Rise 06
「陛下に会って話をする提案をしたのは私だが、流石に疲れたね」
リックは足が痺れたのか立ち上がって足首のストレッチを始めた。
「――それでリック。実際のところどうなの?」
カレンも背伸びをしつつリックに問いかけた。
「何がだい?」
「キャリィのことよ。あんな決意表明させちゃって、もちろん成功させるわよね?」
「技術的なことに関してだけで言えば、これまで私が作り出してきたもので失敗した道具はない。だが試験をしたことが無いのも事実だったから最悪を想定させてもらった」
リックはポケットからタバコを取り出して咥え始めた。
「――ちょっとリック!」
指先を練り合わせようとしているところをカレンに呼びかけられ、リックは後頭部を掻きながらタバコをそそくさとケースに戻した。
「はぁ……後はキャリィがどの場面で魔法を発動するかに掛かっている。キャリィが忽然と消えたと思わせるには一人きりの時を狙うしかないが、一度国外逃亡をしたキャリィに対して単独行動を許すはずがない。帝国の監視によっては脱出まで長期間となるか……」
「まったくもう。――キャリィ、大丈夫?」
私は王様が出ていった扉をずっと見つめ緊張からまだ解放されずにいたが、カレンが優しく私の肩に触れた瞬間ようやく我に返った。
「……カレン。うん、大丈夫、緊張しただけ」
私もカレンたちを見習い背伸びをした。
「必ず成功させてみせますって言ったことも私は後悔してないし、失敗したときのことが想像できなくて……むしろ予想外な希望が残されてて帝国を脱出して逃亡先を王国に選んで良かったなって思えるの」
「キャリィ……」
人前で自分の気持ちを発露させるなんて今まで無かったことだから急に気恥ずかしくなってしまい、その気持ちを振り払うように別の話題を口にした。
「――それにしても! こんなに緊張したのは前の世界では歌のコンクール以来だわ!」
「コン、クール? なぁにそれ?」
カレンが首を傾げている(あぁ、こっちの世界には無い言葉か)。
「えーと、試験……でもないな。うーんと、大勢の前で歌を唄う催し……みたいなものかな?」
「それに類することはウィーセス祭でも行われているね」
「ウィーセス祭?」
今度は私が馴染みない祭の名前が登場した。そもそも入院生活だった私が最後に「祭」と名のつく催しに参加したのはいつのことだったか。
「神ウィーセス。この世界を創り上げた神様を一年に一度讃えるお祭りよ」
「君は信仰部門室長だろう? そんな大雑把な説明でいいのかよ」
リックは苦笑している。
「どんな存在なの? そのウィーセス、様?」
「キャリィってもしかして信仰とかに興味あったりする?!」
私の質問にカレンが目を輝かせ始めた。
「いやその、私が元いた世界にも神様を信仰する人は多かったんだけど、私は信じてなくて。でも実際に転生を経験してみると、死んだ人が生き返るっていう『神の奇跡』って本当なんだなって。書物や言い伝えはもしかしたら本当だったのかもなって思えたら、前より疑念を持たずに神様について聞けそうな気がするの」
「それならキャリィは運がいいね。ここに最も神のことに詳しい方がいらっしゃるよ」
そう言ってリックはカレンの肩をポンポンと叩いた。
「何か含みがある言い方ね」
「そんなことはないさ。ただ神ウィーセスがどうのこうのと話を始めたら、絶対に私たちは衝突するからね。さっきの件で疲れたし、今日はお手柔らかにお願いしたいものだと思ったまでさ」
リックはため息混じりにわざとらしく肩をすくめる動作をした。
「貴女が私の信仰に文句を言ってこなければいいだけのことよ」
「ハイハイ、善処はするよ」
「もぅ……それじゃあキャリィのためにこの私、ウィーセス協会信仰部門室長のカレン・フロイトが神ウィーセスが初めてこの世界に降臨した実話を説明するわね。遥か昔……」
そこからは長い長ーい御高説が続いたのだが要約すると、この大陸「テライグレイス」は、遥か昔海底に一度沈んでしまい、大陸に存在していた動植物や人、文明は滅び、テライグレイス周辺の小島のみが残るだけとなってしまったらしい。そこで登場するのが『ウィーセス』という神様で、テライグレイスに起こって出来事を嘆き悲しんだ神ウィーセスはテライグレイスを再び浮上させたという。テライグレイスの生き残った人々は周辺の小島に住んでいた人々と手を取り合い、失われてしまった文明を『神ウィーセスの中に残された記憶』を頼りに再構築し、人間社会を取り戻したとされているらしい。
「ふぅ……簡単にはなるけど、こんなところかしら。――伝わった?」
カレンは凄く満足そうにしている。
「なんというか、本当に神様がすることってスケールが大きいなって思ったわ」
「スケール?」
「ええっと……『壮大だな』ってこと」
「あぁなるほどね。今度時間があるときに前の世界の単語とか教えてほしいわ」
「――前の世界の情報は時としてこの世界に影響を与える、のではなかったかい?」
カレンの興味に対してリックは手に持つタバコのケースを眺めながら咎めた。
「知る分には問題ないと私は思っているし、世界に対して調和できる内容なら世界が発展するのは良いこととも思ってる。個人的な考えだけどね。さ、外に出ましょう。リックも口が寂しいでしょうし」
「私はそこまで子供じゃないよ」
と言いつつもリックはタバコが吸えることに対して嬉しそうにしている。
「歩きながらで良いんだが、やはり私の意見も聞いてもらってもいいだろうか」
「衝突したくないって言ったの貴女なのに――まぁいいわ、ほどほどにお願いね」
