死病からの解放
魔神城の寝室ではチェルシーがベットで寝ていて、チェルノボークがその横に佇んで、チェルシーの容体を見守っていた。
「待たせたな。勇者なら、我が処置を施しておいたから安心していいぞ」
「そうか、それは良かった。
今のところチェルシーの容体は安定している。本当に良かったと思う。
ところで、貴殿はいったい何のために私のもとに来たのだ? そもそも、あの勇者は私を倒すために、白き魔神ボロノーグから聖剣を託されていたんだぞ?
なのに、私を助けるというのは……矛盾していないか?」
「確かに、魔神殿や勇者から見れば我の介入は矛盾を孕んでいるだろう。
しかし、ある観点からすれば矛盾を抱きながらも救いとなることもある」
「救いだと? 確かに、チェルシーと私が勇者の手に掛かるという最悪からは逃れられたが……。
チェルシーの身体を蝕む死病は以前として存在している……!」
死と滅びを司る黒き魔神であるがゆえに、チェルノボークは自らの力で愛する者を蝕む死病を消し去ることができない。
その不変なる真実がもたらす歯痒さに、チェルノボークの表情が険しく歪むほどに。
「姫殿を蝕む病は、普通の力では治らない死病だったな。
しかし、普通でない力で――秘宝と呼ばれる奇跡でなら治るかもしれなかった……」
「そうだ……。それゆえに私は、勇者の先祖に伝わっていた治癒の秘宝を手に入れようとして勇者たちの言いなりになり、この手を死の罪で汚してきたのだ……!
だが、治癒の秘宝は……!」
愛する者を救おうとして縋っていた奇跡は、王家に箔を付けるための偽りでしかなかった……。
「ああ、我が主に聞かれているから知っている。
又聞きになるが、ヒドい話だ。
だが、我が主は魔神殿の想いに報いるために、我を遣わしたのだということを知ってもらいたい」
「私の想いに報いるだと?
もしや、チェルシーを死病から救ってくれるというのか!?
ならば、その方法を教えて欲しい。
チェルシーが死病から解き放たれるのなら、私はどうなっても構わない!
否、構うものか!」
チェルノボークは鬼気迫る勢いで、自らの王貌を魔王サタンへと突き出す。
それほどまでに、チェルシーへの愛の想いは、ひたすらに強く、衝動の核にもなる。
「そんなに顔を近づけるな……! あと、声量も気をつけろ。寵姫殿が不快に目覚めてしまうぞ」
あと、有らぬ誤解も招きかねない。
「……むぐ、それはすまない」
チェルノボークが苦汁を飲んだような顔をして、魔王サタンから距離を取る。
「はぁ、話を戻すが、寵姫殿が救われるためには、魔神殿の神格を剥ぎ取らなければならない。
神としての領分を超えた行動をした罰としてな」
黒き魔神であるチェルノボークの罪は、必要以上に生命を死に至らしめたこと。
例え、愛する者を救いたいがための行動だとしても、罪を犯した以上は罰を受けなければならない。
「……私の神格の喪失か。
神格を失えば私は何になってしまうのだろうか……」
「恐らく、神としての身体を保持したまま……人間と同じように寿命を迎えて死ぬだろうな」
「剥ぎ取られた私の神格は、神々の誰かか、誰かの使いが受け継ぐのかもしれない……。
ならば、それでもいいのだろうな。
チェルシーが救われるためならば私はどうなっても構わないのだから。
黒き魔神としての未練など無い」
チェルノボークの夜色の瞳には一切の曇りがなく。雲一つない夜空のように澄み切っていた。
未練への執着などは何も感じられることは無い。
それゆえに、本気であることが伝わってくる。
「そうか、しかし魔神殿だけが勝手に決めてしまっていいのか?
寵姫殿は、魔神殿の神格を自分の死病のせいで剥ぎ取られることを、どう思っているのか知るべきではないか?
そのうえで結論を下したほうが賢明だと思うがな」
魔王サタンはベットで寝ているチェルシーをチラリと見てから。
間違いであることを諭すように、チェルノボークに言った。
「確かに貴殿の言うとおりかも知れない。
しかし、チェルシーの生命は風前の灯火みたいなものだ
いつ、生命の灯火が消えてしまうのか私は不安でたまらないんだ……」
死と滅びを司る黒き魔神であっても、不安に堪えることは苦難にも等しい。
愛するチェルシーに看取る者がいない。
孤独の中の死を感じさせたくない。
ゆえにこそチェルノボークは、チェルシーの死という運命に抗うために完治の秘宝を求めたのだ。
「寵姫殿を救うために、間違った選択肢を選んでしまっていることに、まだ気づかないのか?
