Rise 07
「――微妙な時間になってしまったが、食事にでもするかい?」
噴水広場まで戻ってくるとリックは食事に誘ってきた。
親指で指し示した方向には連なった家屋の2階から、オレンジ色の垂れ幕が何本も垂れ下がっている場所が見える。
店先で客が賑やかに飲食している様子を見るに、どうやらレストランと言うより大衆酒場と呼ぶ方が似合っている場所かもしれない。
私は改めて空を見上げると、リックが「微妙な時間」と言っているだけあって、昼食にするにも夕食にするにも微妙に感じる日の傾き方をしている。
だが、店の方向から流れてくる香辛料の香りに身体が反応して「ぐぅ〜」っとお腹が鳴ってしまい、私は恥ずかしさからカレンに抱きついて顔を隠した。
「フフ、思えば今日はお菓子しか口にしてないものね。行きましょうか」
今度はカレンが先行し、お店に向かって歩き出した。
――お店に入ると店内は思った通りレストランというより酒場のような雰囲気の空間になっていて、部屋の奥一面はカウンター席、その上には2階席が見える。その他の空間には大人が立って肘置きできるくらいの高さの丸テーブルが9席あり、それを囲んで大勢が立って飲食を楽しんでいる。
私たちの存在に気付くと奥のカウンターから「いらっしゃーい」と30代くらいの黒髪女性が声をあげ、続けざまに白い半袖のクロップドトップスにカラフルなパレオスカートを履いた褐色肌で額にヘアバンドをした白髪アフロヘアーの女性がこちらに近づいてきた。
「こんな時間に珍しいじゃんカレン、しかも子供連れてなんて。まさかアンタの子?」
「何でそうなるのよ。違うから! 私これまで交際相手も居たことないから!」
私を抱きながら全否定するカレン(カレン、そこは全否定しないほうがいいよ)。
「はいはいアンタが行き遅れそうな『処女』だってことはわかったから落ち着きなさいな」
「うるっさいわね」
「でー? そこの可愛いお嬢ちゃん、初めて見る顔だねぇ。お名前は〜?」
睨んでいるカレンの顔を押し退いて抱っこされた私を物珍しそうにアフロ女性は見つめ話しかけてきた。
「……キャリィ、です」
「そうなんだ〜! キャリィって言うんだ〜! アタイはここの店で働いてるキャシィってんだ、よろしくぅ〜。3名様ねー!」
奥のカウンターにキャシィが大声で人数を伝えると黒髪の女性が手を挙げて応えていた。
「それじゃ、こっちにどうぞー。」
手招きされ私達は入口脇の階段から2階のテーブル席に通された。
「いやぁ、それにしても『キャリィ』に『キャシィ』って名前似てて好感持てるわ〜。これ、お近づきの印に」
カレンが私を抱くのをやめて席に座らせると、既にテーブルに用意されていた3つのグラスの内の1つをキャシィが目の前に置き、掌をグラスにかざして何か言葉を口ずさんだ。
するとキャシィの手全体が淡い光に包まれ、掌から乳白色の液体が流れ出し、グラスに注がれた。
「どうぞ♪」
中身の得体が知れなかったが、さすがに頂いた物を拒否することもできず、躊躇いながらも粘性のある液体を口にし軽く飲み込んだ。
「……美味しい」
見た目の色から想像していた牛乳みたいな乳飲料的要素は全くなく、パイナップル果汁の味に似ているが酸味が薄れたような爽やかな口当たりと、掌から出てきたとは思えない冷たさに私は驚いた。
「んふー、そうでしょー」
キャシィはニコニコしながら「えっへん」と仁王立ちをしている。
「いいなー、それってツェルノで飲んでたっていう果実の汁でしょ? いいなー、私も飲みたいなー」
両肘をテーブルに立てて頬杖しているカレンが「ブーブー」言いながらキャシィにおねだりをしている。
「アンタは協会で美味いもん飲み食いしてんでしょうが。アタイにはそっちの方が羨ましいね」
そう言って両手を残ったグラス2つにかざすと透明な液体が出てきた。
「これって……」
「ん? 水だよ? ――あぁ、そうか! 初めて会ったから知らないよねぇ、ごめんねー」
小動物でも触るようにキャシィは私の頭をナデナデしてきた。
「アタイは一度口にしたことがある液体なら何でも掌から生み出すことができる魔法を持ってるんよ」
キャシィは手をヒラヒラさせながら教えてくれた。
「便利そう」
