弧を描く橋は美しい
【前話までのあらすじ】
街を暴走する車から山岡博をかばった真心。幸い危機一髪、車に接触することなく軽い脳震盪だけで済んだ。しかし、月人は真心の素性がばれてしまうのではないか心配していた。夜遅く、病院から奈良井宿へ戻ると、2人は晴広住職の厚意にあまえ大鳳寺に泊まるのであった。
◇◇◇
翌朝、俺は本堂からかすかに聞こえる読経に目が覚めた。
これは寺でいう「朝のお勤め」というものらしい。
真心の姿は白杖と共に見当たらない。
布団を片付けていると、若い僧侶が親切に真心の居場所を教えてくれた。
「真心様はお勤めに参加しております。月人様が心配なされるのでお伝えするようにと言われました」
「ありがとうございます。あの、俺も参加してもいいですか?」
「はい、ぜひに」
渡り廊下から中庭が見えると、草の上からカエルが跳びはね、朝露が地面に落ちた。
涼しい風が吹くと、池の水面が揺れているのに気が付いた。風で揺れたのか、それとも本堂から聞こえてくる読経の圧に揺れているのだろうか..
本堂に続く細い廊下に入ると、お経が俺の体の中で共鳴した。
柱の陰から顔をのぞかせると、真心が一番後ろの列に正座していた。
そっと隣に座り、軽く会釈をする。
・・・・・・・
・・
「久しぶりって感じだったよ」
中庭に出ると、外の空気をいっぱい吸いながら真心が言った。
「そういえば、寺育ちだもんな。五暁寺でも「朝のお勤め」に参加することはあったのか?」
「うん。時々ね。お経の意味はよくわからないけど.. でもね、あの音力に、胸の中にあるモヤモヤが吹き飛ぶこともあったの。今も少し元気になったよ」
小さな力こぶを見せる真心の笑顔に安心すると、俺は思わずとんでもないことを言ってしまった。それはあとあと、後悔するような言葉だった。
『俺は、真心の可愛い笑顔が好きだよ』
―何であんなこと言ってしまったのか。
あの時、真心は笑顔だったけど、内心『こいつ何言ってるの?』とか思ってやしないだろうか?
いつもはこんなことをくよくよと考えないのに、なぜ真心のことになるとこんなに考えてしまうのか.. 自分自身、わけわからなくなってしまった。
朝食を食べている間も俺は真心を見ると、言ってしまった言葉ばかりを思い出し、勝手に後悔していた。
どこに入ったかもわからない朝食を食べ終わると、俺たちは旅立ちの準備を済ませ晴広さんに見送られながら寺をでた。
山間にある奈良井宿の朝は晩秋にもなると予想以上に涼しい。木々の匂いのする冷たい空気は「凛」という表現がふさわしかった。
俺たちは宿泊しそこねた酒蔵 檜林に寄ってみることにした。
「真心、あれだよ。あったよ」
店の軒先には、ヴィジョンに浮かびあがった杉玉が飾られていた。
それは俺が新宿の呑み屋で見かけたサッカーボール程の杉玉なんかとは別物で、小学校の運動会でやったことある大玉送りの大玉以上の大きさだ。
杉玉を眺めていると、ふっと木の香りに混じってほのかな甘みを鼻に感じた。従業員が開店準備に店前の木扉を外し始めたのだ。
「月人さんはお酒は飲むの?」
「はは.. 飲み屋におしぼり配る仕事していたけど、酒は飲んだことないんだ」
その言葉に真心は少し得意げな顔をして言った。
「あのね、私は飲んだことあるよ」
「おいおい、酒は二十歳を過ぎてからだぞ」
「ふふ.. 月人さんって意外に真面目なんだね」
「..まったく」
そんなふざけ合いのなか、真心は言った。
「私はね、存在しない人間だから関係ないよ」
笑いながら言っていたが、俺は言葉を詰まらせてしまった..
「あの、まだ開店には少し早いですが、休んでいかれますか? どうぞ」
若い従業員が俺たちを見つけると親切に声をかけてくれた。
店は昔の酒蔵の一部が改修され、来店客がくつろげるようにテーブルが並べられていた。天井のむき出しの梁が歴史ある蔵の香りを漂わせ、何とも味わい深い店となっていた。
真心がその空気の流れに『良い空間だね』と言っていた。
ガタガタと店と酒蔵をつなぐ扉が開くと、恰幅の良いおばちゃんが酒の小瓶を持って入り、テーブルに並べた。
ここはお店、そしてやはり商売の場だ。当然のように試飲を勧められることになってしまった。俺は車の運転があるから断らざるを得なかった。
すると..
「じゃ、私が♪」と真心が鼻を引くつかせて、酒が注がれたカップに手を伸ばそうとした。
『ダメダメ! お嬢ちゃんはもう少し大人になってからだよ!』
おばちゃんに注意されると、真心はほっぺたを―ぷうっと膨らませていた。
でも、そんな真心の明るい様子を見られて、俺はうれしかった。
「今度、私がお酒を飲めるようになったら一緒にまた来ようね」
「ああ、そうだな」
お店を出た後に、自然にでた言葉になど、きっと深い意味などないのだろう。
でも、俺には大切な『約束』の言葉のようで..それをとても大切に胸にしまった。
・・・・・・
・・
自動車の駐車場近くにある『木曽の大橋』。
階段を上り中心まで渡り歩くと、真心は両手を天に伸ばし、大きく深呼吸した。
「川の音が心地いいね..この大げさなほどに急な弧を描く橋は、まるで私たちの橋みたいだよね?」
「どういうこと?」
「だって、平らな橋だったら簡単にあっち側にいけるでしょ。でも、この橋はちょっぴり大変だもん」
「そっか.. でも、真心、この橋はすごく綺麗な橋だよ」
その言葉に振り返った真心は、飛び切りの笑顔をして見せた。その時、目を閉じてしまいそうなほど眩しかったのは、橋を照らし始めた朝日のせいだったのだろうか..
◇◇◇
次回
4章 首のない石像
『記憶の映写機』
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