26話 コンバショ センシュウラク
ライデンのリキシとしての器が、魔物をまとめようとしていたその時。
突如、巨大な城門を開け城内にあらわれたのは、ワイト・プーリストであった。
「ワイト・プーリスト……?」
同僚の名を呼ぶ、スライム・レギオン。
様子のおかしいワイト・プーリストは、ドヒョウ上のスライム・レギオンをゆっくりと指差す。ワイト・プーリストの身体は、魔力の奔流により浮かんでいた。
「崩れろ」
ワイト・プーリストが呟いた途端、こちらを見下ろしていた城郭がばらばらになり、土石流、いや隕石の如き勢いでドヒョウに降り注ぐ。
大小混ざった石の雨が、スライム・レギオンの身体に降り注ぎ、石畳が壊れたことで沸き立つ煙が全身を覆った。
「主の敵を取ろうとしないどころか、主の見分けすらつかぬ上に、主をそのまま変えようとする。不忠にして愚昧。やはり貴様は、力だけの愚か者よ」
ワイト・プーリストの身体を乗っ取ったシュンシュウは、主としてスライム・レギオンに誅伐を加える。ライデンの身体から吹き飛ばされたシュンシュウは、即座にワイト・プーリストに取り憑くことで生きながらえていたのだ。
煙が晴れ、もはや再生できぬほどに細切れとなったスライム・レギオンの遺体が姿を表す――はずであった。
「テメエが誰だか知らねえが、ずいぶんなご挨拶じゃねえか」
身体中に細かな傷をつけたライデンが、シュンシュウを睨みつける。
乗っ取られていた記憶はなくとも、いきなり殺しにかかってくるような相手に、好意を抱く理由などカケラもない。ライデンはシュンシュウを敵と見定めた。
かばったライデンが肉の盾になったことで、その背にいるスライム・レギオンは無傷であった。
「ナ、ナンデ、タスケタ?」
「ドヒョウでブツカリゲイコをやった以上、俺は兄弟子で、お前は弟弟子だ。兄弟子は弟弟子の壁となるもの。だったら、こんな時も壁になるのは当たり前だろ」
ブツカリゲイコは、胸を貸す者が格上であり、兄弟子である。
それだけの理屈で、ライデンは命をかけて盾となってみせたのだ。
「んん?」
ライデンは不思議そうな顔をすると、スライム・レギオンの腹にいきなり腕を突っ込む。スライム・レギオンが反応するより早く、ライデンは腕を引き抜いた。
「ゲホ! ゴホ! ゲホッ!」
粘液まみれのヴィルマが、思いっきり咳き込む。
ライデンがスライム・レギオンの体内から引っ張り出したのは、いつの間にかこの場から消えていたヴィルマであった。
「お前、何やってんだ?」
「ちょっとね……」
密かに城中に潜入していたヴィルマであったが、どうやらそのまま城の崩落に巻き込まれてしまったらしい。柔らかなスライム・レギオンの身体にキャッチされなければ、大変なことになっていただろう。肉の壁となっていたライデンにぶつかっていても、スライム・レギオンの身体の中に放置されていても大変なことになっていただろうが。とにかく世の中、大変なことが多すぎる。
「トイレだろうがウンコだろうが花を摘みにいってたんだろうが、なんでもかまわん。とにかく、一旦、ドヒョウから降りとけ」
「なんで気遣いのなさとロマンチックな表現が同居してるんだか。ああうん、トイレに行ってたからね、トイレに!」
「オンナ、ギャクギレシテル……」
ライデンはヴィルマとスライム・レギオンに、ドヒョウの外に降りるよう促す。
「なにせ、アイツが用があるのは俺のようだ」
ライデンの目は、ヴィルマでもスライム・レギオンでもなく、目に憎悪を滾らせるシュンシュウに向けられていた。ひ弱なワイト・プーリストの身体に取り憑いたことで、その内面の怒りとも怨念ともとれる感情を更にさらけ出している。
ヴィルマとスライム・レギオンは、それぞれアギーハMや魔物たちの元に戻る。
シュンシュウの身体が更に高く浮き、ドヒョウもライデンも見下ろす高さに達する。そんなシュンシュウと対峙しても、ドヒョウ上のライデンは落ち着いていた。
「スモウは、滅ぼなさねばならない――」
もともと、聖職者であったワイト・プーリストの身体に引っ張られているのだろうか。シュンシュウの言葉は、神託じみた重々しさを持っていた。
だが、その程度でのまれるほど、ライデンはヤワな性格ではなかった。
「いきなりとんでもねえことを言ってくる野郎だな。なんでだ、なぜだなんて、聞く気もしねえこと言いやがる」
ライデンは腰を落としソンキョの姿勢を取ると、シュンシュウに告げる。
