5話 チホウバショ 開幕
山でのケイコを始めてから数日後――
ライデンは一度山を出て、近くにある村を目指していた。
その足取りは、非常に重い。
必要以上に重い。
いや、原因を考慮すれば、これでいいのだろう。
ライデンが両肩や腰に巻き付けている荒縄、その先には山盛りの丸太に繋がっている。ただ木をへし折って積んだだけの粗雑な丸太こそ、ここ数日のライデンのケイコの成果だ。その数は、十を軽く超えていた。
ライデンは一人でたくさんの丸太を引きずっていく。
その力は、馬や牛、数十頭に匹敵する。
遠くから見れば、丸太の山が動いているように見えるだろう。
「方角はこっちでいいんだろ!?」
ライデンは丸太の山の山に叫ぶが、特に山びこは帰ってこなかった。
少し間をおいて、再びライデンは山めがけ叫ぶ。
「方角はこっちでいいんだな!?」
「あってるよー……」
声量はなんとかあるものの、力尽きそうなとてもか細い声。
引っ張られる丸太の山のてっぺんで、ヴィルマが力尽きていた。
この丸太の山を括る縄の準備や、出来た縄を巻きつけるのは大変だった。
人生で学んだ経験を総動員してなんとかしたものの、折った以上、最後まで役立てるのが義務だなんて、エルフらしいことを言わなければよかった。
だがヴィルマの疲労の原因は、それより何より連日のケイコである。
できる範囲で、体力おばけなライデンの基礎練習についていき、その後はエルフに合うスモウ技の反復練習だ。
ここ最近、酒浸りで身体がなまっていたことを抜きにしても、ライデンの教えは実に厳しい。なにせ基準が、途方も無いスタミナを持つオーガ族である。
初日は、吐いて気絶するまで身体を動かす羽目になった。
“いやー、すまんすまん。人に教えるのは苦手でな”
ライデンはそんなことを言いつつ、次の日は若干メニューを軽くしてくれたものの、最後には結局吐いた。でも、一応意識は残っていたし、最後までやれた。
きっと、僅かながらメニューを軽くしてくれたのだろう。ほんの、僅か。
ギリギリまで体を動かし、それ以外の時間は休息という名のダウン。
これがここ数日の、ヴィルマの一日であった。
「おうおう! 村が見えてきたぞ!」
疲労困憊のヴィルマとは違い、元気そうに叫んでいるライデン。
そんなヴィルマ以上のメニューをこなしながら、食事の用意や火の番までこなし、更にはヴィルマを乗せた丸太の山を一人で引きずってみせる。
もはや、敗北感を感じぬほどの差である。
ライの頃から化け物だとは思っていたが、リキシとなったライデンは更に輪をかけて、とんでもないことになっている。意思疎通ができるようになったぶん、その怪物性がぐいぐいとこちらを押してきている。
ズズンと音がして、丸太が止まる。
しばしの沈黙の後、下にいるライデンがヴィルマに声をかけてきた。
「ちょっと降りてきてくれ!」
「わかった……」
返事をして、ノロノロと下に降りていくヴィルマ。
着地した瞬間、ヴィルマはライデンが呼んだ理由を即座に理解した。
「お前、道間違ってないよな?」
「そんなに遠くない時期に、この村に来たことがある。その時は普通の村だったよ」
警戒する二人。
丸太を売りに来た山あいの村は、あちこちが崩れ廃村のような光景になっていた。破壊のあとはあれども、古びてはいない。つまり壊されたのは最近だ。
ライデンがヴィルマにたずねる。
「ボルグの行軍ルートから、ここは外れてるはずだが」
「うん。距離も方角も違うし、おそらく違う。逃げた方角とも違う」
計画や指揮の元、村を破壊するのではなく、ただ無秩序に目立つ建物を打ち壊す。
この村の荒み方は、ボルグたちを思い出す荒れ方である。
だが、彼らではないとなると、いったい何者がこの村を荒らしたのか。
ヴィルマは探るような足取りで、村の中に侵入しようとする。
だが、ライデンはそんなことはお構い無しで、ズカズカと豪快な足取りで村へと入っていった。
ヴィルマが無防備なライデンに注意を促す。
「待って。もっと慎重に……」
「何か出てくるならぶちのめす。出てこない気なら、こちらから探してぶちのめす。それだけだ」
ライデンは罠や待ち伏せなどまったく気にしていなかった。
むしろ、そんなものが出てきたら、真正面からぶっ壊してやる。
この豪快な矜持がライデンの度胸なのか、オーガ族の個性なのか、リキシの矜持なのかはわからない。ただ、常識に則って慎重に進もうとしていたヴィルマの気が削がれたのは事実であった。
