8話 エルフ・ミーツ・カラテ
「うっぷ……」
口から漏れる息と嗚咽を必死で抑え、ヴィルマは目の前のゴブリンたちを睨みつける。久方ぶりの実戦の緊張感と、崖を背にして戦うことと始めて技を使うことへの不安。ヴィルマの心は萎えかけていたが、目の前にまだ敵がいる以上、弱みを見せるわけにはいかなかった。
ライデンの低い構えとは違う、背筋を伸ばした構え。腕を軽く曲げ、じっと目の前を見る。ぶつかっていく、もしくはマワシを取るのであれば、ライデンの構えを真似るべきなのだろうが、この技を使う上ではこの構えの方が合っている。
ライデンにもそれは認めさせた。
ヴィルマの周りに転がり動けなくなっているゴブリンが、生き残りのゴブリンたちの足を止める。崖下に落とされたゴブリンもいるという事実が、彼らの足にさらなる重しとなってのしかかっていた。
ちらりとゴブリンたちの後ろに目をやると、オークが手斧を振るい猛っている。退くという選択肢が無いのは、ヴィルマもゴブリンも同じであった。
「来な」
こちらから攻めかかるより、相手が攻めてくるのを待つほうがいい。
ヴィルマは義手をカチャカチャと揺らし、相手を挑発する。
二匹のゴブリンが、軽くアイコンタクトをした後、左右からヴィルマめがけ飛びかかってくる。遠巻きに石を投げてボコボコにする。そんなヴィルマがされたら一番困ることを思いつく余裕は、今の彼らにはなかった。
右のゴブリンの顔が弾け、続けざまに左のゴブリンの胴が弾ける。
顔を打たれたゴブリンは、そのまま崖下に落ちていき、胴を打たれたゴブリンは悶絶し動かなくなった。
「上手く出来た……!」
成功を噛みしめるヴィルマ。右でも左でも打てるようにしていたが、同時に左右から襲いかかってくる相手をさばくのは、始めてであった。だからこそ、こんな状況でも感慨はひとしおである。
「グケエエエ!」
そんなヴィルマの喜びに、水を差すようなタイミングで新たなゴブリンが襲いかかってくる。ヴィルマは慌てず、利き足である右足に力を入れ、左足のスネでゴブリンを横薙ぎに蹴り飛ばした。
べっこりと顔面をへこませたゴブリンは、そのまま倒れ伏せる。
ヴィルマがライデンに教わった技、それはスモウの足技であるケタグリであった。
片腕が義手であるヴィルマでも、足技なら問題なく使える。
むしろその健脚を存分に活かせる技だ。
ケタグリを使うため、ヴィルマの両スネには獣の皮が巻いてある。素手素足を基本とするリキシにとって邪道ではあるものの、今は足を壊さぬため、こうして保護するしかなかった。
襲ってくるゴブリンを蹴り続けながら、ヴィルマはライデンの教えを反芻する。
ライデンは大木を根本からケタグリ一発で折った後、ヴィルマにこう言った。
“足の力は、腕よりも強い。ただ、使いこなすには修練が必要だ”
それからというもの、ヴィルマはずっとケタグリの練習を続けてきた。
何度も何度も木を蹴り、正しい形を覚えつつ、足を鍛える。
限界まで続け、もう蹴れなくなったら森から採取してきた薬草で癒やし、また蹴り続ける。エルフは薬草にも詳しいだなんて、言ってしまったのがまずかった。
数日間打ち込みを続けた後、ライデンは再びヴィルマに言った。
“実は俺は、ケタグリが得意じゃない。オヤカタいわく、ケタグリの本質は、力とは別のところにある。おそらく力任せの俺より、お前に向いた技なんだよ”
ライデンはケタグリの本質を口にしなかったが、この話を期に、ケイコの内容は変わった。動かない相手への打ち込みではなく、動く標的や動く相手を蹴るケイコだ。
たとえば、ライデンが投げてくる小石をヴィルマが蹴る。雑に飛ばされる小石を蹴るには、落ち着きだけでなく、素早い重心の移動と左右の蹴り分けが求められる。今もこうしてゴブリンをさばけるのは、このケイコの賜物である。
襲撃が途絶え、迎撃に集中していたヴィルマがふと前を見ると、あれだけいたゴブリンたちは全滅しており、残っていたのは一匹のオークだけだった。
オークはちらりと後ろを見た後、咆哮を上げヴィルマに歩を進める。
動けないゴブリンが何匹か踏み潰されているうちに、その距離はあっという間に縮まってしまった。
見上げるヴィルマと、見下ろすオーク。
オークは大柄ではあるものの、ライデンよりは一回り小さい。
この間の鎧を着ていたオークに比べても小さいし、そもそもコイツは片手斧に獣の皮の腰巻きと、従来のオークのファッションである。ビキニアーマーの上にユカタを羽織っている前衛的なファッションのヴィルマより保守的だ。
