現場検証、そして推理
「先ほどの話では確か……探偵は事業家と飲んでいて、友人は息子さんと飲んでいたのではありませんか?」
少し遅れて先輩の言いたいことが分かった。
行動をするならそのペアのまま動きそうなものだが、ここではなぜか探偵が息子と、友人が事業家と組んでいる。
「ああ、もちろん最初はそうなる流れだったのだがね。二階には事業家の妻がいるだろう?それを気遣って息子が変わるよう提言したのだよ」
なるほど。妻の身を気にする事業家に気を使ったのか。
他には?という風に教授は首を傾けたが、先輩は何も言わず続きを促した。
「画家の息子を連れて、探偵は一階を探索しようとロビーから奥へと続く廊下へ出ると、通路の奥から画家の妻が丁度廊下に出てきて来るところだった。彼女は片手をまぶしそうに眼の前にかざして目をしょぼしょぼとさせていた。安眠しているところを起こされたらしい。話を聞くと、音は通路の奥から聞こえてきたという」
「ダイニングやトイレを捜索する手間が省けたってことですね」
教授は頷く。
画家の妻より奥の部屋となるともう画家の部屋しか残っていない。
自然とこの先の流れが見えてきた。
「画家の部屋の前に立ち声を掛けてみるも、当然返事は無い。中からはなぜか雨音が聞こえてくる。不審に思った探偵はノブに手をかけて回すと、意外にもあっさりと開いた」
少なくとも密室ではなかったようだ。ちょっとだけ拍子抜けしたような気持になる。
「ドアを開けるとまず探偵の耳に入ってきたのは土砂降りの雨の音。それもそのはず、部屋の奥にある窓ガラスが割られていたのだからな」
「先ほどの音は窓ガラスの割れた音だった……という事ですか」
ついでに、その時窓にはカーテンがかけられていなかったことにもなる。
「入ってまず探偵は窓ガラスが割れていることに気が付いたわけだが、問題は画家だ。彼は部屋の中央にあるソファに座ったまま動かなくなっていた」
「死因は?」
僕はたまらず前のめりになって教授に尋ねた。
「描写するべきところがまだあるのだが……まぁとりあえずの死因は失血死だ。加えて首には絞められた跡があり、一度それで失神させられた後に刺されたようだ。体には刺し傷が何か所かある」
あくまで死因は失血死らしいが、首を絞められているらしい。
「探偵のすぐ後ろには親族の方がいるわけだから、その場のパニックは想像できるだろう。しかしこれはあまり事件に関係が無いので省かせてもらう」
これはあくまでもゲームなのだと言わんばかりに。
解決に必要のない情報は切り捨てていくつもりらしい。
「その騒ぎを聞きつけて上の階を探索していた友人と実業家、部屋にいたその妻、小説家夫婦が階段から降りてきた」
「ここで全員が揃う……」
隣に座る先輩が呟く。
そうか。その時点で欠けは居ないということはつまり。
この部屋にまだ犯人が隠れているなんていうことは無い。
「加えて、二階に異常は無かった。詳しい話はあとで聞くことになるだろうが、友人の話によると上の階にいた三人は部屋にいたそうだ」
教授は一息ついてから話を続ける。
「画家が殺されたことを全員が知った後、調査が始まることになる。ここに関しては本来、警察が来るまで素人は何もするべきではないのだが、先ほども言った通りこれはゲームなのでな。目を瞑ってくれ」
僕は頷く。リアリティと現実の違いくらい理解しているつもりだ。
「……そうだな。ここからの調査は君達にしてもらおうかな。気になることは?」
気になる事……か。ゲームはここから始まるらしい。
僕は横目で隣を見るも、先輩は口を開く様子がない。
とりあえずは僕から行かせてもらおう。
「まずは死体を見たいですね。死体の様子はどうですか?死後どれくらいの時間がたっていると言えそうですか?」
「死因は失血死で胸には刺し傷があり、首には絞められた跡が付いている。というのは先ほども言った通りだな。時間についてだが、分かるのはたった今殺されたわけではなさそうだということくらいかな」
……というと?
