01 独り立ちをする時
土と草が露で湿った匂い。
(これ好きなんだよな)
にやける顔をぐっとこらえて、懸命に走った。
真夜中の森は、いつもならたくさんの虫の声や風でそよぐ葉の音で満ちていて、どこからともなく遠吠えが聞こえてくる。なのに、この夜は何も聞こえなかった。
静かな森を走り回って、私たちが探しているのは、フクロウの羽とツツジの花弁。これから「命のランプ」の作り方を教わるのに、足りない材料を集めているところだ。
私はモズリン、今年350歳になる新米の魔女。
一緒に走っているのはマニマニ、750歳の魔女で私の先生であり、家族のような存在だ。
これまでマニマニからたくさんの呪文や薬の作り方、道具の使い方を教わってきたけど「命のランプ」は初めてで、ちょっと興奮している。なんか凄いものが作れそうだ。
フクロウの羽はすぐに手に入ったけど、ツツジの花弁を見つけるのに苦労した。今年は早く咲いてしまったみたいで、ほとんどが枯れていた。ようやく満開の群生を見つけて、必要な分を採取した帰り道だ。
マニマニは足が速いから、置いていかれないようにいつも必死だけど、今日は特別に早い気がする。
家に着いたら、休む間もなく「命のランプ」の製作に取り掛かった。私が生きている限り炎を灯すランプだそうだ。
長い時間がかかったから、作り終わった時にはへとへとに疲れてしまった。
香りの良いお茶を入れて、ゆっくり味わっていると、マニマニが言った。
「今日、あなたは独り立ちをするのよ。夜明け前にここを出て行かなくてはならないわ」
「えっ?」
器を落としそうになった。
「なんで前もって言ってくれなかったの?」
そう言いたかったけど、堪えた。言えるなら言っているに決まってる。
「あなたがこの家から持ち出すことができるのは、着ている服とあなたの箒、それと今作った命のランプだけよ。ただし、自分のではなく、私のをね」
私たちは互いの「命のランプ」を交換した。
マニマニの顔はよく見えなかった。私は靴と帽子を脱いで、いつも置いている場所へ戻してから、可愛がっていた黒猫とカラスにお別れを言った。
「じゃあ、行くね」
喉が詰まって、小さな声しか出なかった。マニマニにぎゅってしたくて近付いたけど、マニマニは振り向いてはくれなかった。
「モズリン、私たちは二度と会うことはないわ。そういう掟なの」
マニマニが泣いているように聞こえた。
「分かったわ、マニマニ。これまでどうもありがとう。そして、さようなら」
私は暗い空へ箒を飛ばした。
これは魔女の「掟」なのだ。
掟とは暗黙の決まりのことで、破れば「良からぬ事」が起こるから自然と避けるようになった魔女の慣習のこと。
例えば、生き物を魔法の材料にしてはならないとか、魔女は魔女を魔法で攻撃してはならないとか。なんか……当たり前と言うか、これまで聞いたことがあるのは、守るも何も……難しいことではなかったのだけど。「独立したら会ってはならない」なんて、これだけ意味不明じゃない?
掟は守らなければならない規則というより、破ったら何が起こるか分からないから、怖くて破れないって感じのものだと思う。
「良からぬ事」と言うのが、自分に降りかかる災難だったり、相手に迷惑をかける事だったり、中身が分からないところが……怖すぎて掟を破る気になれないのだ。
私だって、掟がどれ程大切なことか分かってるつもりだし、マニマニがそう言うから仕方がないのだけど、「なんで?」って思いが拭えない。これからは独りでやっていかなくてはならないなんて……深く考えると泣きたくなっちゃうから、もう考えないようにしよう。
私はさっき交換して、箒に引っ掛けているマニマニの「命のランプ」を見た。炎は弱々しく小さいように思うけど、マニマニが生きていることはこれで確認ができるし、まだ繋がりが持てているのだと感じられるのが嬉しい。
これからは私もどこかで頑張っているよ、って「命のランプ」を通してマニマニに伝えていこう。
(急がなくちゃ。夜明けまであと二時間くらいかな、慌てちゃう……早くどこかに隠れて太陽の光を避けないと)
私たちの白く透き通った瞳は、太陽の光を見た瞬間に前が見えなくなり、その状態が何日も続いてしまうのだ。
全速力で箒を飛ばした。走るのと違って、箒を飛ばすのは得意だ。
(わぁ!)
突風に煽られてバランスを崩し、箒から落ちそうになった。何とか態勢を戻したけど、その拍子に箒に引っ掛けていた命のランプを落としてしまった。
咄嗟に手を伸ばしたけど……命のランプは薄暗い闇へと見えなくなってしまった。
(どうしよう。もう少し遠くまで飛びたかったけど、ここまでかな)
私は下に広がる森に、命のランプを探すために着陸した。
最初、この森はマニマニと一緒に暮らしていた森よりも暗くて寒いところだと思った。だけど、すぐに「そんなには違わないのかもしれない」と思い直した。私は赤ん坊の頃からずっとマニマニと一緒だったから、初めての「一人ぼっち」に気弱になっているだけだ。たぶん。
しばらく裸足で湿った苔の上を歩き回っていたら、大きな木の根っこが絡まった洞窟を見つけた。
(素敵!ここに泊めてもらえないかな!)
夜明けが近いから私はこの洞窟に入って行った。