寵姫殿はどう思っている?」
「どういうことだ?」
魔王サタンのチェルシーへ向けた意味ありげな言葉に、チェルノボークは首を傾げてチェルシーのほうを見る。
「……チェルノボークさま……あたしを救うため……なのは分かりますが……」
「チェルシー! 目を覚ましたのか。
ああ、すまない、言葉を続けてくれ」
ベットで寝ていたはずのチェルシーは、起き上がる気力が無いのか、横になったまま言葉を発する。
一旦遮ってしまったチェルノボークも、軽く謝ったあと続けるよう促した。
「はい……勝手に決めないで……ください……」
一拍づつ置きながら、自分の意思を伝えるように。
「そもそも……あなた様の……神格の剥奪は……あたしが病に……倒れたのが……原因です……」
休み休みになりながらも。濁さないように意識して。
「……だから……あたしにも責任が……あります……」
チェルシーは自らの考えを、チェルノボークと魔王サタンの二人に伝えた。
「君に責任なんて……! 有るわけが無いだろう……!
君を死病から救うために、私が勝手に勇者のもとへ行き、言いなりになるように人々の生命を奪ったんだ!
ゆえに、すべての責任は私にある!
君には欠片も無いんだよ……」
チェルシーの言葉を聞き終えたチェルノボークは、自分一人だけに責任があると主張する。
「寵姫殿の言葉を意訳するならば、自分が死病を患ったことで大量の生命が奪われる。
そのきっかけを生んでしまったことが自分の責任であるということか?
すなわち、根本的な原因は寵姫殿にあるから、寵姫殿にも責任がある。
そういうことでいいのか?」
魔王サタンの述べた言葉は、チェルシーの身体を蝕む死病にこそ根本的な原因であり。
チェルノボークの犯した罪は、その副次的なものでしかないということ。
「はい……そうです……あたしと……あなた様に……責任があるので……二人で……責任を取りましょう……?」
「ああ……そうだな。
私は一人ですべての責任を背負うとしていた。
君の気持ちを無視して。
君が一緒に責任を取ると言ってくれたおかげで、私は気づいたよ。
ありがとう、チェルシー。
私とともに課せられた罪を償っていこう」
チェルシーの言葉を受け入れたチェルノボークは、一人で責任を背負うことを止め、二人で償いの道を歩むことを決めた。
「もう心は決まったようだな。
それじゃあ、寵姫殿を蝕む死病と魔神殿の死と滅びの神格を剥奪させてもらうぞ」
「ああ、よろしく頼む」
二人の決意を傍らで見ていた魔王サタンは、黒衣の懐から無色に近しい透明な水晶球を取り出すと、詠唱をするように命ずるかのように声高々に叫んだ。
「我、創造偽神デミウルゴスの使者。
魔王サタンの名において命じる――
世界の構成を為す理よ。
我は今、創造の水晶球を介し汝を改変する意志を伝えよう――
我が意に応え、我が意に従い、彼の魔神の持つ権能を書き換えよ――
あまねく療治を凌駕せし、宿主を蝕み抜こうとする死病を敗北に書き換えよ――
宿主の死の運命すらも書き換えよ――!!」
魔王サタンが取り出した創造の水晶球が、詠唱者による命令に呼応するように内側から慈愛に満ちた柔らかな光を発した。
すると、優しくも強い、最大限の光量となって寝室全体を包み込む。
そして、硬質の物体が砕け散るような硬い音と共に光が治まった。
「なんだこれは……力が思うように入らぬ……それに、気だるさも感じてきたぞ……。
まさか、これが……人間になるということか……?」
光が治まり、最初に声を出したのは、脱力感に包まれたチェルノボークだった。
「その気だるさは、魔神から人間に近しい存在になったがための、以降する感覚ではないのか?
まぁ、しばらく経てば身体が順応するだろうな」
チェルノボークに起きた脱力感を、魔王サタンは右目にある紅紫の瞳でその様子を見てから、大ざっぱに分析する。
「そうか、しかしチェルシーはどうなっている?」
魔王サタンの分析を聞いたチェルノボークは、自分の身体の順応を気にするよりも先に、愛しき者であるチェルシーへと気をかけた。
「息が苦しくない……? 身体が軽い……治った?
あたし、治ったんだ。チェルノボーク様も無事で本当に良かった……」
今まで、自身を蝕み。苦しみの激痛を抱かせ。死へと呑み込もうと生命に寄生して。灯を削り取っていた。
チェルノボークが憎しみ抜いていた死病が消え去ったことに、チェルシーが涙を流しながら喜び。
泣きつつも笑顔を浮かべていた。
「それは良かった。私も自分のことのように嬉しく思うよ」
チェルノボークもまた、うっすらとだが涙腺を弛ませ抱き締めるように寄り添いながら言った――。