かつての終わりと新たな始まり
「これで我の役割は……嗚呼、まだ残っていたか」
二人が死病からの解放に喜び合っていると、不意に魔王サタンが呟いた。
「貴殿の役割とは、私たちを救うことではなかったのか?他にどんな役割があると言うんだ?」
「あたしたちにできることなら、喜んで協力します。あなたはあたしたちを救っていただいた恩人ですので」
残っていた役割という言葉に疑問を抱いたチェルノボークと、救われたことによる恩義を感じていていたチェルシーは、魔王サタンに心からの協力を示す。
「それはありがたい。我の残っていた役割というのは、これを二人に呑んでもらうことだ」
愛しき武器たる黄金の竜杖を傍らに置いて、魔王サタンが懐から取り出したもの。
それは、血を酸化させたような赤黒い一口大の縦半分にひびが入っている結晶に、金色の細かい文字を綴ったものだった。
「これはいったいなんだ? 見る限りでは、ただの結晶ではないようだが。チェルシーに危害は無いのだろうな?」
「これを呑めばいいんですよね? これって呑み込めるんですか?」
魔王サタンが二人に見せた結晶に対して、二人は疑問を抱いている。
「魔神殿や寵姫殿には危険はない。
これは、転生の呪石というものであり、呑み込んだ者の死をきっかけとして別世界へと転生を果たす力を持っている」
転生。それは次元や時間を超えて、今とは違う別の何かに生まれ変わるということ。
人間であることが大多数だが、中には古竜や亜人などもいる。
「つまり、今とは違う存在になるということか? もしや、チェルシーと同じ人間にもなれるのか?」
「死んで別世界に行くということは、チェルノボーク様と離れ離れになってしまうんですか? それは……ちょっと嫌ですね」
神格剥奪によって黒き魔神から人間に近しい存在となったチェルノボークは、想い人と同じ人間という可能性を見いだす。
しかし、チェルシーは別世界へ行くことに。
正確には、チェルノボークと離れてしまうことに、危惧を感じてしまう。
「寵姫殿の疑問に関してだが、これにはあらかじめ、呑み込んだ者を同じ世界に向かうように定められているようだ。
その証拠に、ひび割れがあるだろう?
割って二つの結晶片にすることで二人が同じものを呑み込み、同じ世界に向かえるようにされている。
ゆえに、魔神殿とは違う世界に行くことはないから安心してほしい」
氷を溶かすように、魔王サタンはチェルシーの危惧を解かす。
「なに、同じ世界から離れ離れになったとしても、君に会えないということはないだろう。
君の姿が変わっても絶対に見つけ出してみせるから、安心してほしい」
「チェルノボーク様……慰めてくださりありがとうございます……」
チェルノボークの言葉に心を打たれたチェルシーは感極まって涙を流した。
泣いているチェルシーを抱きしめるために、チェルノボークは両手を広げてと胸元に引き寄せる。
まるで、子供が泣き止むまで真摯に待ち続ける親のように。
「……二人だけの世界に入ったか。
我も寵姫殿が泣き止むまでしばらく待っているとしよう」
二人の様子を見た魔王サタンも空気を読んで。転生の呪石を懐にしまい。催促することはせずに。
ただ、チェルシーが涙を流し終える時を黙して待ち始めた。
そして、しばらく経ってからのこと。
「あたしのせいで、話を遮ってしまって申し訳ありませんでした。サタン様、話を続けてください」
チェルシーは魔王サタンへと、謝罪するように身体を深く曲げて言った。
「寵姫殿……あなたは死病が消え去ったとはいえ、病み上がりに似た状態なのだから、そんなに謝らなくてもいい。
それに我は気にしないから、背筋を伸ばしてほしい」
チェルシーの謝罪を聞いた魔王サタンは、病み上がりに似たチェルシーの身体を気遣い、折り曲げた身体を伸ばすように求める。
「……そうですね。あたしの身体を気遣わせてしまい、こちらこそ申し訳ありません」
「そうだな。隣で魔神殿が寵姫殿の身体を慎重過ぎるほどに心配しているから、心配かけないようにしなければ、な」
魔王サタンはチェルノボークを横目で見ながら言う。
「あ、ああ、貴殿の言うとおりだ。
それに、私にはもうチェルシーしかいないのだから、今まで以上に愛したいからな」
魔王サタンに事実を言われて平静を欠いたチェルノボークは、チェルシーへのプロポーズにも似た言葉を口に出してしまう。
「まぁ……チェルノボーク様ったら。聞いているあたしが恥ずかしいです」
「はは、仲が良いことは続けるべきだ。
しかしその言葉は、二人っきりで言うべき言葉じゃないのか?
