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Rise 01

 

 ――鐘楼の鐘の音で私はふと我に返った。

 瞼を開くと、そこには大理石で建築された純白の空間が広がっている。

 正面には二列に並び向かい合っている甲冑の兵士が何十人と居て、天窓から降り注ぐ太陽の光を甲冑が反射しとても綺麗な光景だ。

 その兵士の間を乱れのない赤一色の絨毯が一直線に敷かれ、その先端にはこの空間唯一の荘厳な椅子が設けられている。

「団長、あ、いえ、陛下。お加減でも?」

 私のやや右後ろに控えて立っていた青年が私の挙動の違和感に気づき声をかけてきた。

「大丈夫よ。とんでもない場所に居るな、と思ってね」

「そうですね。私もこのような場に立ち会えるだけでも光栄で、まるで別世界にでも居るようです」

「別世界、か。――フフッ」

「あ、申し訳ありません。感想が子供っぽかったですね。改めます」

「いいのよ。私も子供の頃にそんな経験をしたことがあったなと思って笑ってしまっただけだから。――行きましょうか」

「はい、陛下」

 私は改めて背筋を正すと、絨毯の先端にある椅子「玉座」へと歩み始めた。

 真っ赤な絨毯を一歩一歩踏みしめながら、私は先ほど口にした「子供の頃」の記憶を頭の片隅に思い出し始めた。


 ――目が覚めて最初に感じたのは、右側頭部の痛みを冷たい床で冷やしている感覚。

 まだ霞む意識の中で徐々に目を開くと、明かりが何も点いていない部屋の床に私はうつ伏せになっているようだった。

 床に頬ずりなんて今までしたことはないが、それでも頬から伝わる床の感触は人工的に加工された滑らかなものではなく、今にも朽ち果てそうな木材で構成されている。

 その感触から少なくともここは私が生活をしていた病室ではないということは理解できた。

 身体を起こそうとしたが全身に上手く力が入らず、何かを掴まなければ上半身さえ起こせない状態に私は側頭部の痛みを堪えつつ、真っ暗な部屋の中をうつ伏せのまま掴めそうな物を手探りで探し始めた。

 その場で周囲をペタペタと触り続けていると、指先が前方の何かに触れられた。

 私はその側まで這い寄り近づくと、それは何かの柱であることがわかった。

 腕に力を籠めて柱を支えに上半身を起こそうとしたが柱は固定されていないようで、力を込めた方向に柱が傾き私は途中まで起こせた身体を再び床に打ち付けた。

 するとその振動が伝わったのか、建付けが脆くなっていたのか、室内の壁板の一部が床に落下し星明かりが部屋に差し込んできた。

 その明かりによって照らされた室内で、自分が何を掴んだのか正体がわかった。

 テーブルの脚だ。しかも私が知っているテーブルよりかなり大きい。

 だが相当劣化しているようで、私がもう一度握るとグラグラ揺れ不安定だ。

「?!」

 だがそれ以上に驚いたのは星明かりに照らされ浮かび上がった私の手だ。

「小さい……」

 そう、小さいのだ。小児科に入院している子供と院内で接していたことがあったが、その時に握った子供の手先くらいのサイズしかない。

 自身のサイズが小さいことに混乱しかけていると、揺らしたテーブルの上から何か紙切れが私に落ちてきた。

 ニつ折りにされたその紙を開くと、中には黒鉛筆一色で描かれた大人の女性と女の子が手を繋いでいる絵とメッセージが記されていた。

「大好きです、お母様。キャリィ……ぐっ?!」

 メッセージに記された名前を口にした瞬間、私は急激な吐き気に口を抑えうずくまった。

 誰かの今生、日々の記憶。思い出したというより倍速で今まさに追体験しているような感覚。

 そんな情報の波が私の頭を駆け抜け、その情報が最終地点に到達すると何事もなかったかのように私の頭の中は静まり返り、吐き気も治まった。

 私はまだ上手く力が入らない身体に鞭打ちながらも、今度はテーブル近くの椅子を支えになんとか立ち上がることができた。

 そして今得た情報を頼りに部屋の突き当たりにあるボロボロの姿見へ歩み寄り、閉じられた観音開きの扉の片方を軋ませながら開くと、鏡には私が予想していた人物が映し出された。

