が良くなっていた。
「そうねぇ.. あなたが眠っている間にも2度ほど来たことあるのだけど、8年前かしら」
「そうでふは。もうそれくらい経ってひまいまひゅたか..」
博さんは遠い目をしながら言った。その短い言葉に博さんのどれほどの思いが込められていたであろうか。そんな博さんの手を繋ぐと聖子さんは優しく寄り添った。
博さんにしてみれば、この5年間の間は、もしかしたら一晩くらいの感覚だったのかもしれない。
「ねぇ、さっきそこで買った『赤かぶの漬物』、せっかくだから食べてみない?」
聖子さんは漬物の袋を開け、持参したタッパーに移し替えた。
真心は慣れた手つきで漬物を指で摘まむと口に放り込んだ。
「すごく、おいしい」
「あら、真心ちゃんは漬物好きなの?」
「私、お寺育ちなんですよ。だからこういう香の物は食べ慣れているんです。これは凄くおいしいよ、月人さんも はい アーンして」
「いいよ。自分で食べられるよ」
それでも真心は摘まんだ赤かぶをひっこめようとしない。恥ずかしかったけど、仕方なく口に入れた。
「どお? おいしい?」
ここで『別に』など言おうものならまた腕をつねられてしまう。
「ああ、おいしいよ」
「まぁ、月人さんの顔が赤かぶみたいに赤くなってる」
聖子さんが俺をからかうと、真心も、博さんまで楽しそうに笑っていた。
今までこんな事はなかった俺はどんな顔をすればいいかわからなかった。そんな俺の顔を真心が手でひたひたと触っていた。
少し漬物の匂いがしたけど、火照った顔に、真心の冷たい手がとても気持ちよかった。
◇◇◇
次回
5章 銀杏の木の下で
『旅館ふせふじ』
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