「ま〜、ただ生み出すと言っても私の中の水分を別の液体に変えてるだけっぽいから、同じ分だけ何か飲まないとカラカラになってそのうち死んじゃうんだけどね〜」
(――命がけの給仕じゃん)
「そんじゃ、なんか決まったら呼んでねーん」
キャシィは腰に括り付けてあったメモの束を3つテーブルに置くと、階段を降りて去っていった。
「……なんか、凄い人だね」
「キャシィは元々ツェルノからやって来た旅人なのよ。あ、ツェルノって分かるかな?」
「えと、私の記憶に残っているわ」
流石に人前で自分を「キャリィ」と呼ぶのも不自然と思いニュアンスを変えてみた。
「そっか。キャリィは中々博識ね。その辺のこともこれからゆっくり私達に教えてくれると嬉しいな」
キャシィ同様カレンも私の頭を撫でてきた。
「ま、とりあえず今は食事にしようか。研究所以外の食事は久々でね」
リックは先ほどテーブルに置かれたメモ束をペラペラ捲りだした。
「というか、協会の外に出るのも久々なんじゃないの?」
そう言うカレンも同じようにメモをペラペラ捲って書かれている内容を目で追い始めた。
「んー、前に出たときはエレンの団長就任のときだったかなー、たぶん」
「それって二年も前の話じゃないの……」
そんな談話を続ける2人を見つつ、私もメモを手にとって中身を見てみた。
「ふーん」
手書きで記された内容は、日本人の私から見れば全く見たこともない文字だったが、キャリィがきちんとした教育を宮廷時代に受けていたため、書かれた文字はスラスラと読むことができ、意味も通じる。
そんな姿を見て隣に座っていたカレンが私に顔を近づけると耳元で囁いた。
「もしかして、こっちの文字読めないとかある?」
どうやら心配してくれていたようだ。
「ううん、大丈夫。ちゃんと読めているわ、ありがとう」
そう言って私はメモの一文を指差し迷わずカレンに注文を告げた。
「――この『カツ丼』が食べたい」
――他愛もない会話を続けていると、しばらくしてキャシィがキッチンミトンを装着して私の目の前にグラタン皿のような厚手の器を「ドン」っと置いた。
「お待たせ〜。熱い熱いだから、ゆーっくり食べてねー?」
そう言ってまた私の頭を撫でてきた。
だがそんなことより私の視線は今目の前の料理に釘付けになっている。
香ばしい香りの湯気が立ち、表面は固まりかけの溶かし卵でコーティングされながらも、その下では衣がキツネ色に揚げられた肉がゴロゴロしているそれは、器は違えど正に「カツ丼」だった。
「キャリィ……それ、多くないかい?」
私はリックの言葉も耳に入らず、解いていた髪を再びポニーテールに纏め上げバスケットに入った木製のスプーンを手に取ると、肉と共に隠れていた穀物をすくい上げ「フーッ」っと何度も息を吹きかけながら口に入れた。
「……」
「キャリィ大丈夫? 熱かった?」
両手を握りしめ、肩を震わせ下を向く私をカレンが心配そうに見ているのが横目に見えたが、そんなことよりも。
「美味しい……」
更にもう一口頬張る。
「美味しすぎる――」
私の感想にそれ以上の言葉は無く、後はひたすら黙々と目の前の食事に舌鼓を打ち続けた。
「……まぁ、育ち盛りだからね」
リックにはそんな一言で片付けられてしまったが私は今、病院食以外の、それも外食といえば定番として食していた「カツ丼」にありつけている喜びを数年ぶりに肉とともに噛みしめている。
「しあわせぇ……」
ある程度味覚とお腹が満たされると、口元にご飯粒が付いているのも気付かずそんな言葉がこぼれた。
「迷わず選んだけど、もしかしてコレ、キャリィの居た世界の料理だったり?」
私は口を「モグモグ」させながら首を何度も縦に振った。
「まぁ、救済者はキャリィ以外にも老若男女問わず世界各地に点在している。救済前の記憶を意識してか無意識かは分からないが、ソイツがこの世界に広めたんだろう」
話している内にリックにはコンソメスープのような物と、春巻きを長く細くしたようなキツネ色のスティックが何本も差し込まれた瓶が届き、「ボリボリ」と無表情で食べ始めた。
「貴女、キャリィを見習えとは言わないけど、もっと食事は楽しんだらどう?」
呆れたような口調でリックに話しかけているカレンの前には青々とした野菜が盛られたサラダ「だけ」が届けられた。
「君こそ、もっと好きな物を頼んで食べたらどうなんだい?」