それでも、ライデンより数段小さいヴィルマにとっては、充分な巨漢であった。
ヴィルマはいきなり、オークのすねを蹴る。オークは一瞬痛そうな顔をしたものの、すぐに下卑た笑みを浮かべた。
お前の蹴りなど、大したこと無い。言葉が通じずとも、表情だけで伝わった。
オークの片手斧がぞんざいに振り下ろされる。ヴィルマは半歩だけ退き、斧をかわす。踵が、崖際に当たる。一歩退いていたら、崖からそのまま落ちていただろう。
だがこの危機感が、緊張で固くなっていたヴィルマの身体を解きほぐす。
そうだ、これこそが冒険であり戦いであり、自分がかつて居た環境なのだ。
「ブォォォォォ!」
咆哮を上げたオークは、崖際のヴィルマを突き落とそうとする。
大柄な身体で、じわりと圧すように。無駄に逸れば、余計な攻撃をしようとすれば、逆に崖から落とされてしまうかもしれない。
オークは本能で、慎重さを選んでいた。戦術として間違っていない。
だが、肝心要のことをオークは知らなかった。
このような断崖絶壁のドヒョウギワこそ、スモウの真骨頂なのだ。
ヴィルマの右足が、オークの右足を蹴る。
先ほど、オークはヴィルマのケタグリに耐えてみせた。
だがそれは、足をしっかり地面につけていたからだ。
動こうと浮かしていた足を蹴られ、オークは前のめりになる。
ヴィルマは、前のめりになったオークの腕を掴んで引く。
ヴィルマに引かれ、前に倒れるオーク。
体勢の不安定さが、持ち前の腕力や体重を活かすことを許さなかった。
ドドンと重い音がして、オークが倒れた。
重い下半身が幸いし、ギリギリのところで崖への落下を防いでいる。
立ち上がろうとするオークの延髄に、ダガーが突き刺さる。
急所への一撃により、絶命するオーク。
くたあと上半身に力がなくなり、身体はずり落ちるように崖下へと落下した。
「まあ、こんなものかな」
ダガーに付いた、オークの血と脂を拭うヴィルマ。
満点とはいかないだろうが、ケタグリには成功した。
ケタグリとは、単に相手を蹴る技ではない。蹴りの目的はあくまで体勢を崩すことにある。蹴りでそのまま倒してもいいのだが、更に手を使い相手を引き倒すことで、完璧なケタグリとなる。
蹴って、手繰り寄せる。だから、ケタグリなのだ。
ライデンの大木をへし折るケタグリが破壊ならば、ヴィルマの相手の足の動きを捕らえて放つケタグリは倒す技だ。スモウの目的が破壊ではなく倒すことにある以上、スモウ技として完成度が高いのはヴィルマのケタグリだろう。
“スモウの相手は、棒や石じゃなくて人だ! リキシだ! さあ来い! 俺がお前のケタグリを試してやる!”
ケイコの最終段階、ケタグリの的となったのはライデンであった。手加減はしてくれたものの、豪腕のハリテとライデン式の壊すケタグリを避けながらの打ち込みは地獄そのものだった。アレに比べれば、オークなどデカい的にすぎない。
とりあえずケタグリは上手くいった。
だが、まだ足りないこともヴィルマは実感していた。
相手を崩すことには成功したが、もしオークが少しでも耐えたら、次は無かった。
ダガーとて、本来は使ってはいけないものだ。今の自分では相手を殺さねば生き延びられないと思って使ったが、おそらくリキシたるライデンであれば、武器を使わず、さらにオークを殺さず鎮圧しただろう。
「まだまだだね」
今の自分はまだ足りない。ケタグリで相手を崩せても、その後が無い。
ダガーの一撃に匹敵しつつ、素手で出来る技を考えなくてはいけない。
自らのあり方に悩むヴィルマであったが、そんなヴィルマに送られたのは、何処からともなく聞こえてきた拍手であった。
「見事だ! 巨漢を足技で倒す! その姿に、わたしが目指す理想が見えたぞ!」
拍手をしながら茂みから出てきたのは、なかなかに尊大な態度を取る一人の小柄な少女であった。茂みの場所はゴブリンやオークが居た位置の背後だ。あそこに隠れていたのだろうか。
あまりの唐突さに悩みも引っ込んだ。キョトンとした顔で、少女を見るヴィルマ。
しげしげと少女を見た後、率直な感想を口にする。
「変わった格好だね」
「そっちに言われたくはないな」
ビキニアーマー+ユカタのヴィルマに格好をとやかく言われたくない。
少女は当たり前のことを言う。
だが、少女の格好もまた、ヴィルマの格好に負けず劣らず、この世界に馴染みのない格好であった。
体格は小柄、おそらく年齢は十代の中盤くらいだろうか。
背丈は、女性としては長身のヴィルマの胸の位置くらい。ヒューマンとしては普通だ。前髪は額に掛かる位置、後ろ髪は肩にかかる位置、共に几帳面に切り揃えられたブラウンの髪。