まぁ、面白いものを見させてもらったから、よしとしよう」
チェルノボークの言葉を聞いたチェルシーは頬を赤らめ。
すぐそばで聞いていた魔王サタンは嬉々として頷いた。
そして、プロポーズに似た言葉を言った当人であるチェルノボークは、茹でたての鮹か、熱した鉄か、あるいは熔岩なのか。
そう形容してしまうほど、人間に近しい存在になりはしたが、崩れていない変わらぬ王貌を真っ赤に染め上げて身体を震わしていた。
「私とて言い間違いはするが……後から恥ずかしさが込み上げてきた……。
チェルシーの悲しみも癒えたようだから、そろそろ脱線している話を戻してくれないか……?」
チェルノボークの身体の震えは、込み上げてきた恥ずかしさによるものだった。
しかし、それでもチェルノボークは冷静さを欠くことなく、中断された役割の話を魔王サタンに求めるようにして切り返してきた。
「ふむ、そうだな。そろそろ、転生の呪石を呑み込んでもらおうか」
魔王サタンはそう言うと、転生の呪石を懐から再び取り出した。
そして、目を閉じ、念じ、二つに割る。
そして、割った転生の呪石をチェルノボークとチェルシーの手のひらへと宙を浮遊させつつ渡した。
「これを呑み込めばいいんだな。ではいくぞ」
「あ、あたしもいきます」
渡された転生の呪石の結晶片を、息を自然に合わせるように二人は呑み込んだ。
「気分はどうだ? と言っても、何ともないだろうがな」
渡した責任感からか、バイタルチェックをするように、あらかじめ知っていることをなぞるように魔王サタンは問う。
「ああ、気分は悪くはないな。
と言っても、良くもないから、普通と言ったところだな」
「あたしも、何とも変わりませんね」
二人とも体調の変化が無いことを魔王サタンに伝えた。
「なら、我の役割は完全に終えたことになったな。
さて、長居してはなんだし、我は去るとしよう。
二人とも末永く仲良く生きろよ?」
「ああ、仲良く生きるさ。
貴殿が私たちを勇者から救ってくれたことに感謝しながらな」
「あたしも死病から救ってくれた、あなたのことを忘れたりしません。
あなたもお元気で」
やるべきことを終えた魔王サタンに、チェルノボークとチェルシーは感謝と別れの言葉をかける。
それを聞いてから魔王サタンは指を一回だけ鳴らすと、自身から数歩離れた場所に空間移動の魔法が描かれた魔法陣を出現させ、
「さようなら、そしてお幸せに」
と微笑みとともに言った。
それから、手にしていた黄金の竜杖で魔法陣の中心を一突きすると、夜闇にも似た黒い光が魔王サタンの全身を包み込んだ。
そして、黒い光が収束し終えた先には、魔法陣の痕跡も最初から無かったかのように、元の寝室の床だけがあった。
「行ってしまったな……」
「そうですね」
チェルノボークは哀愁を孕んだ呟きを吐いて、チェルシーが同じ気持ちなのか頷いた。
「彼は……私たちを救うために来たらしいが私には分からないよ。
誰が私たちの危機を知っていたのかなんて」
「あたしにも分からないです。
でも、あたしたちの危機を知った誰かが、これからのあたしたちの未来を歪めてまであの方を遣わしたんだとあたしは思います」
チェルシーは愛おしそうに目を細めて言う。
「君は思い当たる人物がいるのかい?」
チェルシーの言葉にチェルノボークは聞き返す。
「多分、あたしをあなたと引き合わせてくれた神様じゃないかなと思うんです」
「そうか、神様か……ならそれでいいか」
光と生命を司る白き魔神ボロノーグと闇と滅びを司る黒き魔神であったチェルノボーク。
そして、彼ら以外の二柱の神々。
チェルシーが言っていた神様は、それらの神々とは違う存在だろう。
だが、今の二人にとって、他の神々の存在は些細なことでしかない。
抱いた疑問を振り払うようにチェルノボークは息を一吐きし、チェルシーと向かい合うように向き直った。
「私は君と同じ人間になった。
やがて、寿命が尽きて死ぬ時が来るだろう。
その時まで、君を愛し続けていきたいんだが、こんな私でもいいかな?」
「はい、あたしも喜んであなたを愛し続けます」
思わず言ってしまった愛の告白ではなく。
今の自分を省みて、その上で考えた言葉は真摯なる愛に満ちるプロポーズ。
その言葉を、込められた想いを聞き。
偽りなき心で受け止めたチェルシーも、純粋なる愛をもって、チェルノボークの言葉に応えるように手を繋いで温もりを伝えて、優しく微笑み目を伏せる。
チェルシーの行動の意味を察したチェルノボークは、チェルシーの唇へと口付けをし二人は互いに愛を確かめた――。
《終》