白杖を持つ少女
【前話までのあらすじ】
赤根月人はおしぼり配送の仕事をしている。彼の周りには不思議なことが度々起きる。おしぼり配送先のスナックに闇金業者がきた。いつも優しく接してくれるママが困っているのを月人は目撃した。その瞬間、闇金業者の持つ電子証文が消えてしまった。赤根月人、彼の周りには不思議なことが度々起きる。
◇◇◇
『—誰? あなたは誰なの?』
「う.. 痛ッ..」
―またか.. いつもこの夢を見た後は、決まって頭痛がする。
『まぶしい』とか『キレイ』とか感想だけの時もあれば、『誰?』とか『これは何?』とか質問されることもある。
何を聞いてこようが答えようがない。
なにせ、俺には声しか聞こえないのだから。
ぬるめのシャワーをかぶりながら、あの声を頭の中で再生する。
—わっかんね。やっぱり.. まったく聞き覚えないな..
日曜日はそんな朝から始まった。
**
少し肌寒い梅雨が終わると、線を引いたように急激に気温が高くなる。いつだったか「季節の悲壮感ってものが、無くなったな」なんて中尾さんが言っていた。しかし、俺にはよくわからない。俺が生まれた時から梅雨上がりなんてのは、こんなものだからだ。
それでも今日は比較的涼しく、カラッとしたさわやかな日なのには間違いない。
—今日は洗濯したら散歩でもするか。
俺の休日の過ごし方は散歩が多い。
家の中でも街の中でも今は何でもオートメーション化している。機械がチカチカしている中じゃ、リラックスなどできやしない。
俺のオアシスは、はるか昔に川を埋め立て造られたこの緑道だ。
この空間にあるのは古びた時計塔と桜並木だけ。
『俺の安心』がある場所だ。
そんなリラックスした場所だと子供がはしゃぐ声すら微笑ましく思える。
ジョギング、犬の散歩などをするいつもの何の変哲もない日常。その中に、まるで切り抜き絵画のように、白杖を片手に持つ女の子が、おぼつかない足取りで歩いてきた。
あの子だけが特別なのは明らかだった。
それは彼女が盲人だからというわけではない。
暑くもない朝のアスファルト、その子の周りだけ蜃気楼が立っている。俺にはそう見えたからだ。
そして彼女がおぼつかない足取りで一歩一歩近づく度に、心にガリガリとヤスリをかけるような痛みが走った。
彼女から一瞬たりとも目が離せない。いつしか俺の耳には子供の声すら聞こえなくなっていた。
—ガシャンッ ガシャン!
小石を弾き飛ばしながら、電動自転車に乗ってくる馬鹿野郎が目に入った。自転車は彼女の後ろを勢いよく走って来た。
—あぶない! ここは乗り入れ禁止だぞ!
電動自転車が彼女と交わる瞬間、俺の視界が大きな光に塞がれた。
—眩しっ.. いや、それよりも、あの子は大丈夫か?
咄嗟に彼女の近くに駆け寄ろうとしたベンチから腰を浮かせると、一段高い縁石に飛び移り、自転車をやりすごした彼女の姿が見えた。
その時、彼女は閉じていた瞼を大きく見開き、青白い瞳で俺を見つめていた。それは全てを燃やし尽くす青白い炎のようにも思えた。
ほんの数秒のことだった。しかし、俺には永遠にさえ感じた。その時すでに俺の心の一部は燃やされていたのかもしれない。
「な、何だ、あの子.. ただのコスプレか? ま、まぎらわしい。 本当は見えているんじゃないか」
指で首に滲んだ汗を確認しながら、動揺を隠す言葉を口にしていた。しかし、そんなのは気休めでしかないのはわかっていた。
彼女の視線は、しっかり俺の心を揺さぶっていた。そして、突然、地面がぐにゃぐにゃと揺れ始める感覚に陥った。
―くっ、めまいってやつか..
