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不可逆性推理ゲーム  作者: せきね
1/7

研究室の夜

「探偵は友人に招かれて、ある有名な画家の主催したパーティに出席したそうだ。と言ってもそのパーティは何十人もの人が集まって立ち話をするようなものではなく、主催者の画家の身内の人間だけで行うこじんまりしたものだったのだけれどね」


 急に口を開いたかと思えば。

 僕は顔を上げて教授の方を見る。

 教授は視線をこちらにやり、口の端を緩めて言った。

「なんだその顔は。ずっと前から君の手が止まっているようだったから、気分を変えてお話でもしてやろうかと思ったのだが」

 言う通り、僕の手元にあるノートパソコンの情報量は先ほどから振動を続けている。

 書いては消して、書いては消してをここ三十分くらい繰り返して、うだうだとしているのは事実だ。


 「きりが良いところまで今夜中にやってしまおうと思っていたんですけどね」

 椅子を引いて体を伸ばすようにしながら、ろくに保存もせずノートパソコンを閉じた。

 壁にかかっている時計は十九時を示していた。

 まだまだ夜と言うには早いが、そろそろ何か腹にものをいれたくなってくるころ。

 手元のスマホを持って立ち上がる。

「ちょっと待ってくれ。腹が減っているのは分かるが、私の話を聞いてからにしてくれないか」

 追いすがるように教授は声を掛けてくるが、僕はもうコートを手に取っていた。

「これ、明日までなんですよ。さっさと食べて続きをしないと」

 教授の遊びに付き合っている暇なんてないのだ。

「勘弁してくれ。私は何かを中途半端にしておくことが死ぬより嫌いな質なんだ」

 なら最初から始めなければ良かっただろと口に出そうになるのを我慢して、僕はトートバックを肩にかけた。

 財布は……持ってる。

「せっかく今から奇妙で興味深い殺人事件の話を聞かせてやろうと思ったのに……」

「明日無事提出できれば何でも聞いてあげますから。今日の所はこれで」

 しょんぼりとする教授を背に、足早に研究室を去ろうとする。


「そうだ、こうしよう。そのレポートの提出期限を一日だけ伸ばすというのは」

「だめですよ。何言ってるんですか。このために先輩だって忙しいバイトの合間を縫って研究実験をしてくれたのに」


「学生の本分は勉強なのだから、そんなことは当たり前だろう」

 この人は自分の発言の矛盾に気が付いていないのだろうか。

 これ以上茶番に付き合っていられない。さっさと食堂へ行こう。


 が、

「関根君。君、ピザは好きかね?」

 教授の言葉を聞いて足が止まった。

「ピザ……ですか」

 もちろん好きだが、それはどういうことなのだろう。

 まさかとは思うが、これが割り勘でピザを頼むのはどうかという提案だったとしたら僕は丁重にお断りさせてもらうつもりなのだけど。

「安心し給え。今日頼むのは君の望む方だ」

 呆れた様子で教授は言った。どうやら僕の心中は丸見えだったらしい。


 しかし……

 これほどまでにこの研究室は明るかっただろうか。

 心なしか、教授の顔に刻まれた皺の本数が少なくなった気がする。

 貧乏学生の世界は単純な構造でできているようだ。


「ただし」

 いそいそとコートを脱ぐ僕を見上げながら、教授は付け加えるように言った。

「一つゲームをしようじゃないか」

 胡散臭い単語だ。今更ながら担がされたのじゃなかろうかと不安になる。

「いや、大丈夫だ。負けたからと言って君がピザ代を払うなんてことは無い。もちろん全額私が負担しよう」

 僕の表情を見て察したのか、教授は付け加えるように言う。


「じゃあゲームって言うのは……」

「サイドメニューをかけて、というのはどうかな。チキンやポテトか何かを頼んで、このゲームに勝てれば君がそれを食べる権利を得る。確か近頃、スパイシービッグガーリックチキンという商品が新登場したという広告をどこかで見た気がする」

