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海水浴

【前話までのあらすじ】


 月人と真心の次の目的地は決まった。木曽路は奈良井宿にある『大鳳寺』だ。澄徳さんからの情報では大鳳寺の晴広せいだい住職と斎木博士は特に仲が良かったという。もしかしたら、そこに斎木博士は身を隠しているのかもしれない。旅立ちの前に今まで海に触れることがなかった真心に海水浴というプレゼントをする月人だった。

◇◇◇

 8月の上旬、まさに海水浴のピーク時だ。


 燦燦と降り注ぐ太陽に雲一つない濃厚な青色の空。輝く海にはドレッシングの境目のように水平線がくっきりと見えていた。



 隙間を奪い合うようにレジャーシートを広げる海水浴場は夏のTVニュースの定番だ。


 しかし、スーパー蒼屋の裏にあるビーチはちょっとした穴場だった。地元の人たちや旅館の懇意にしているお客様だけに許された半プライベートビーチだからだ。


 とはいっても、最盛期である。砂浜のそこかしこに、まるでクレヨンをばらまいたようにパラソルが立っていた。


 コンクリートの小さな階段を2,3段降り、砂浜に立つと踏んだ砂がぎゅっとサンダルをはじこうとする。


 足をなでる熱風が遠くの波の音を置いていった。



 「月人さん、ここは全て砂場なの?」


 真心は、サンダルに侵入する砂をサラサラと指先で撫でていた。


 「お姉ちゃん、絶対にサンダルを脱いだらダメだからね。火傷しちゃうから」


 「うん。ありがとう、太郎君」


 さすがは海水浴経験者だ。黙ってはいたが、俺は既に片足を砂につけて、その熱さを身をもって知ってしまった後だった。


 —さて、これからどうすればいいんだ.. 