これは、普通だ。
可愛らしい顔立ちに浮かぶ、どことない不敵さ。一見不釣り合いではあるが、当人に憂いがないぶん、上手く調和できている。若干可愛らしさが勝っているが。
これも、可愛いが普通だ。
まず彼女の変わっている部分をあげるとしたら、顔にかけている眼鏡だろう。
「ふむふむ、なるほど」
少女は眼鏡を何度も直しながら、しげしげとヴィルマを観察していた。
フレームとレンズで構成された、視力補正器具である眼鏡。フレームはともかく、物を拡大させるレンズは特殊な製法で作られており、制作の技術か金を持っていなければ常用できるアイテムではない。ヴィルマも実物を見るのは久々である。
これは、珍しい。
だが、少女の最も珍しい部分は、そこでなかった。
少女がヴィルマにたずねる。
「その格好は、なんと言うんだ?」
「……ユカタ」
「ふうむ。布も丈も違うが、同じ発想で作られたようにみえるな」
少女は納得し、一人考え込む。
確かに少女の言うように、少女の服とヴィルマのユカタには、共通点があった。
ボタンの無い上着を合わせ、オビで留める。その形は、ユカタと殆ど一緒である。
だが、ヒザ下まで丈のあるユカタとは違い、少女の上着は腰までしかない。
その代わり、少女は裾の長いズボンを履いている。
それに、薄いユカタとは違い、少女の服は厚い布を使っていた。
腰に巻く黒い帯も、随分と丈夫そうだ。
そんな謎の白い服の上に羽織っているのは、薄緑色に金縁のローブだ。
アレは確か、魔術師ギルドから正式に魔術師と認定された者に与えられるローブだ。たしか布の色で分野を、縁取りの色で階級を示しているはずだが、ヴィルマに少女の階級を見抜くほどの知識はなかった。
知り合いの偉い魔術師が金縁のローブを羽織っていた気もするし、少女もそれなりに偉いのかもしれない。年若いのに、たいしたものだ。
ビキニアーマーの上にユカタを羽織るヴィルマと、謎の服の上にローブを羽織っている少女。常識の上に異文化を羽織り、異文化の上に常識を羽織る。奇しくも二人のファッションは、同じ異文化を取り入れていながら真逆であった。
いったい、ローブの下に着ているその服はなんなのか。
そもそも、そちらは何者なのか。
魔王憑きについて、何か知っているのか。
疑問はいくらでも思いつく。
ヴィルマが一つずつ聞こうとしたその時、少女は突如手をポンと叩いた。
「ひらめいた!」
どうやら何か、思いついたらしい。
少女はヴィルマの腕を掴むと、崖から離れた方へ引っ張っていく。
「こんなところに突っ立っていても仕方ない。少し、協力してほしいことがあってね。さあ、行こう!」
「ちょ、ちょっと、待って」
ぐいぐいと引っ張る少女に、反射的に抵抗するヴィルマ。
だが、ヴィルマの足は少女に自然とついていく。
少女の手の力、いや指の力にはとんでもないものがあった。ついていかなければ、肉が引きちぎれてしまうのでは。そんな恐怖感が、ヴィルマの足を動かしていた。
一見、ただの細指なのに、いったいどういうことなのか。魔術で指の力を強化しているのだろうか。だが、そんな魔術があるのか?
そう言えば、ゴブリンやオークは、戦っている最中、自分たちの背後をチラチラ見ていた。そして、この少女が出てきたのは、その方向だ。
まさか彼らは、この少女から逃げていたのだろうか。
「待ってと言うか、では待とう。何か、聞きたいことは?」
急に止まったかと思うと、ぐいぐいとヴィルマめがけ前のめりで話してくる少女。
ライデンが細かいことを気にしない豪快なら、この少女は強引である。
ヴィルマは少し考えた後、まず始めに聞かなければならないことを聞く。
「せめて、名前ぐらい先に名乗ってほしいんだけど」
「アギーハだ。稀代の錬金術師にして……」
アギーハと名乗った少女は、腰を入れ、素早い前蹴りを繰り出す。
アギーハの蹴り足により、草むらが裂け、切れた草が辺りに舞う。
先ほどのヴィルマのケタグリが俊敏な弾く蹴りなら、アギーハの蹴りは神速の蹴りである。そもそも、蹴りは対象を切る技ではないはずだ。あまりの速度が、足を刃に変えた。
「拳と脚にて、神も魔も、すべてを超える道を行くカラテカだ! ……ゲホゲホ、ちょっと待った。意気込みすぎて、咳が出てきた……」
最後は締まらなかったが、アギーハは力強く、この世界に馴染みのない格闘技の名を口にした。さながらそれは、スモウに身を捧げ、リキシを名乗るライデンの姿にかぶるものがあった。