 なるほど。

 一度聞いただけでは全く覚えられない名前のチキンだ。

 それでも腹を空かせていると、聞いただけで唾液腺が刺激される。

 しかしここは興味のないふりをしてもっと豪華な報酬を粘る方が良いはずだ。

「……目つきが変わったな。そこまで喜ばれると君の普段の食生活が心配になってくるのだが」

 どうやら隠しきれていなかったらしい。

 戸惑いを通り越して心配そうな表情の教授。

 大丈夫だからとなだめて、僕は教授をピザの注文に取り掛からせた。

 教授の気分が変わらないうちに。



「で、何でしたっけ。探偵がどうのこうのって話でしたけど」

 注文を終えたらしい教授に、僕は前のめりに尋ねる。

「その前にゲームのルールを簡潔に。今から話す事件の真相を、ピザの配達までに解き明かすことが出来れば君の勝ちという事にしよう。注文した時に四十分以内でお届けしますと書いてあったからな。今からだと……丁度十九時四十分までが目安となるだろう」

 時計を見ながら教授は言った。

 なかなかにハードな時間設定に思えるが、仕方ない。

 最低でもピザをタダで食わせてもらえるのだから、とても文句を言える立場ではないのだ。

「では、ゲームを始めようか」

 言って、教授は姿勢を正す。

 僕の背筋もつられて伸びた。

 スパイシー……なんちゃらかんちゃらチキンがかかっている。



「ある冬の事だ。探偵が友人に招かれて、さる有名な画家の主催したパーティに行ったそうだ。そのパーティは何十人もの人が集まって立ち話をするようなものではなく、主催者の画家の身内の人間や、親しい人物だけを自身の別荘に招いて行うこじんまりしたものだった」

「ちょっといいですか?」

 思わず口をはさむ。

「あの……ここで言う探偵ってのはシャーロックホームズのようないわゆる探偵で良いんですよね?」


「まぁそうだな。事件解決のための手がかりを都合よく見つけてくれる存在、という意味では君の言う通りだ。言ってしまえば物語の進行上必要になってくるのだな」

「なら、この物語は作り話ってことですか」

 僕の質問に、教授は首元に手をやり困ったような表情で答えた。

「いや……完全なフィクションという訳ではない。私がさる友人から聞いた事件に、推理ゲームのテイストを加えたものになっている。実際は警察による地道な作業で見つかった小さな手がかりも、この話の中では探偵が天才的なひらめきで見つけることになっていると言えば分かりやすいだろうか」

 

 なるほど。現実では素人が事件を解決するなんてことは難しいが、ここはそういう体で進めていくという事か。まぁこれはあくまでゲームだしな。

 話の腰を折ってしまったことを詫び、話の続きを促した。


「端的に言うとそこで殺人事件が起きたのだ。被害者は……もう何となく予想がついてるだろうが、その館の主の高名な画家先生だ」

 ベタだな。幾度となく推理小説で読んだパターンだ。

 この画家先生を殺したのはこの館の中にいるはず。

 それは誰だ?

 という風な、いわゆるクローズドサークルになるのだろうとぼんやり考える。



「その日は雨の降る夜だった。探偵は、館の一階のロビーでその日知り合った三十代の若き実業家の男と飲んでいた。既にパーティは終わっており、早寝をするものは先に二階の用意された自室に上がっていっていた」

 雨の降る中、二人で酒を交わしていたわけか。

「探偵って確か、友人の誘いでそこに行ったんですよね。友人はどこにいたんですか?」

「友人も同じくロビーで酒を交わしていたようだよ。ただ、友人は被害者の画家の息子と飲んでいた。つまり、その夜はロビーに四人の男がいたが、二組が別々で話をしていたことになるな」

 いきなり登場人物が増えた。

 未だにその館の構造が見えてこないが、ロビーというのはそこそこ広いものらしい。


「今ロビーにいるのは探偵、その友人、三十代の実業家、被害者の画家の息子の四人だ。他のものは既に自身の部屋へと戻ってしまっていると言ったが、そこも説明が必要なようだな」