◇
ユカタ姿で、壊れた村のど真ん中を歩く二人。村には人の気配だけでなく、死体どころか血痕のような痕跡も無い。この村からは、人が消えていた。
「ちょっと綺麗すぎるね」
ヴィルマの言葉にうなずくライデン。
その時、二人めがけ、古い金属製の網が頭上から落ちてきた。
「え?」
「む!」
いち早く網に気づいたライデンが、ヴィルマを懐に入れてかばうものの、出来たのはそれだけだった。
網を合図に、あちこちから棍棒を手に持った小人が姿をあらわす。
緑色の肌と、尖った目耳鼻が特徴的な小鬼。
出てきたのは、ゴブリンの群れであった。
彼らの得意技は、小柄な身体を活かした隠密だ。
小物の影や床下の隙間と、この村に隠れるところはいくらでもある。
「キキー!」
「ケケー!」
ゴブリンたちは網に囚われた二人の元に殺到し、手にした棍棒でポコスカ殴る。
網で捕らえて動きを止め、とにかく殴って体力を削る。
まるで猛獣の捕らえ方であるが、その分誰にも通じる効果の高さがある。
非常に効率的なやり方ではあるものの、問題があるとすれば、いま網で捕まえた存在が猛獣を凌駕する鬼であることだ。
「いてぇじゃねえか! なにしやがる!」
ブチブチと金属製の網が簡単に千切れ、噴火した活火山のような勢いでライデンが立ち上がる。それだけで、群がっていたゴブリンたちの大半が噴出された岩のようにすっ飛んでいった。
痛いと言いつつ、ライデン自身もかばわれていたヴィルマも無傷であった。
ライデンは手近なゴブリンの横っ面を、力任せにハリテで叩く。
ライデンに叩かれたゴブリンは物理法則を無視する勢いで横にすっ飛んでいき、数棟の建物を貫通した後、軌道上の岩にとんでもない勢いでぶつかった。
ゴブリンは賢くないものの、感は悪くない。その感がすでに、今しがた捕らえた太い男は、自分たちの手には負えないと察していた。
三々五々、散らばって逃げるゴブリンたち。
「待ちやがれ! テメエら、チャンコにしてやる!」
非常に食欲のわかない脅し文句を言って、追いかけようとするライデン。
そんなライデンを、ユカタの裾を掴んでヴィルマが止めた。
「待って! ゴブリンじゃ、この網を投げられない!」
「そうか!」
この鉄の網を投網のように投げるのは、たとえ数を揃えても小柄なゴブリンでは難しい。
ヴィルマの言いたいことを理解したライデンは、すぐに立ち止まって身構える。
ライデンめがけ、ゴブリンの棍棒より数十倍太い棍棒が叩き降ろされたのは、直後のことであった。
「ほう!」
棍棒の一撃を避けたライデンは、棍棒の主を見て嬉しそうな声を上げる。
ライデンと同等の身長に、ふくよかな腹回り。全体的に丸く肉のついた身体は、筋骨隆々とした四角さが残っているライデンよりも、ある意味、リキシらしい。
襲撃者の正体は、鎧で身を固めた一匹のオークであった。
「なんで……?」
オークを見て、疑問符を浮かべるヴィルマ。
彼女からして見れば、このオークの出現には看過できない部分があった。
だが、気づかなければ大したことではない。
「見事な体格だな! おい、お前! 俺と一緒にスモウやらんか!」
ライデンはそんな懸念など一切持たず、オークを熱烈に勧誘した。
ライデンの好意を唐突にぶつけられたオークは、不思議そうな顔をしている。
肉厚な交流に、割って入るヴィルマ。
「いやいや。オークは普通、こっちの言葉がわからないから」
魔物と人類の違い、魔に属する者は、かつて魔王の配下にあったという歴史的な事情もあるが、それより何より大きいのは意思疎通の有無である。共通言語を持たず、法に従う気もない。そのような野党以下の種族を、人は魔物と呼ぶ。
「そうか。やはりそうか。もったいないなあ」
そう言って、シキリの体勢を取るライデン。
言葉がわからないのならば、肉体言語で語るしかあるまい。
「ハッキヨイ……」
「その呪文、なんなの?」
勝負に挑もうとするライデンに、質問をぶつけるヴィルマ。
ライデンが勝負に挑む際、たいてい口にしている謎の呪文ハッキヨイ。魔力がないライデンが発している以上、別に効果はないのだろうが、気になるものは気になる。
「スモウを始める前の掛け声みたいなもんだよ。本来なら、リキシじゃなくてギョウジが言う言葉なんだけどな」
解説しつつも、ライデンの身体に満ちた気に衰えはなかった。