「死んでから時間が経っているってことですか?」
「そうなる。一応死亡推定時刻を言うと、十時半から十三時の間ということになっている」
今は十三時だから……なかなかあてにならないな。
「死んでから時間が経っているのに死亡推定時刻は十三時も入るんですね」
手元の紙に時刻をメモしながら先輩は呟く。
確かに。もうちょっと絞れそうな気もするが。
「その現場に法医学の知識を持つ探偵がいるのなら話は別だが……現実はそうもいかない。現場にいた人間からすると明らかに今その瞬間に死んだわけではないことが素人ながら分かるが、遅れて到着した警察の調査ではこういう結果になっている」
物語の都合上登場させられた探偵は、警察の持つ知識以上の事は知らない。
遅れて到着した警察の調査では、得られる情報がぼやけてしまうことになる。
その弊害がここに出てしまったらしい。
「他に何か?」
教授は試すようにこちらを見る。なんだか楽しそうだ。
そうだな……
考えていると、今度は先輩が口を開いた。
「失血死という事でしたが、そうなるとおそらく被害者の座るソファの周りに血だまりが出来ていますよね。どこからか引きずってきたなんてことは無さそうですか?」
なるほど。犯行現場の特定か。
「そのとおりだ。画家先生の座るソファの周りには血だまりが出来ており、それが乱れた形跡はない。もちろん犯人がその血だまりを踏んだ様子もない」
少なくとも、画家が刺されたのはこのソファの上ということになる。
「一度失神させられている以上、犯行現場を絞り切ることは出来ないのが面倒ですね」
確かに。ソファに座っている画家の首を締め上げその後に殺すというのが自然な流れなのだろうが、だからと言ってそうだとも限らない。
先輩は考え込んでしまったようだ。
ちょっと僕も質問をしてみよう。
「なにか画家の傍にものが落ちていたりはしませんか?」
「ソファの傍だね?特筆すべきかは分からないが、彼は死の直前まで本を持っていたようだ。血だまりの中に本が落ちていた。そして彼は、読書のための老眼鏡をかけていたようだ」
本か。良い情報を得たかもしれない。
「では、その本の上側に血はついてますか?」
教授は頷く。
「そうだな。ついているのが確認できる。血だまりが出来てからそこに置かれたものではない事は明白だろう」
「となると、犯人の周到な偽装でもない限りは首を絞めたのもこのソファの上ということで間違いなさそうですね」
流れとしてはまず、ソファに座って本を読んでいる画家の首を絞める。
脱力した画家が本を落とす。これでは失神しているのか死んでいるのかわからないので確実に殺すためにナイフを刺す。
落ちた本の上に血がかかる……
偽装の線は否定できないが、それなら被害者は彼が読書の時に老眼鏡をかけていたことを知っていて彼にわざわざかけさせたことになる。
それならそれで犯人が絞りやすい。
ゲームを行っている身としては、そちらの方が絞りやすくてありがたいくらいだ。
「首を絞めた後にナイフで刺して殺す……となると、注意を払いさえすれば返り血を浴びずに済みます。非力な子供がいない所を見るにそれくらいなら登場人物の誰でも可能でしょう」
女性は力がないからなどとは言わない所に先輩の冷静さがうかがえる。
これらの情報からでは犯人は絞れないというのが結論か。
次に気になるのは凶器だが……
「窓ガラスの破片を見て、ガラスを割ったのは内側からなのか外側からなのかを調べたいですね」
先輩が話を変えた。そうだ、そっちも気になるな。
「いい質問だ。破片の状況から言って、内側から割ったとみてまず間違いないだろうね」
ガラスは内側から割られている……と。
今時だと破片が飛び散らないガラスなんてものもあるが、この館の窓は違ったらしい。
そこそこに古い館なのだろうか。
「その破れたガラスですが、そこから人間は通り抜けられそうですか?」
「いいや。人間はとても通れないほどの割れ方だね」
ガラスを割ったのはこの部屋から逃げるためではないという事か。
僕も気になった事を訪ねる。
「じゃあ、そのガラスの外を覗いて何か落ちてません?」
そこで教授は一度言葉を詰まらせた。
「それなんだけどねぇ……今外は真っ暗で何も見えないんだ。次の日の調査の結果になってしまうが……良しとしよう。窓のすぐ下の茂みには、凶器と思われる包丁と、ゴム手袋が捨ててあったのが見つかるだろう」