「スモウを潰したいなら、まず俺を潰してみろ」
あまりに強い、男の誇り。ただそう言って、シキリの姿勢になっただけなのに、恐ろしいまでの重圧がドヒョウを支配している。まるで神気にも似た、単純に強い男が放つ重圧。これと比べてしまっては、シュンシュウの取って付けたような重々しさも、その放っている魔力も、ひたすら軽く見えてしまう。
「ならば、そうさせてもらおう!」
もはやシュンシュウに出来るのは、自らの軽さを無理に振り払うことだけだった。
シュンシュウの両手が、魔力により紫色に輝く。城壁や石畳、そして城の残骸。シュンシュウが作り出した城のあちこちが破片となり、シュンシュウの全身を覆っていく。シュンシュウの身体を基点とし破片が作り上げたのは、この場にいる誰もが見上げるサイズの怪物であった。もはや人ではなく、山で例えるべきだ。
人を模しつつ、均等でない肩や各部位。
無数の手に枝分かれした多腕。
それでいて頭部を持たぬ姿は、まるで地獄から這い出てくる途中の怪物である。
「ふは、ふははは! これぞ、全盛期の我の姿! 我にもはや足はない! 顎もない! もはや、スモウだろうがカラテだろうが、我には届かぬのだあ!」
「あそこまで追い詰められた魔族、初めて見た」
シュンシュウの叫びを、あっさり切り捨てるヴィルマ。
顎といえばツッパリ。足といえばケタグリ。
自分のスモウ技が、まさか心を砕くまで効いていたとは。だが、ヴィルマにあるのは喜びよりも呆れだった。敵の攻撃が届かない場所に引っ込んでいるシュンシュウの姿は、もはや王でもなんでも無い。スモウに負けぬためにただ殻にこもる貝だ。貝に褒められたって、まったく嬉しくない。
ライデンは怪物と化したシュンシュウを目の前にしても、平然としていた。
腰を落とし、拳を軽く握り地面につける。首は上げ、前にいる相手を見据える。そんなシキリの体勢のまま、不動である。
「臆したかー!」
しびれを切らしたシュンシュウの攻撃が、ライデン目掛け降り注ぐ。
巨体による踏みつけ。突進。執拗な殴打。
剥離した石片の射出。連撃。斬撃。迫撃。
魔力による攻撃。拡散。集中。大破壊。
もはや、何でもありのオンパレードである。
全盛期と豪語するだけあって、その破壊力も火力も、もはや近代では見られるものではない。四百年前、世界を蹂躙した魔王率いる魔族たち。その一端が今ここに復活した。
シュンシュウの猛攻が、ドヒョウだけでなく、辺りを破壊する。
だが、ヴィルマもアギーハMもマスタツAも、スライム・レギオンら力自慢の魔物たちも、門が壊れたことで城内にやって来た頭脳派の魔物たちも、誰も逃げようとせず、じっとしている。時にはシュンシュウの攻撃の余波により、犠牲者も出ているが、それでも足を動かさず、その場にいる。
飛んできた大きな岩を、ショウテイヅキで粉微塵に粉砕したアギーハMが呟く。
「アレは、理想だな」
「理想?」
隣りにいる、ヴィルマが聞き返す。
ゴーレムであるマスタツの身体を使っているアギーハMの表情に変化はない。
だが、その声には、羨望に嫉妬に達観と、様々な人らしい感情が込められていた。
「スモウもカラテも、この世界では未知だ。未知である以上、一から広めなくてはならない。その際に必要なのは、この技術を収めればこうなるという理想だ。理屈よりも技術よりも強さよりも、こうなりたいという背中に人は惹きつけられる。ハッキリ言って悔しい話だが、今のライデンは理想そのものだ」
ライデンはシキリの体勢を取ったまま、シュンシュウの猛攻を浴びていた。
身体に多少の傷は出来ているものの、その足腰は微動だにしていない。
これぞ、不動のリキシそのもの。相手がスモウのルールを守っていなくても、ドヒョウが掻き消えようとしていても、ライデンがこの場に居る以上、ここに在るのはスモウなのだ。そしてその背は、何よりも雄弁にスモウのあり方を語っている。
シュンシュウの休みなき攻撃に、徐々に間が生じてくる。
間の正体は、体力切れに魔力切れ。更にまったく崩れぬライデンへの疑問である。
なぜこの男は、じっとしたまま耐えきっているのか。
疑念がシュンシュウを襲い、攻撃の手は弱くなっていき。
ついには、止まってしまった。
「お前は……お前は……なんなんだ?」
シュンシュウが言葉として発したのは、困惑であった。
他者を蹂躙し、支配するのが当然と思っている高位魔族が戸惑っている。