「『善処する』とさっき言ったからね、了解したよ」
リックを先頭に扉の前まで辿り着くと何もしていないのに扉は自動で開き、よく見ると先ほどの兵士が再び扉を開いていた。
私達が通過したのを確認すると兵士2人は扉を閉め、ハルバードを携え直し「ガシャン」と大きな音を立てた。
私は聞き慣れない大きな音に驚いたが、リックはそんなことも気にせず前を向いて進みながら話を続始めた。
「キャリィが前に居た世界での神の力は書物や言い伝えでしか残っていないというような言い方だったが、それはこちらの世界でも似たようなものだよ。だが様々な調査の結果、ある一定の距離まで地面を掘り進めると同じ距離に塩害に遭っていた部分が大陸中で見つかっていることから、この大陸テライグレイスが海に沈んでしまったのは事実のようだ。更にその上に敷設されるように文明が栄えた痕跡が遺跡として各地に残されていて、そのどの文明にも必ず『文明は再構築された』『神ウィーセスの知識によって』と当時の人類が残した記録が見つかっていることからも、神ウィーセスの知識によって人々は文明を取り戻したというのも事実だ」
そして来たルートとは違った方向に歩みを進めると、滑らかな表面をした大理石の女性像のある小さな広場に着いた。
ここは喫煙所も兼ねているのだろう、タバコを吸っている数名の男女がいたが、リックとカレンの姿に気づくとタバコの火を消しそそくさと出ていってしまった。
「そろそろ始まるからここに来たのか」
カレンが納得したように呟くと近くのベンチに座り、リックはタバコに火をつけて女性像を見つめつつタバコの煙をくゆらせた。
私はどうしようと考えていると、カレンが手招きをしたので隣に座ろうとするとカレンに背中から抱き寄せられ、カレンの太ももの上に跨るように座らされた。
「だが。この女性、神ウィーセスの存在は、テライグレイスが沈む以前はどういった存在だったのか、記録が一切残されていない」
「はぁ……いつもリックとは『ここ』から衝突するのよ」
私の頭頂部にカレンは自身の頬を当てるとため息混じりに呟いた。
「いつも言ってるけど、文明は一度滅んだのよ? 全ては海の中。記録が残っているはず無いじゃない」
「カレンが話した『事実』によれば生き残りたちが居たはずだ。彼らが記した、残した、手元に残していた『以前』の記録があっても良いはずだ。それが『僅か』ではなく『何もない』は私から見て普通ではない」
「もう遥か昔のことよ? 貴女が見つけられていない、もしくは長い歴史の中で失われてしまった書物があっても不思議じゃないわ」
「他にもある――。大陸を浮上させるほどの力を持っているなら、なぜ大陸が沈むのを止めなかったのか。知識を与えた後、神ウィーセスはどうなったのか」
「それこそ『神のみぞ知る』よ。私たちがこうして文明を取り戻せたのは神ウィーセスなのは間違いないんだから。大体その発言事態が信仰者との間に軋轢を生む原因になりかねないわけで――」
(なるほど、こんな感じになるんだ)
私も生前は信仰していたわけじゃなかったし、病になったときは「神様助けて」と縋りついたこともないけど、「転生」って空想の産物を本当に体験してしまった今は「神」という存在を信じる傾向にある。
「でも、神ウィーセスには感謝しないとね」
ふとそんなことを口ずさむと2人は問答を止めて私を見つめてきた。
「なんで?」
「なぜだい?」
2人揃って同じようなことを口にしたのが可笑しくて少し口元が緩んだ。
「だって、私はその神ウィーセスの寵愛によって救済されたんでしょ? 元の持ち主であるキャリィには申し訳ないけど、こうやって私が生きて二人と話ができるのも神ウィーセスのおかげだと思うと、感謝の気持ちが自然と湧いてくるわ」
「キャリィ、確かに貴女は神から救済されたけど、貴女を救済してくれた神は神ウィーセスとは別の神よ?」
「――え? 違うの?」
「ああ、神ウィーセスは文明を取り戻した神ということで世間一般には『文明神』なんて呼ばれて広まっているが、救済に関しては逆に世間一般に知られてはいけない秘匿すべきことだから、我々のような高位な役職に就いている者にしか名前も知らされていないんだ」
「それも何かの文献に名前が残っているの?」
「いや、文献というか――」
「実際に神様から直接救済された人がいて、その人が特定の人だけに名前を教えたらしいの」
言いづらそうにしているリックに代わりカレンが話を続けた。
「その人って王国の人?」
「ううん、その人は王国より更に南方にある不可侵領ツェルノに300年以上住んでいると言われる『魔女』らしいの」
(魔女って存在がいるんだ。まぁ、魔法を使える女性がいれば呼び方次第では誰もが魔女になってしまうのか)
「……喫煙も済んで私も満足したし、ここを出て帝国に対する策でも予習しようか」
まだ半分は残っているであろうタバコの火を消すと、リックは広場から私たちを置いて出ていってしまった。
「あ――、ちょっとリック! 待ってよ!」
カレンは私を抱っこに切り替えて抱き上げると、リックの後を小走りに追いかけた。
私は話に耳を傾けながら「魔女」の単語が出た際に、リックが哀しそうに表情を変え、私と目が合うとタバコを吸う動作をしながらその手で表情を隠したのを見逃さなかった。
帝国のことや自身のこの先ことも気がかりではあるけれど、私はそれ以上にリックのことが心配になってしまい、カレンに抱かれながら顔だけ前方に向けるとさっきの表情を見てしまったせいか、リックの背中もどこか哀しそうに見えてしまった。