凶器と手袋か。
「凶器と思われるっていうのは……?」
「まぁ、言葉の綾だ。凶器そのものだと思って貰ってかまわないが、探偵がそれを見つけた時点では断定は難しいだろう?それに、一晩中雨を受け続けたせいか血もほとんど流されてしまっていたからね」
そうか、雨で証拠品が洗われてしまうのか。
「証拠品を雨で洗い流してしまおうと考えて窓を開けようとしたが開かず、結局は窓を割って外へ捨てた……と考えるのが自然なのでしょうか」
先輩のつぶやいた推論に、教授はにやにやとしているだけであっているとも間違っているとも言わなかった。
しかしその推察はどうなんだろうか。
「凶器を捨てるためだけに窓を割る……なんてことがあるんですかね」
僕の疑問に、先輩はこちらを向いて首をかしげる。
「私には、凶器のナイフを処分しないというのはいささか危険な選択のように思えるのですが」
確かにそうだけど。
「それは分かるんですけど、そのためだけにわざわざ窓ガラスを割って大きな音を立てるのはどうなのかなと思ったんです」
「他の理由があるかもしれない、という事ですか」
先輩は僕の目をまっすぐ見つめる。
「それも……あります」
曖昧な答え方になってしまった。
「証拠品になりえる物を雨に晒したかったという他に……死体を外の冷気に触れさせることで捜査をかく乱する意図があったとも考えられます。事実、それは功を奏しました」
先ほどの推定死亡時刻の件か。
体温やもろもろの死体の状況で死亡推定時刻がバレるのを避けたかったという可能性。
それは確かにあり得る。
「他に理由があったというのは納得できるんですが、それでも他に方法は無かったんですかね?窓が開かないからガラスを割って外に凶器を捨てるというのはどうも……」
僕の反論に、先輩はひるむ様子もなく続ける。
「仮に犯人がそのナイフをその場で捨てないことを選んだとして、他にどこに捨てれば良いのでしょうか?」
どこにって……
「どこでもいいじゃないですか。もちろん自分の部屋の窓から外に捨てでもしたら絶対に怪しまれるだろうけど……廊下には窓が付いてます。早く手放したいのであれば、画家先生の部屋から出たらすぐに目の前の窓を開けて放り投げればいいんじゃないですかね」
そうすれば大きな音を立てることもなく凶器を始末できる。これでいいじゃないか。
「一理あります。が、関根君は一つ失念しているようです。事件当時、外は土砂降りだったはずです。そんな中、適当に廊下の窓を開けたとしたらどうなるでしょう」
……確かに。
館の中に雨の音が響き渡るだろう。
音を出さずに凶器を手放せる、というのは無理がありそうだ。
それは分かったが、他に方法がなかったのかという疑問が残る。
「一つ補足だが、この館の廊下側には屋根のついたテラスがあってね。廊下の窓は、雨に証拠を洗い流してもらうという点では向いてないと言えるだろう」
教授が口をはさんできた。
「じゃあ遠くまで投げればいいじゃないですか。屋根のないところまで飛ばせば……」
「確かに関根君の言うとおりではありますが、血の付いたナイフを遠くに投げるとなると血が飛び散ることになるでしょう。その時に自分の服に血が付く可能性を許容できるとは思えません」
服に血が付いているというのは何よりも致命的な証拠になりうる。
そう言う意味では確かに危ない。
「外の冷気に当てて捜査のかく乱をするという目的が一つ。加えて、外へ凶器を捨てるには廊下の窓は適していないという点からも、犯人の行動は合理的に思えるというのがわたしの意見ですね」
考察不足感が否めないが、反論の材料が無い僕は先輩の主張とりあえずは受け入れることにした。
もう一つ気になった事を教授に質問する。
「凶器は包丁ってことでしたよね。これがこの館の物かどうかは簡単に分かるんじゃないですか?」
尋ねると、教授は頷いて答えた。
「その通りだな。キッチンの備品が一つ減っており、画家の妻がキッチンの物だと断定している。ついでに言うと、ゴム手袋もそこにあったものだ」
「犯人が持ち込んだものではない……となると、この殺人は計画的なものではない可能性が高いと言えそうですね」
確かに。
「キッチンの物を利用したということはそこの屋敷についてある程度詳しい必要があるんじゃないですかね」