もはやシュンシュウにとって、ライデンもスモウもリキシも、手に負えない存在となっていた。
シュンシュウの疑問には答えぬまま、ニヤリと笑い、ライデンは呟く。
「もう、終わりかい?」
「……まだだ、まだ我は終わらんぞぉぉぉぉ!」
激昂し、石でできた巨体を震わせるシュンシュウ。
彼を突き動かしたのは、無礼なライデンへの怒りではない。
ここで終わらせたら、何をされるかわからないという恐怖だ。
もはやシュンシュウは、得体のしれない恐怖にがんじがらめにされている。
不均等な巨人であるシュンシュウの右腕らしき部位が肥大化する。
身体を構成する石が右腕に集まっていき、やがてそれは巨大な石の剣となった。
他の部位は細くなり、ギリギリで均衡を保っている。
魔力も能力もバランスも、すべてが込められた剣が、不動のライデンめがけ振り上げられる。
「ウワァァァァァァァァ!」
それは、シュンシュウの咆哮か悲鳴か。
大陸ごと切り裂きかねないサイズの剣が、ライデン目掛け真一文字に振り下ろされる。剣と言えども、その刃の太さは規格外。空気が音を立て裂け、余波だけで魔物が吹き飛ぶ。ヴィルマもマスタツAも、アギーハMの身体にしがみつき事なきを得ている。
突如、ピシリと乾いた音がした。何か、硬いものが砕けた音である。
ぐしゃやぐちゃといった湿り気がなく、乾いた物体が砕けた音だ。
シュンシュウの振り下ろした石の剣、その一部に出来たヒビが、急速に拡大していた。ヒビはあっという間に刀身を覆い、剣を粉々に砕いてしまった。
「もう、満足しただろ」
ヒビの起点。規格外の剣に打ち勝ってみせたライデンが、シュンシュウに告げる。
もはや理屈ではない。大地に張る巨木の根の如き足腰と、常に研磨し続けた鋼を超えた身体。リキシの肉体が、シュンシュウの全力を乗り越えてしまったのだ。
ハッキヨイ――
ライデンの声なのか、そうでないのか。だがこの場に立ち会った人間も魔物も、確かに耳にした。
立ち上がったライデンの額が、頭が、首が、身体が、全身が、一直線にシュンシュウの巨体目掛けてぶつかっていく。ライデンの身体がシュンシュウに当たった瞬間、シュンシュウの規格外の巨体は瓦解した。
ガラガラと崩れ落ちるなんてものではない。ただ強大な力をぶつけられ、その巨体は一気に爆散した。
誰もが巨人の終焉に息を呑む中、スライム・レギオンだけが魔物たちの輪を離れ、鈍重な足取りで移動する。スライム・レギオンが移動してから数秒後、そこに落ちてきたのはワイト・プーリストであった。スライム・レギオンは、さきほど偶然ヴィルマをキャッチした要領でワイト・プーリストを受け止めた。
「受け止めてしまって、大丈夫なのでしょうか?」
ワイト・プーリストは、シュンシュウにまだ取り憑かれているのではないか。
スライム・レギオンの救助作業を見たマスタツAが、当たり前の懸念を口にする。
だが、ヴィルマの発言が、そんなマスタツAの不安を打ち消した。
「あの大きなスライムの思惑はわからないけど、それに関しては問題ないと思う。シュンシュウはもう、出ていったよ。さて、何処まで飛んでいくんだろうね」
ヴィルマはライデンがシュンシュウにぶつかった瞬間、その終焉を目撃していた。
シュンシュウの身体からふわりと浮かび上がった、黒い霊魂。霊魂はそのまま流星のような勢いで空の彼方へとすっ飛んでいった。アレがおそらく、シュンシュウの本体にして、魔王憑きの元凶だ。元凶は、気持ちの良いほどにかっとばされて、空へと消えた。
スライム・レギオンが受け止めたワイト・プーリストが、うめきつつ目を覚ます。
「う……ううっ……」
「ダイジョウブ?」
「お前は、スライム・レギオンか……? いったい、何があった。とにかく、手を離せ。お前の粘液で、こちらの一張羅が汚れてしまう」
「コノ、コンジョウマガリ。マチガイナク、ワイト・プーリスト」
「待て! 根性曲がりだと!? そもそもお前、そんな難しい言葉を使えたのか!?」
「ソチラガオモッテイルヨリ、アタマガイイダケ」
あの様子なら大丈夫そうだと、ヴィルマは安堵し、アギーハMも構えを解く。
おそらくこれで、終わったのだ。
グォォォォ……とまるで邪神のうめき声のような音がしたのは、その時だった。
「うーむ、腹減ったな!」
シュンシュウをふっ飛ばしても、意気軒昂。
ライデンは機嫌よく、自らの腹を撫でる。
むしろ景気よくブチかませたから上機嫌なのだろう。