オークもまた、ライデンから放たれ始めた戦意を嗅ぎ取り、棍棒を構えた。
立ち上がり、ハリテで攻めるライデン。巨大な棍棒を力任せに振り下ろすオーク。
棍棒とハリテがぶつかり合い、剣撃のような鮮烈さとは真逆の鈍い音がする。
オークは弾かれた棍棒をすぐに構え直すと、縦ではなく横、横薙ぎのフルスイングを繰り出す。狙いは、ライデンの胴体である。
ライデンの腹にぶつかった瞬間、木製の棍棒は派手に弾け飛んだ。
その壊れ方はまるで、木で鋼鉄を殴りつけた結果である。
思わず目を見張るヴィルマ。この間、自分がライデンの腹めがけて突撃した時と、結果が違いすぎる。あの時は、柔らかに弾き返されたのだ。あんな大きな棍棒が負けるほどの固さであったなら、ぶつかったヴィルマの首の骨は折れていただろう。
「なんのトリックでも魔術でもないぞ。これぐらいの使い分け、リキシにとっては簡単なもんだ」
軽く言うライデン。力の入れ方で、腹の硬さを変える。弟子を受け止める時はスライムのように弾力を、武器を受け止める時は鋼鉄のように固く。使い分けなければ、アニデシとして、オトウトデシを受け止めることは出来ないのだ。
折れた棍棒と、受け止めたライデンの腹を何度も見比べているオーク。そんなオークの身体に、ライデンのブチカマシが直撃した。吹っ飛ばされたオークの身体は、ゴロゴロと転がり、建物にぶつかって止まった。
「重さも大したもんだな」
動かなくなったオークを見て、ライデンは満足げな様子を見せる。
吹き飛ぶのではなく、転がる。ゴブリンよりも獣人よりも、オークは重かった。
それだけだが、リキシ的には評価したいポイントである。
「ところで、おかしいと思わなかった?」
ライデンに話しかけてくるヴィルマ。その顔は、緊張に包まれていた。
「何が?」
かたや、緊張感の欠片も無いライデン。
ヴィルマはこの状況のおかしさを、ライデンに説明する。
「ゴブリンとオークが、組むだなんて見たことがない。オークは小柄なゴブリンを馬鹿にしてるし、ゴブリンはそんなオークをウスノロと思ってる。そんな二つの種族が、作戦じみた動きをするだなんて」
「そうなのか? オークが網を投げて、ゴブリンが叩く。ゴブリンが逃げて囮になって、オークが襲ってくる。あれは完全な連携だったぞ」
「それに雑に服を着るオークがしっかり鎧を着ているのも、そんな凶暴な二種族がいたのに村に血の跡がないのも。一つ怪しめば、全部怪しすぎるよ」
「うーむ。そういうもんなのか」
警戒するヴィルマに比べ、ライデンはのんきであった。
思わずヴィルマはライデンにたずねる。
「ひょっとして、魔物について何も知らない?」
「知るわけねえだろ! なにせオーガ族にとって、魔物なんてぶっ倒す相手意外の何者でもないからな。あと、こっちに喧嘩を売ってきてくれるありがたい連中ってとこだ!」
軽く問いかけた結果、オーガ族の脳筋伝説の一端に触れることになってしまった。
戦略が真正面から殴る以外ないと、こうなってしまうのか。
逆に今度は、ライデンがヴィルマに聞いてくる。
「お前、随分と詳しいな。学者か?」
「昔、いろいろとやってたしね。学者はやってないけど、傭兵に冒険者に……とにかく、知識は武器だよ」
「なるほど。まあ俺の武器は筋肉だけどな!」
「だろうね」
「おいおい、なんでそんな諦めきった瞳で俺を見るんだ?」
静かになった村で、話し続ける二人。
カツカツと、何か固い物で地面を突く音が、そんな二人の会話を止めた。
ライデンとヴィルマの背後から、ゆっくりと腰の曲がった老婆が進み出てきた。
音の正体は、杖が地面を突く音である。
老婆は深く頭を下げ、感謝の意を伝える。
「ありがとうございます。勇者様。おかげで助かりました」
「勇者?」
あまりに仰々しい称号で呼ばれたせいか、ヴィルマの声が引きつる。
ライデンもまた、その称号を断るように、眉間にシワを浮かばせていた。
「ご老人。俺たちは勇者ではない。スモウに身を捧げようとするリキシだ。間違わんでもらおうか」
「は、はあ……」
「世間一般が聞いたことのない単語で自己紹介しても、わたしは不審者ですってアピールにしかならないからね」
困っている長老を見て、ヴィルマはフォローに入る。
スモウもリキシもわからぬ相手に、いきなりぶっこむ。
ライデンの自己紹介もまた、力任せのヨリキリデンシャミチであった。