館
部屋の扉がゆっくりと開かれ、その隙間からメイド服を着た女性が顔を覗かせる。青年はその気配で目が覚め、扉の方へと顔を向ける。
いつまで寝ているのですか。今日のお仕事はロビーのシャンデリアの掃除と地下の石壁の補修です。
5時までにロビーに来なさい。遅れたら殺しますわよ。
メイド服を着た女性はそう言い残すと顔を引っ込めその場を後にした。
青年はゆっくりとベッドの上で体を起こし物思いにふける。
この館で奴隷生活をしだして一ヶ月くらいが過ぎたか。ここで生活していて気づいたけど、ここは僕の生まれた世界じゃなさそうだ。僕を森で襲いここに連れてきたあのメイド女は人間じゃないみたいだし、力や走る速さが異様だ。逆らったりここから逃げ出そうとしたら間違いなく簡単に殺されるだろう。
どうしてこんな世界に来てしまったんだろう。いつものように学校の授業を終えて下校していたらいきなり景色が暗くなって気づけばあの森にいた。
詳しいことはまだ何も分からない。でもあのメイド女なら何か知っているかもしれない。
今は聴きだすことはできないけど、大人しくしていればいずれチャンスがやってくるに違いない。それまでは辛いけどしばらく奴隷としてこき使われながら待とう。
……そろそろ行くか。
青年は軽く身支度を済ませ、ロビーへと向かった。
……
広い……
これでここに来るのは何度目だろう、広くて高い。まるで学校の体育館みたいだ。
このロビーに来ると体育の授業、懐かしい学生生活、もう戻れないかもしれないあの日々を思い出して憂鬱になる。
青年は単管パイプのような物を組み立て足場を作り、シャンデリア全体に手が届くよう調整し、水を入れたバケツに雑巾を入れ、口で咥え何とか登る。
怖いなぁ、安全帯くらい貸してくれてもいいのに。あっても貸してくれないだろうけど。
青年は掃除中落ちれば即死であろう高さに取り付けられたシャンデリアの掃除に取りかかる。
……そういえばここの主はどんなやつなんだろう。
ここに来てしばらく経つけどまだ会ったことがないな。
でも大体予想はつく、残酷非道で良心のかけらもない恐ろしい化け物。僕をこんな目に合わせて奴隷としてこき使うあのメイド女の主だし。
――あ、乾拭き用の濡れてない雑巾を持ってくるの忘れ……
青年は足を滑らして足場から落ちそうになり、咄嗟にシャンデリアに掴まった。
うわっ!
シャンデリアは外れ、ロビーの床に勢いよく叩きつけられ破裂音の様な凄まじい音がロビー全体に響き渡る。
足場を降り、青年は恐る恐るシャンデリアを見てみるがとても修復は不可能な状態だ。
廊下の方からロビーに向かって足音が近づいてくる。
青年が足音のする方へ振り返るとそこにはメイド服の女性が立っていた。
その顔は笑っているが、心は笑っていない。
青年は一瞬たじろぎ諦めた表情でメイド服の女性を見る。
この女にはどうやっても勝てない。人と化け物の力の差はどうやったって覆せない。それは重々身に染みさせられてきた。
拳が青年にに向かって飛んでくる。
歯を食いしばる。
青年は殴られた。
青年は学校の体育館程の広さがあるロビーの中央からダンプに轢き飛ばされかのように吹き飛び端の壁に衝突し、力無く崩れ落ちた。
メイド服の女性が青年に歩み寄る。
あいつが近づいてくる……動けない……くる……し……か、らだ……が……あっ
感覚がない、でも分かる。僕は今蹴られている。何度も、何度も。
動けない。意識が遠のく。こんな状態なのに更に追い討ちを加え続けるのか。
お前は我々にとってただの食料に過ぎないのですよ。
そんなお前をわざわざ生かし仕事を与え餌と部屋を用意してあげている。
この有様はなんですか?
蹴られた……
今のは強く蹴られた。意識が……消える……死ぬ……
ーーそれくらいにしておけ
羽を生やした女性が突如ロビーに現れる。
聞いたことのない声……一体誰だ……
主。
それ以上はこれの後片付けができなくなるだろう。
はい。
こいつがお前の言っていた新しい迷人か。
他の世界からやってきた迷い人、それらを我々は迷人と呼ぶ。
特徴は非力で短命、たまに迷いの森に現れる神出鬼没の生き物。
食料としての価値しかないがある程度仕事ができるならそれが生かす理由、使えないと判断した場合は食料にする。
お前はいつまで生き残れるだろうな。
……迷人は?
主が長々と迷人について語っていたのでその間に逃げていかれました。
何故言わなかった?
あまりにも真剣にお話しされていたもので口ずさむ暇がありませんでした。
……まだ生かしておこうと思ったがもういい、早急に見つけ出して殺せ。
御意。
今晩の夕食が楽しみだ。