『それ腹の音!?』
人間がこんな音を出せるのかと驚くアギーハM。
机上の学問ではわからぬ謎は世の中にたくさんあると言えども、そういう問題ではない。
「なにせ、しばらくまともなものを食ってたのか、食ってなかったのかもわからん! おい、ヴィルマ! チャンコ作るぞ、チャンコ!」
「わたしも久々にアンタのチャンコを食べたいんだけど……」
ライデンはとにかくメシだ! と叫ぶものの、ヴィルマは、それどころじゃないと言いたげな顔をしていた。そしてヴィルマがそんな顔をしていた理由を、ライデンはすぐに察した。
「お前ら、どういうつもりだ?」
ライデンを待ち構えるかのように、ずらりと並ぶ魔物たち。
スライム・レギオンと未だよくわかっていないワイト・プーリストを筆頭に、ドラゴンやオークのような力自慢組、そしてブラッドマンティスや狐魔道士のような城の外にいた魔物たちも集まっている。
「コノママ、ドコカヘイクノハヒドイ。オレハ、スモウヲチャントシリタイ。スモウハ、スゴイ」
「お、おい! スモウとはなんだ!? この男は誰だ!? そもそも、シュンシュウ様はどこへ行かれた!?」
「スコシ、ダマッテ」
「うぉっ!? ガボガボガボ……」
事情を唯一理解せず一周遅れで騒いでいたワイト・プーリストが、スライム・レギオンの身体に沈められる。死体である以上、溺れ死ぬことはないだろう。たぶん。
ワイト・プーリストが黙ったところで、スライム・レギオンは仕切り直す。
「オレタチハ、オマエノシタニツキタイ。リキシニナリタイ」
支配者足り得る魔王や魔族を見限り、あくまで人間であるオーガ族のライデンを崇める魔物たち。人間と魔物、相容れないと思われていた者同士が、スモウにより繋がった瞬間である。もしここに、長年魔物たちと戦ってきた戦士がいれば目を丸くし、王族がいれば今後の政策に悩み、歴史家がいれば、とてつもない勢いで筆を走らせていただろう。
『なんか楽しそうな話してて、すっごくムカつくな』
「主のやりたかったことをそっくり持っていかれましたね。ところでそろそろ、身体を戻しませんか?」
だが、ここにいたのは、嫉妬する錬金術師兼カラテカである。
カラテは蚊帳の外かとスネているアギーハMを、ライデンAが慰めていた。
ワイト・プーリスト同様、事情を完全に把握していないのはライデンも同じである。魔物をスモウに引き込んで見せる。そんなアイディアを口にはしていたが、まさかここまで大規模に、多種多様な魔物を引き込めるようになるとは思っていなかった。わずかな逡巡がライデンを襲うが、しょせんわずかだった。
「ええいわかった! まずお前ら、この城の残骸から鍋釜食材を探すの手伝え! みんなでチャンコ食うぞ、チャンコ!」
まあ、どうにかなるだろ。あっさり決断したライデンは魔物たちに雑に命じる。
全部の魔物たちがライデンの言葉を理解したわけではないが、スライム・レギオンやワイト・プーリストのような言葉を知る魔物が仲立ちや通訳となり、魔物たちは言われたとおり城の残骸をあさり始めた。
「なかなか素直な連中じゃないか」
「……グールとかドラゴンとかいるけど大丈夫なの?」
意思疎通が出来ず、人を食うタイプの魔物も、ここには混ざってる。
ヴィルマは、ごく当たり前のことをライデンにたずねる。
「あん? 今の俺なら、グールやドラゴンより食うぞ? ただ、あいつら、どういう味付けが好みなんだろうな」
「いや、そういうことじゃなくて……」
上手く伝わってないなーと悩んだ後、ヴィルマはライデンの考え方に気づく。
ヴィルマは人間と魔物の違いに悩んでいるが、ライデンはスモウに興味を持った者として、既に魔物を受け入れている。そして、自分ならなんとかしてみせるという自負がある。
このおおらかさと、強さへの自身。
これは実に魔王にふさわしい、いやヨコヅナにふさわしい度量だ。
「なんだ。なにがおかしいんだ?」
思わず笑顔となったヴィルマを見て、ライデンが怪訝そうな様子を見せる。
そんなライデンに、ヴィルマは笑顔のまま答えた。
「ん? 見事なムスビノイチバンを見せてもらった。それだけ」
ああまったくもって、スモウもライデンも面白い。
面白すぎて、ここから世界を変えてしまいそうだ。
上機嫌なヴィルマに当てられ、ライデンもまた機嫌よく叫ぶ。
「これにて、本日ムスビノイチバンよ!」
ライデンのシコが、辺りを心地よく揺らした。