リックの言葉を聞くとカレンはフォークを使い「グサッ」と音を立てて勢いよく野菜を刺した。
「なんのことかしらー?」
「以前に行われた何かの立食会の時はもっと肉を食べていただろう、それも笑顔で。本当は野菜より肉が食べたいんじゃないのか?」
「うぐっ――!」
どうやら彼女は野菜より肉が好みらしいが、お腹を擦っているところを見ると、もしかしたらダイエット中なのかもしれない。
「痩せる魔法とかないの?」
私が思い浮かんだことをそのまま口にするとカレンは「バッ」と私に向きを変え、語気強めに言葉を口にした。
「駄目よ――! もしあったとしても、それを知ったら最後、私は肉しか食べなくなってしまうわ!」
(そこまでなのかぁ……)
「まぁ、野菜を食べ続けるにしても程々にね。君は何でも極端すぎるから」
リックは窓の外を眺めながらスプーンで器用にスープをすくい飲んでいる。
「リックこそ、そんな食事を続けてたら身体が――」
2人の様子を見ながら、病院での個室生活で、食事も1人きりだった頃の記憶をふと思い出した。
あの頃は箸を持つのも辛くて、口に物を運ぶのに腕を曲げると点滴の痕が痛くて。
そんな私が今は誰かと一緒に美味しい食事を共にできる喜びを感じられて「ここに食事に来れて良かった」と自然と呟いた。
「そんなに『カツ丼』って美味しかったの?」
カレンが何か勘違いして私に聞いてきたが、昔の辛かった時の話を持ち出すこともないと思い「そうね、凄い美味しかった」と笑顔で答え、その後も談笑しながらの食事は続いた。
「はぁ〜、美味しかった。ごちそうさまでした」
食事を終えてお店を出た私は2人に振り返り感謝の言葉を口にした。
「ゴチソウサマデシタってどんな意味なの?」
「えーっと、『食事を提供していただき、ありがとうございました』って意味かな」
「へー、そんな言葉なんだね。私も次使ってみようかしら。ゴチソウサマデシタ?」
カタコトで言うカレンが面白かった。
「違うよ。『ごちそうさまでした』だよ」
「『ごちそうさまでした』ね。うん覚えたわ」
他愛もないやりとりが何故か面白くてカレンと一緒に笑ってしまった。
「さて、これからどうしようか」
「直近の問題としては、キャリィの寝泊まりに関して考える必要があるか」
私からは何か言えることはないと思ったので、黙って2人の様子を伺っているとリックが私に質問してきた。
「キャリィは一人がいい? それとも誰かと一緒がいい?」
私は「一人」という単語を聞いた瞬間、前世での病院生活や母親しか共に過ごす相手が居なかったキャリィの記憶を思い浮かべると「誰かと一緒がいいかな」と答えた。
「そうか。なら、カレン。お願いできるかな?」
「あら驚いた。きっと貴女ならキャリィに質問攻めするために連れて帰ると思っていたわ」
「そうしたいところだけど、私は私だけの生活で手一杯でね。彼女をしっかりと養育していけるか分からないんだ。最悪私が彼女のお世話になってしまいそうだよ」
そう言ってリックは肩をすくめている。
「私生活に頓着しない貴女なら確かにそうかもね。住んでるのも協会だし、キャリィには肩身が狭い思いをさせるかも。……わかったわ、何か進展あるまでは私が引き取るから、キャリィ安心して?」
私は「ありがとう」と口にしながらカレンに頭を下げた。
「それじゃ、今日のところはここまでにしようか。明日からは今後の方針について改めて確認しよう。それまでは不安を抱かず、君が思う『いつも通り』に過ごしてほしい。じゃあね」
リックは片手を上げるとポケットに手を突っ込み、火を付けないタバコを咥えながら協会の方向に去っていった。
「なんか、これまでのやり取りを見てると無愛想だったり勢いがあったり、辛辣だったり優しかったり……なんだか分からない人」
そんな感想を口にしながら私はリックの背中を見送った。
「優しい人よ、彼女は。……それじゃあ、私達も行きましょうか」
「ええ」
私はカレンに差し出された手を握ると、背後で聞こえる噴水の音と「コツコツ」と鳴るリックの足音を感じつつその場を後にした。
沈みかけの太陽に背後から照らされる私達の足下からは、手を繋いだ2人の影が前方へと長く伸びている――。
キャリィが母と手を繋いで歩いた過去の記憶が重なって、懐かしいような寂しいような、そんな気持ちに私はさせられた。