 僕は頷いて話を促す。


「まずはこの館の主、高名な画家先生だ。そしてその妻。息子は既に説明した通りで、彼は既に酒の飲める年齢だな」

 被害者の家族は三人。

 妻子持ちとなると、その人たちの部屋割りも気になってくるところだ。

 流石に客人と同じところに部屋を持つなんてことはないだろう。


「そして招かれた人間は先ほど紹介した探偵を含む三人に、あと三人いる。一人は探偵と飲んでいた実業家、その妻だ。彼女は今年初めてこのパーティに参加している。そのせいか場の雰囲気になじめず、早めに寝ると言って夫の邪魔をしないよう先に上の階の寝室へと向かっている」

 夫より先に寝室へ向かったのか。酒の席では自分が邪魔になると思ったのだろうか。


「残る二人はまた夫婦でね。そして画家の身内とでもいうべきか、親戚らしい。主人の方は五十を超えている。一方細君はようやく四十になったばかりの人だ」

 なかなかの歳の差だ。まぁそこら辺の事情はこんなゲーム上じゃ知る由もないだろうが。


「ちなみにその方は何をしてらっしゃるんですか?」

「主人は小説家だね。妻は確か……編集社につとめてらっしゃるのかな」

 どうも曖昧らしい。天井の方を見ながら答えている。

 それにしても画家の親戚に小説家か。一族に芸術家の血が流れているのだろうか。


「さて、ここで念のためもう一度まとめようか。この館の中にいる人物は全部で九名。館の主人の画家とその妻、息子の三人。その日の夜、探偵とその友人と共に飲んでいたのが実業家と画家の息子の四人。二階の寝室にいたのが実業家の妻、そして画家の親戚である小説家とその妻の計三人だ」