 銀色の長い髪に、夜空と同じくらい蒼い瞳、薄汚れてボロボロな服を纏っているが、素体は西洋人形のような綺麗な出で立ちをした少女。

 私が顎を上げると、少女も同じ動きをして顎を上げた。

「思った通り」少女の首には縄で付いた絞め痕があり、想像していたことの確信を得られたことで、私の動悸が激しくなるのがわかった。

 鼓動が耳の中でも鳴り響き、手も震えだしたが、私は意を決して閉じられているもう片方の扉を開くと「思った通り」鏡の中にもう一人の女性が姿を現した。

 その女性は微動だにすることなく、少女の後方3メートルくらいの高さから生気がこもっていない瞳でこちらを見下ろしている。

 私は振り返って女性に近づき上を見上げると、そこには鏡に映った少女「キャリィ・ラルード」の母親が首を括って息絶えていた。

 目を閉じると、まるで走馬灯のようにキャリィの想いが再び私に伝わってくる。

 それはまるでキャリィが私のために本を朗読して伝えているかのように感じた――。


「グロワール帝国。この大陸のほぼ中心にある帝国で、西にはラミニス王国、東にヤフトマー連合国、北にオーセィア帝国、南に不可侵領ツェルノといった4つの領域に囲まれている国です。」

「そのグロワール帝国皇帝が私のお父様で、私の名前はキャリィ」

「私のお母様は皇后様の側仕えのお仕事をしていて、お仕事中は凛々しくて、普段もとても優しい素敵なお母様です」

「私のお父様が皇帝だということは内緒だったようですが、私が7歳の時に皇后様に知られてしまい、私もお母様もお城から追い出されてしまいました」

「街で暮らすようになった私たちに周りの人は『皇帝を誑かした魔女』とか『生まれてはいけなかった娘』とひどい言葉を浴びせてきました」

「それから1年が経ち、頑張ってきたお母様も、私も、とてもとても疲れてしまいました」

「だからお母様が私と『天国に行こうか』と言ってくれたときはとても嬉しかったです」

「街ではお金があっても私たちに食べ物を売ってくれないお店が多いのに、それでも最後の夕食をお母様はごちそうにしてくれました」

「私はお母様が大好きだったので、その気持ちを絵と言葉にして紙に書いてお母様に贈ると、涙を流して喜んでくれました」

「もう終わりの時間になり、お母様が私の首に縄を結ぼうとしましたが、手が震えてうまく結べないようでした」

「私は天国に行くのがちっとも怖くなかったので、お母様に背中を向けながら髪をすくい上げて、首元が見えやすいようにしました」

「昔宮廷にいた頃、こんな風に髪を上げて首飾りを着けてもらったことを思い出して口にすると、お母様は笑顔になってくれました」

「縄を結び終えて私を優しく抱きしめたお母様が『ごめんね。私も、すぐ行くから』と言うと、私をゆっくりと手放しました」

「私は首だけが支えとなり、とても痛くて苦しくなりましたが、お母様と天国に行ける気持ちが強くて、苦しみは長い時間は続かなかったです」

「目の前が一面真っ白になったとき、お母様は苦しくありませんように、と私は祈りを捧げました」


 ――彼女の意識が途切れる瞬間、彼女の視界は空中から一気に床へ落下し、そこで彼女の記憶は途切れた。

 右側頭部の痛みはこの時床に頭を打ち付けた際のものだろう。

 縄の結び目が緩かったのか、それとも母が助けてくれたのか、それは分からないが「キャリィ」は目覚めることはなく「楠木ヒカリ」という私が目を覚ました。

 閉じていた目を開き、目の前の母の「死」を見つめていると、私も「死」を経験中だったことを思い出した。

 目覚める前の私は彼女たちほど辛い人生ではなかったけれど、成人して間もなく私は不治の病を宣告され、抗えない死が刻々と迫る日々を戦々恐々としながら送っていた。

 私がキャリィとして目覚める前日も、全身の激痛を痛み止めで和らげつつ眠りについた筈だったが、そんな私が死んだはずのキャリィの身体をしているということは、きっと私はそのまま死んで、空想の産物や絵空事とされている「転生」と呼ばれるものを経験中なのかもしれない。

 キャリィ本人はどうなってしまったのか疑問も残るが、今私がキャリィの身体をしている以上は私が彼女のこれからを引き継ぐ他はない。

 先ずは現状と、これからどうするかを思考してみよう。

 本来なら死んだはずのキャリィが生き返ってしまった。

 だからといって再び母と心中するわけにもいかないし、これまでと同様二人が受けてきた苦痛を明日からまた味わう気も毛頭ない。

 しかし帝国で生きていくことは追放された身分を抜きにしたとしても、たった1人の子供の力では先ず無理だ。

 母を失い孤児となったことを宮廷に伝えたとしても皇后が私の出戻りを許可するわけがない。

 皇帝も、私を一瞥するだけだろう。

 幸いにもキャリィが宮廷で過ごしてきた記憶の中に、隣国についてのやり取りが残っている。

 その中の記憶では、世話をしてくれていた侍女の1人は隣国ラミニス王国の出身で、そこでは身分の別け隔てがなく安定した風土の中で生活できると微笑みながらキャリィに語っていた。