「そうでしょうか。キッチンに包丁がある事なんて当たり前だと思いますが」
あっさりと返される。
正直ぐうの音も出ない。
再び沈黙が流れると、ここで教授が口を開いた。
「実際に探偵は君達とほとんど同じルートを通ったのだが、ここで一つ話さなければならないことが起こる。窓を調べていた探偵の背後で画家の息子が声を上げたのだ。彼が振り返ると、息子は部屋の側面についていた暖炉の傍に屈みこんでいる様子だった」
この部屋には暖炉がある、という情報自体僕は持っていなかったので不意打ちだった。
なんだか不公平だ。
「何をしているんだ?と尋ねたところ、芸術家はこちらを振り返って一枚の紙切れを渡してきた」
「紙切れ……ですか」
先輩がぽつりとつぶやく。
「煤で汚れた芸術家の手から紙切れを受け取ると、それは白いメモだった。が、大部分が燃えてしまっているのが分かった。しかしかろうじて読める部分があってね……」
言いながら教授は、また新たな資料を山から引き抜いてその裏を使って書き始めた。
教授が書いているのを待ちながら一つ質問をした。
「ちなみにその時に暖炉の火って……」
「ああ、既に消えていたよ。が、どうやら暖炉はまだ少し暖かく、火が消えてからそう時間が経っていないようだった」
火が消えてからそう時間が経っていない……
考え込む僕に、教授は手元の紙を渡してきた。
そこに書かれていた絵は、探偵の受け取った紙の切れ端を再現しているようだった。
大部分が燃えているのか、ほんの少ししか文字が書いていない。
話……今夜12……
これくらいしか読めないな。
「これ……筆跡とかは分かるんですか?」
「いや、流石にそれは気を付けていたみたいだ。私は生まれつき字が汚いが、これ以上に汚かったと考えてくれ」
流石にそうか。
「おそらく元々は、話があるので今夜十二時に部屋に行く……みたいな事が書かれていたのでしょうか。燃やしてあるということは、犯人にとって不利になりえるから隠蔽したかった……と考えるのが自然ですかね」
もっともらしい先輩の考察に教授は反応する様子がない。
どうやら僕達にヒントを与えるつもりは無いらしい。
「十二時丁度なのか、十二時半なのかは読み取れそうにないですねこれ」
そこまで分かっていれば重要な情報になりえたのだが、燃えてしまったものは仕方ない。
「さて、君にはここでこの部屋の見取り図を渡しておこう」
教授はまた新しい紙を取り出し、描き始めた。
今更ながら部屋の全貌がうかがえた。
入り口の傍にデスクと本棚があり、部屋の中央にはソファと小さな丸テーブルが置いてある。その目の前……入り口から見て右側の壁に暖炉が設置されているようだった。
暖炉の炎のはじける音を聞きながら読書するというのは気持ちが良いだろうなと思いを馳せる。
奥には窓があり、傍に寝具がある。朝日で起きられるように配置してあるようだ。
とりあえず重要なのはソファと暖炉、それに窓くらいの物だろう。
調べるべきところはもう調べたはずだ。
教授から受け取った部屋の見取り図を見ても、他に気になるところは無い。
しかし……
こんなんじゃいくら何でも犯人にたどり着きようがない。
時計は十九時二十分を示していた。
残り二十分を切っている。
戸惑う僕に、教授は声を掛けてきた。
「……勘弁してくれ。君達だって推理小説くらい読んでいるんだろう?情報は現場だけが全てじゃない。この中に犯人がいるんだから、アリバイも調べなければ」
そうか、てっきり今の情報だけでどうにかできると思いこんでいた。
とりあえずこの部屋の調査は以上。
後でまた気になった事があれば戻ってくることにしよう。
「では、次に行こうか。ここは君達の手を煩わせることは無い。大まかなアリバイの証言を訊くのは誰がやったって同じだからな。……ほら、メモが欲しければここにあるから」
教授は後ろにあるホワイトボードに張られていたA4の紙を取り、裏返して渡してきた。
本当に要らない資料なのだろうか。
わざわざ磁石で止めてあったくらいなんだから重要なものなんじゃないのか。
そう思ったが口には出さずに紙とペンを受け取り、教授の口が開くのを待った。
「そうだな……まずは分かりやすくするために全体の流れを説明しようか。これなら確実に生きていた時間を絞り込める」
僕は頷いた。