たまらず、ベンチに手を駆けて気を持ち直した後、彼女を見た。
縁石を―トンと軽く降りた彼女の瞳は閉じていた。そして、再び白杖を前に振りながらゆっくり歩いてくる。
俺はすれ違うその子を横目で追った。身動き一つとれない。ただ、頬を伝った汗が一粒、時を許されたように落ちた。
「ありがとう。あなたなのね」
ポツリと言ったその言葉に背中から後頭部までのうぶ毛がすべて逆立った。
―あれは.. あの声だ..
直感が告げた。―関わるな―と..
親子が遊ぶ遠くのブランコの音が ―キィ キィ と耳に残った。
高級マンションに戻り、16階の廊下の窓から緑道を見下ろした。
—さっきのことは忘れてしまおう..
気持ちを切り替え自宅のドアを開けた。
部屋の間取りの割には大きな玄関に、3足の革靴がやけに丁寧に揃えられている。
白い廊下を折れた向こうにあるリビング。そこから聞こえる話し声。
—まったく、今日は厄日か何かか..
部屋の中には、いつもの連中がいた。
「なぁ、あんたら、来るなら事前に言ってくれないかな? これじゃ、俺宛てのラブレターすらテーブルに置いたままにできないよ」
「前回は『ラブレター』じゃなくて『エロ本』って言っていたな。少しばかり、上品になったじゃないか」
いつもの連中っていうのは警視庁テロ対の中尾さんと国土衛星省と厚生環境省からなる特別チームだ。
まぁ、これも恒例のイベントみたいなもので、これがあるから俺はこんな高級マンションに住んでいられるんだ。
イベントというのはよく言って聞こえはいいが、要は俺の心身に関する診断.. いや、検査っていうほうがピタリとくる。
『特別チーム』というのは中尾さんが所属する警察庁テロ対のような捜査機関とはまったくの別物である。もっと国家組織であり事務仕事をこなすような無機質なチームだ。そこに人の感情的なものは一切挟まれることはない。
俺の心電図や脳波を計った後、いくつかの質問をしていくのがルーティンとなっている。
しかし、至って何も変化がない検査は、長い年月の末、今や形骸化し始めていた。
それは俺が単に『言っていない』だけだからだ。
それに、そんなちゃちな心電図や脳波計測器など、俺にとってはただのコードと機械だ。
「―クリア! 異常なしです」
その言葉を合図に、警察テロ対の中尾さんを置いて、さっさと帰っていくのがあの連中だ。俺や中尾さんに興味なんてないのだろう。
「月人、今回も『異常なし』だが、まさか計測機器を操作していないだろうな?」
中尾さんは俺の体中に噛みつく端子を外しながら、いつもの言葉を口にする。
「都合よくそんな事できないのは、中尾さんだって知ってるでしょ。俺がそんなうまい事できたら、中尾さんに違反切符を切られることなんてないですよ」
「まぁ、そうだな。車も連中の機器も単独機だしな。 ところで..何か困ったことはないか?」
「ないです」
「そっか。俺はお前の味方なんだから、何かあったら遠慮しないで言えよ」
そう言うと中尾さんは出て行った。
―何か困ったことか..
笑わせる.. そんなこと言えるわけないじゃないか。
『夜な夜な、夢に不思議な声が聞こえる』なんて言えば、それだけで研究所行きだ。
実験用の猿のように目玉をほじくりだされ、その上、脳みその中にまで手を突っ込まれ兼ねない。
だが今、連中が俺を野放しにしている理由もそこにある。俺の目玉と脳が連動していないか確証を掴めていないからだ。
奴らは恐れているんだ、俺の瞳に寄生しているアレを。
―きっと、今日見た白杖の少女のことも話さないほうがいい。
俺はそう感じていた。
◇◇◇
次回
1章 夢の中の声
『ep03 勇気を振り絞る』
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