episode.17
以前とは違う店に連れてきてもらったベルティーナだが、席は相変わらず一番奥のカウンター席だった。
アルミロの機嫌についてその表情から読み取る事は出来そうにないのだが、今イレイナとフィリオ王子の話がご法度だという事は流石に分かる。
「そ、そういえばアルミロ様の話を聞いて思い出したんですけど、私も子供の頃はよく叱られる子供でした」
「つい先日外で長々と居眠りをして叱られていただろう」
「………それは、その…お恥ずかしいところをお見せしまして…」
あの日、最後までアルミロに抱えられて家に戻ったベルティーナは、最初こそ心配されたものの、家の裏の草原で寝ていたと知られてアルミロの前で母にこっぴどく叱られた。それはもう恥ずかしい以外に無い。
墓穴を掘ったベルティーナはこれ以上下手な話題の振り方は無いだろうと思った。
しょんぼりするベルティーナを見てか、それともあの日の情景を思い出したのかは分からないが、吐息でアルミロが笑ったのを感じると、ベルティーナは更に頬を赤らめた。
「親の短剣の鞘に手を突っ込んで取れなくなって叱られた事は無いだろう?」
「…ありませんけど……アルミロ様が?」
「ああ」
やはり信じられないなと目を見開くベルティーナの隣で、アルミロは懐かしそうに笑った。あまり至近距離で笑みを浮かべられると心臓が壊れそうなのだが、アルミロの笑みは貴重なので目を離す事が出来ない。
「アルミロ様が叱られているのは、想像出来ません。しっかりしている印象で」
「繕っているだけだ。うちは隊長があんなだからな」
あんな、と言われたのは紛れもなくマウロ隊長だ。確かにマウロは基本的にヘラヘラしていて冗談を言っているのをよく目にするが、それでも、何かあったらあの人を頼れば良いと思えるような存在感がある。
「マウロ隊長は、しっかり者のアルミロ様がいるからあえてあんな風に振る舞って隊士達を気遣っているのでは無いでしょうか」
「そうだろうな。俺には向いていない」
「隊士の方はアルミロ様を目標にしている人も多いですよ」
「お前は人付き合いが得意そうだな。うちの隊士とも仲が良いだろう」
「私のは職業病です。つい武器の話とかしちゃうんですよ」
今や討伐隊士は必ずと言っていいほど、従獣と共に狩をする時代になり、ベルティーナが隊士達と話す事と言えば、武器の強度の話や防具のデザインや機能の話ばかりだ。
全くもって浮ついた話にならず、多分女だと思われていない。これは嫁ぎ遅れるだろうなと自覚がある。
「隊士達も話しやすいのだろう」
「私も現場の声を聞けるのはありがたいです。しばらくは同伴の予定も無いので彼らの声が聞けなくなるのは寂しくなりますね」
ロップが無事に受け渡され、ベルティーナが抱えていた仕事はひと段落したと言っていい。サーガン討伐隊のお屋敷にこちらから出向く機会が減る分、隊士達の生の声を聞けるのは工房か、たまに街で出会した時くらいになる。
ベルティーナがアルミロと顔を合わせる機会も、彼が工房に依頼品を取りに来る時だけになるので、意図的に避けなくても圧倒的に会う機会は減る。
「好きな時に来ると良い。隊士達もお前がいると喜ぶ」
「……そう、でしょうか」
「ああ」
意外と気遣い屋さんなアルミロのことだから、ベルティーナの事も気遣って誉めてくれたのだろうとベルティーナは嬉しく思う。
「じゃあいつか暇な時に行きますね」
用もなくサーガン討伐隊を訪ねるいつかなんて恐らく来ないだろうけれど、ベルティーナはこの場の雰囲気を壊すまいと微笑みながら答えた。
嘘を誤魔化すように料理を口に運ぶベルティーナをアルミロはまじまじと見ていたが、ベルティーナが匙を置いたタイミングでその手を取った。
急な出来事にベルティーナは咽せそうになったのをなんとか堪えたものの、心臓はあり得ないほどに大きく脈打ち、早くこの状況を打開するようにと警告しているが、ほぼパニック状態のベルティーナは指の一つも動かす事が出来ずにいる。
「傷だらけだな」
ぽつりと漏らしたアルミロの一言にベルティーナは恥ずかしくなって耳まで真っ赤に染めた。イレイナの小さくて白くて綺麗な手には程遠いボロボロの手だ。
きちんと薬を塗るようにとイレイナに咎められたのをはいはいと受け流し全然手入れをしていなかった自分を呪ってやりたかった。
「仕事上…細かい傷は気にしてられなくて…」
1つの傷が治る間に2つ新たな傷ができる。師範の手も傷だらけだが、まだまだ未熟なベルティーナは更に傷を作りやすい。
対して未だベルティーナの手を解放してくれないアルミロの手は大きくて指は長くて少し骨張っている。掌は皮膚が硬くなってカサカサしているけれどベルティーナの手を弄ぶ力は加減されている。
「あ、の…」
「ん?」
「酔っ……てます、か…?」
「多少回り始めているが、これぐらいは問題ない」
本当に?相当酔っているのでは??でなきゃこの状況はどういう事なのかちょっと理解に苦しむ。
「嫌か?」
「い…」
嫌なわけは無いけれどむしろ有頂天ですけどそれを言葉にするわけにはいかない。アルミロはフィリオと仲睦まじい姿のイレイナを目の当たりにさせられて柄にも無く拗ねまくっているだけなのだ。
「あ、そう言えば前のお店の料理も凄く美味しくて、また行きたいと思ってたんですよ」
話題変えるの下手くそぉ!!
表情だけは笑みを張り付けて何とか取り繕っているが、全身から冷や汗が吹き出ている。
「また行くか、一緒に」
「ぜひ機会があれば」
結局ベルティーナの左手はアルミロが次にグラスを傾けるまでの数分間、捕らえられたままだった。