 ここで生きていけないのであればその情報を信じ、そこを目指すのが得策だろう。

 たった1つにして最大の指針が定まり、私は出立のための準備を始めた。

「先ずは……」

 首を括ったまま空中にいる母を下ろしてあげたいと思い、首を繋いでいる縄を切るための道具を探して化粧台に置いてあった錆びかけのハサミを手に取った。

 私が括られた縄は天井近くの梁に結ばれていたが、母を支えている縄は梁を経由してこの部屋唯一のドアノブに繋がっており、まるで外部の人間がドアを開いて部屋に入ってくるのを防ごうとしているように見えた。

 それが幸いしてか、今の子供の体格でも私はハサミの片刃をノコギリのように使って縄を切断することができた。

 受け身を取ることなく床に落下した母を仰向けにし、見開いた両目を閉じさせると胸の上で母の両手を握り合わせた。

「この小さな体では埋葬してあげることができない。ごめんなさい」

 私は立ち上がり、逃亡のために利用できる物はないか周囲を伺うと、部屋の入口脇に置いてあるショルダーバッグが目にとまった。

 バッグの中に手を入れると、子供の体躯では両手で扱うことになりそうな大きさのダガーナイフが2本入っており、私はその内の1本を引き抜いた。

 私の身体が子供だからだろうか、見た目の印象より重さがあるダガーの柄には1本の大樹が描かれた黄金色のコインが装飾として嵌め込まれていた。

 おそらく支給品ではなく母が個人的に愛用していた物なのだろう、よく手入れがされている。

 キャリィの記憶にあった通り母は皇后の侍女をしていたようで、戦闘面に関しても「皇帝の近衛騎士に並び立つほどの腕前をしていた」と別の侍女がキャリィに話していた記憶がある。

 私はバッグの中に重いダガーを戻すと、そのバッグを片手で軽々持ち上げた。

「――初めて持ってみたけど、不思議な物ね」

 このバッグは言うなれば魔法のバッグで私ことキャリィのお手制だ。

 追放が決定した日に母と2人で荷物をバッグに入れていると、母が入りきらない思い出の品を見つめながら「もっとこの鞄に荷物が入れば」と淋しそうに呟いた。

 それを見て深く悲しんだキャリィがバッグを力強く握ったところ魔法が発動し、バッグは家1つ入るくらいのキャパシティを備えた魔法のバッグとなった。

 便利なもので、バッグの中に手を入れると頭の中に中身の情報が浮かび上がり、意識した物を手に取れるという仕組みにもなっている。

 キャリィが空間魔法を扱える素質があることは、母とキャリィ、そして私しか知らない。

 そんなことを思い出しながら私はバッグを肩に掛けた。

 次に化粧台の引き出しの中を確認すると父が餞別としてか、それとも詫び代としての物か、門兵を通じて母に手渡した金銀の貨幣が入った小袋が入っていた。

「隣国に入れば帝国貨幣も換金できるんだろうけど、私の身なりで金貨を持っていたら怪しさ全開ね。まぁ、無いよりはマシなんだろうけど」

 私はそう言いつつ魔法のバッグに袋を突っ込んだ。

 部屋の物色を終え、姿見の前を通ると視界の端にヒラヒラしたものが映り込み、私は一歩下がって姿見に映るキャリィを見つめた。

 ヒラヒラしていた物は私が履いているスカートだったようで、プライベートでも入院中でも私はスラックスだったから、スカートはどうも落ち着かなかった。

「……仕方ない」

 私はバッグを床に置いて再びハサミを持ち出すと、スカートの先端から股下の少し先にかけて縦一直線に切り裂き、化粧台にあった髪留めの紐を膝上と足首に1本ずつ結び簡易的なズボンに仕上げた。

 足を上げると内側の肌が多少露出してはいるものの動きやすくはなった。

「見た目はどうあれ動くのならスカートよりだいぶマシね」

 長い髪も、残った紐を1つ使って首後ろで束ねて結んだ。

 これをもって身支度が整ったことを頭の中で再確認し終えると、いよいよ門出の時となった。

 私は再び母に近づき、母の重ねた手の上に私の手を置いた。

「貴女はキャリィの母ではあったけれど、私がキャリィの肉体である限り私にとっても大切な母親よ。これからは私がキャリィを引き継ぐわ、どうか安らかに眠ってね」

 私も生前は母子家庭で育ち、境遇は違いながらもキャリィとは近しいものを感じる。

 そんなことを思い出していると、私の手の甲に左目から熱い涙が一雫だけ零れ落ちた。

 私はキャリィの母の亡骸を前に尊敬の念を抱いてはいたが泣くような心情を抱いてはいない、だからきっとこの涙はキャリィの涙なのだろう。

「辛かったね」

 キャリィの存在を感じることはできないが、私はキャリィを慰めるように涙を伝う自分の頬を優しく撫でた。

「さぁ前を向いて。――旅立ちましょう」

 私は涙を拭って立ち上がり、部屋のドアを開いて新たな一歩を踏み出した。



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