 「ちょっと待っててね! 受付して諸々借りてくるから!」


 太郎は海の家へ走っていった。


 —海水浴が初めてだと打ち明けてよかった。


 黙っていても、察して動いてくれる彼がいるだけで安心感が違う。


 俺と真心は階段を一段上った場所で太郎を待っていた。


 「ふふふ」


 不意に真心が笑みをこぼした。


 「どうした?」


 「..ううん。なんか凄く楽しいの。こんなにワクワクするの初めてかも」


 「こんなもんじゃない。海に入ったらもっとハイテンションだ」


 密かにテンションが高くなったのは俺のほうだった。ついついエアプをかましてしまった。


 「ねぇ、月人さん。私、月人さんと旅をする決断して、本当に良かったと思ってるよ」


 真心は目の前にある大切なものを抱きしめるようにその言葉を口にした。


 そして、俺の手をつなぐ真心の指先が力強く動いた。


 「ああ.. 」


 余計な会話はいらなかった。今感じているこの空間を共有することで、真心と分かり合えている気がした。


 「月人さ~ん、お姉ちゃん、こっちこっち!」


 両手いっぱいにパラソルや浮き輪を抱えた太郎が大きな声で俺たちを呼んだ。


 ・・・・・・

 ・・


 黄色いパラソルは真心の移動が最小限になる波打ち際に広げられた。


 『こっちを持ってて』『そこの上に乗って』『そっちそっち、ほら広げて』


 てきぱきと指示をだす太郎に従う。終わってみれば、設置作業はほぼ太郎がやってしまった感じだ。


 「やれやれ..」


 ようやくレジャーシートで一息つく俺の横でクスクスと真心が笑っていた。


 俺はそんな真心を見つめるだけで心に波紋が広がるようだった。


 「じゃ、真心。海に入ってみないか」


 少し緊張する真心の手を太郎がゆっくりとひく。


 海でのエスコートは全面的に太郎に任せていた。俺は後ろから静かに見守ることに徹した。


 濡れた砂浜を一歩一歩用心深く、でも興味津々に歩く真心。


 波が彼女の足元にかかるとそのまま砂を置いていった。


 その感触にこわばった顔が少しずつ笑顔になった。


 太郎の手をしっかり握り海に入っていく。


 緩やかな波が膝元にかかった。


 寄せる波は足を押すと、すぐさま足を引いていく。


 真心の眉が微妙に動いている。


 彼女は全てを集中して感じているのが見て取れた。


 そして、後ろにいる俺に振り返ると「 波.. これが波なんだね!」と笑顔で言った。


 その顔を見るや、俺は真心に近づき、彼女の手を取った。


 どうしても、その手を握っていたいという感情を抑えきれなくなってしまった。


 弾けた波の飛沫が口に入ると海水の塩っ辛さに彼女はびっくりしていた。


 「この海にはどれだけの塩が入ってるんだろ。 乾かしたらお料理に使えるかな?」


 そんな言葉を聞くと俺と太郎は大笑いした。


 冗談のような言葉だが真心は意外と本気で言っていたらしく、ちょっぴりふくれていた。しかし、自分の言葉を思い返すと「やっぱり、変だね」とふきだした。



 ・・・・・



 俺はパラソルの下に戻ったが、太郎と真心はしばらく遊んでいた。


 やがて遊び疲れた真心は砂に膝をつきながらパラソルの元まで帰ってきた。


 「楽しかったぁ。私も少し休もうかな」


 「ああ」


 パラソルの下、2人きり。


 俺も目をつむり真心と一緒に波の音を聞いていた。


 「いい音だね」


 「そうだな。やっぱり自然の音は―」


 「席空いたよー!ご飯食べよー!!」


 海の家の方から太郎の大きな声がきこえると、真心と声をだして笑い合った。


 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・


 海の家の座敷。


 ビニール製の茣蓙。


 蚊取り線香に扇風機。


 なかなかの『日本の夏』って感じだ。


 テーブルには俺の『ラーメン』、真心の『カレーライス』、太郎の『ロコモコ』が並んでいる。


 「太郎君、話が違うじゃんか。注文する前、海の家では『ラーメン』か『カレー』が定番だって言ってただろ」


 太郎は無邪気な笑みに目を細めて、そして少し得意げにいった。


 「嫌だなぁ。それは初心者の心得だよ。僕みたいな上級者には『ロコモコ』こそふさわしいのさ」


 「そうなんだ。太郎君は何でも知っているのね」


 真心が真に受けてしまっていた。


 『まぁ、いいか』とラーメンをすすると、確かに失われた塩分を補うかのようにラーメンが胃袋に気持ちよく収まっていく。


 「真心、カレーライスは食べたことある?」


 「うん。何度か食べたことあるよ」


 真心はスプーンでライスを見つけるとカレーを程よくつけ、軽快に口に運んだ。そして顔をほころばせていた。


 —おいしそうに食べるなぁ..


 これが他人の食べる料理がおいしそうに見えるという現象か..


 メニューを見ると『ラーメン&半カレーライス』の文字を見つける。


 —くっ、しくじった! そっちにしておけばよかった..


 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・


 「真心、俺は少し昼寝するから、あと1時間くらい遊ぶんだったら行っておいでよ」


 「ううん。私もここに残るよ」


 海の家の大広間、そよ風の中少し眠りについた。


 近くに真心の気配があるだけで、なぜか安心して眠ることが出来た。



  ..どれくらい眠っていたのだろうか。



 「なんか変だ! 月人さん! 燐炎りんかが.. だめ! もう私には抑えられない!」


 突然、真心の焦った声に起こされた。


 すると真心の瞼が開き青白い炎をのぞかせた。



 「太郎が危ない。沖を見ろ」



 「くそ!」


 その一言で事の状況が把握できた。


 俺は海辺まで走っていった。


 ―太郎君! どこだ!?


 どこかわからず焦る俺の横に素足の燐炎が近づいてきた。


 『あそこだ』


 指をさす先に小さく人影のようなものが見える。


 —どうしたらいいんだ!?


 太郎はどんどん沖に流されているようだった。


 泳いでいったとしても間に合わない。


 すぐに助ける方法が思いつかなかった。


 すると燐炎がおもむろに唇を重ねた。



 —ま、真心と接吻だと..



 その瞬間、俺の視界が切り替わる。


 それは上空からの映像だ。


 大海原に何かをとらえると、急激にズームを開始した。


 海面には太郎と小さな女の子がいた。


 そして長い数字の羅列が視界に映ると、海水浴場の水面に浮かぶ救助用ドローンが一斉に海面を疾走し始めた。


 ドローンは統率の取れた動きで、瞬く間に太郎と女の子を取り囲み、彼らを浜辺まで運んできた。


 ・・・・・・

 ・・


 離岸流。


 親が目を離した隙に連れていかれた少女を太郎が救けにいった。しかし水面の流れは早く川のようだった。2人は誰にも気づかれずに外海にまで押し出されてしまったのだ。


 とにかく、2人が助かってよかった。


 しかし.. あれはいったい何だったのだろうか。


 目の前に突如と表れた映像。


 ―あれはまるでPCで見るGoogleアースの映像そのものじゃないか



 燐炎が素足で砂浜を歩いたため、真心は足の裏に軽いやけどを負っていた。


 あの時、真心の意識は完全に燐炎になっていた。


 やはり早く斎木博士を見つけ出さなくてはならない。


 そうしなくてはいつか真心は燐炎に支配されてしまう。



 ―それにしても.. なぜ燐炎は他人を助けるようなまねをしたのだろう.. 生態AIは宿主の命にしか興味がないはずでは..



 それだけが蜘蛛の糸のように俺の心に引っかかっていた。

◇◇◇

 次回

 3章 海に響く鐘

 『それぞれの旅』

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