 3+4+3だと=10になってしまうが、それは息子が二度紹介されているせいである。間違いなくこの館には以上の九人しかいないという事だった。


 ただ、一つ気になることがある。

「二階の寝室にいたのが三人なら、被害者の画家とその妻の部屋はどこにあるんですか?」

「ああ、そうだったね。君は館の構造を知らないんだった。どれ……今説明しよう」

 見切り発車は良くないねと呟きながら、教授は手元に積んであった資料を一枚引き抜いてその裏に地図を描き始めた。


「この館の部屋割りは一階が家族の部屋で、二階が客室になっているんだ。だからその画家の家族三人は一階の部屋に……っと」

 言いながら教授は紙を手渡してくる。

 縦に長い館は、その入り口から見て奥へと廊下が続いている。

 まず一階部分は入り口にロビーがあり、その奥にダイニングキッチンや共有のトイレやシャワールームがあり、またその先に家族の部屋があるようだ。

 家族の部屋は手前から息子、妻、画家の順になっている。

 被害者の部屋は一番奥になる。


「二階へのアクセスは二か所ある。ロビーにある階段と、この建物の一番奥の画家の部屋の傍の階段だ」

 次に教授はもう一つの資料をこちらに差し出してきた。

 二階の見取り図らしい。

「こちらも一階と同じように縦長になっている。当たり前だが」

 部屋は全部で六部屋あったが、今回はそのうちの四つしか使われていないようだった。

 客人は六人なので丁度全部屋を使えそうなものだが。


「実業家と小説家はそれぞれ夫妻で二人組だからな。残り二つは空き部屋になっている」

 探偵と友人はそれぞれ一部屋があてがわれているらしい。なんだか贅沢だ。

 縦に一列に並んだ部屋は手前から小説家夫妻、探偵、友人、実業家夫妻となっている。

 奥二つの部屋が空き部屋のようだ。


「これで大体わかったろう。重要なのは階段が二つあることと、殺された画家先生の部屋が一階の一番奥にあることくらいだ。他は忘れても構わん」

 そんな投げやりなことを言いながら、教授は時計をちらりと見た。十九時十分。

「もう十分も過ぎてしまった。ピザは後三十分ほどで着くはずだから急がないとな」

 まだ事前情報しか聞いていない。早く事件を聞かないと時間が来てしまう。

 お腹もすいてきた。


「さて、一通りのことが分かったところで事件に移ろう。ロビーで飲んでいた探偵は、深夜一時頃、ガラスの割れる音を……おや」


 教授が顔を上げる。振り返ると、入り口に人が立っていた。

「お疲れ様です」

 黒いコートに身を包み、深い赤のマフラーを巻いた長髪の青年……うちの研究室の先輩だ。


「お疲れ様。今日もバイトだったのかい?」

 先輩は曖昧に頷いてマフラーを取る。

「エアコン直ったんですね」

「ああ、そうだ。あとでストーブを返しに行かないとな」

 部屋の隅に置いてあるストーブに目をやる。

 エアコンの故障のせいでここ数日はこれで暖を取っていたのだ。

 これをここまで持ってくるの結構大変だったんだよな。


「時に桐生君。晩飯は食べたかね?」

 先輩はきょとんとした顔でこちらを見る。小さく首を振ると、教授は満足げに頷いた。

「だと思ってね、君の分も取っておいた。今日は私のおごりでピザだ」

「本当ですか」

 感情の起伏が薄い先輩も、その言葉の端に喜びを隠しきれていないようだった。


 僕は自虐的に自分の事を貧乏学生だと自称しているが、先輩は文字通り生きるために毎日バイトをしている。それでいてちゃんと学業も怠らないのだから僕は尊敬している。

 本人にそのことを言うと決まって自分はもう後がないからと言われる。

 この性格で、なぜ何度も留年をしたのか不思議なくらいだ。

 いや、何度も留年したからこそ心を入れ替えたのか。


「今関根君とゲームをしていてね。サイドメニューをかけてやっているところなんだ。今からでも遅くない。関根君の持っている資料を見せてもらいたまえ」

 先輩は参加するともしないとも言わなかったが、黙って僕の隣の椅子に腰を掛けてきた。

 教授は資料にない情報を補足しながらもう一度軽く先輩に説明をした。


 ピザは大きめのを取ったらしいが、サイドメニューに関しては一人分しかとっていないという。二人の内、先に真相にたどり着いた方が食べられるというルールになった。

 少し損した気分になった。分かってたんなら二人分とっといてくれよ。


「すなまいね、関根君はもう聞き飽きただろう。ここからが本題だ」

 一通りの説明を終えた教授は座りなおす。

 先輩はまだ、手元の見取り図を眺めているようだった。

「深夜一時頃、ロビーで飲んでいた探偵はガラスの割れる音を聞いた。酒がまわってふわふわとしていた探偵にもはっきりと聞こえるくらいの大きな音だ」

 ガラスの割れる音。

 話の流れ的におそらく画家の部屋なのだろうが、いきなりそんな音が聞こえたら戸惑ってしまうだろう。

「重い体に鞭打って探偵は立ち上がると、周りの人間に声を掛けてどこからこの音が鳴ったのかを探すことにした」

 周りの人間というのはロビーにいた四人の事か。

 幸い、誰も酔いつぶれていなかったらしい。

「この時点では遠くでガラスの割れる音がしたという情報しかないわけだから、その音が一階で鳴ったのか一階から鳴ったのか良く分からなかったのだな。そこで探偵は二手に分かれて探索することを提案した」

「四人で二手だと二人ずつですか……推理小説ではここが問題になることが多そうですが」

 描写の外では何をしていても読み手には伝わらない。この間に証拠隠滅が行われているかもしれない。

「語り手以外の証言は信じられない、という問題に関しては心配いらない。探偵は画家の息子と一階を、二階は探偵の友人と実業家の二人で調べることになったからな」

「……友人と二手に分かれた以上、調査の結果は信用できるという事ですか」

 語り手の探偵が嘘をつかないのは前提として、その助手もまた嘘をつかない。

 その原則に従えば二手に分かれたとしても安心して調査の結果を受け入れることが出来ると言える。


 と、先輩が口を開いた。

「先ほどの話では確か……探偵は事業家と飲んでいて、友人は息子さんと飲んでいたのではありませんか?」

 少し遅れて先輩の言いたいことが分かった。

 行動をするならそのペアのまま動きそうなものだが、ここではなぜか探偵が息子と、友人が事業家と組んでいる。

 教授はさらっと話していたが、確かに矛盾がある。

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