五譚 誘拐事件
ホーレへと続く道を自転車で駆け抜けていく。
週四日のホーレでのバイトが今では楽しみになっている。理由は分からないが底抜けに楽しい。というのも、私は韓国に興味があり、韓国の文化や雰囲気を働きながら堪能できるのが私の欲求を満たしていた。
日陰に隠れた店の裏に自転車をとめ、店へと入っていく。
日向へと出ると優しい朝の日差しが体を包み込んでくれた。
「おはようございます。本日もよろしくお願いします」
元気のいい挨拶を響かせる。その声は店内に響いていった。
「元気が良いはいいことだ。今日からは新しい文化に移る。服装については後々、椎奈から伝えられると思うから、それに従ってくれ。俺がやるとセクハラになるからな。では、今日も一日よろしく頼む」
そのまま裏へと回り、着衣室へと向かった。中にいた椎奈はスマホをいじりっている。
「あ、おはようございます」
気さくな返事な戸惑いが隠せなかった。
このまま戸惑いで無言になるのも気まずいので、本題を切り出していく。
「あの、マスターから新しい服装になると言われたんですけど、椎奈さんに聞いてくれと終われて」
「そうね。今日からは、これをきて貰うよ」
そうやって取り出してきたのがチャイナドレスだった。細く丈の長い全体的に赤いドレス。花柄の意匠が美しさを引き出す。長いスリットが大人の色気を醸し出している。
「な、何これ」
「チャイナドレス」
「いや、分かるんですけど。私が、これ着るの?」
「着るの」
「恥ずかしいんですけど。すごく、ほんとに嫌だ」
「着なさい。先輩命令です」
着々とスマホを触りながら、淡々と話される言葉。その言霊に打たれ私は諦めて着ることにした。
ピッチリとして体のラインが際立っている。左の太腿が無防備な状態で、簡単にパンツも見えてしまいそうだ。とても恥ずかしかった。
「こんなの、誰にも見られたくない……。お願い、神様。絶対に知り合いにこの姿を見られないように」
恥ずかしくて頬を赤める。
足取りが遅くなり、時間をかけて表へと出た。
「マスター。なんですか、この服。すごく恥ずかしいです」
「と言われてもなぁ。それを買ったのは椎奈だし、それについても全て彼女に一任してるからなぁ。嫌なら彼女に相談してくれや。お金は店から出すから」
裏から椎奈が出てきた。
そして、彼女を見るといなや少し苛立ちを覚えてしまった。私が着ているのとは全然違う。まずドレスじゃない。赤色のチャイナ服が少女らしさを醸し出す。私の着ているのは大人の女の色気が中心だけど、彼女は少女の可愛さが中心としている。さらに、お団子頭がそれを際立たせている。
「どうです。「○んたま」の「○楽」ちゃんみたいでしょアル。可愛いでしょアル!」
両足を広げてポーズをとる姿がとても可愛らしい。
腑に落ちない。
「何で私はこんな恥ずかしいチャイナドレスなのに、なぜ先輩は違うんですか」
「奈路さんのサイズに合う服がそれぐらいしか売ってなかったからアル。仕方ないから。うん」
サラリと言い終える。
それを聞いて諦める気分になってしまった。
「大丈夫かい。開店してもいいかな」
脱力した体で頷いた。
今日一日のホーレが開店した。
心の中で何度も何度も「神様、仏様、絶対に私を知ってる人がカフェに来ないように」と願っていく。
その願いはすぐに途絶えることになる。
カランコロンと入室の音。お客様だ。接客のために入口へと近づいたが、すぐに足を止めた。
そのお客は幼なじみの小森翔だった。
小さな頃から家が近く、今も仲の良い友達だ。
「バイトしてるって聞いたから来てみたよー」
笑顔で優しく手を振ってきた。
戸惑いを隠しつつ、慣れてきた動作で席へと向かわせ座らせた。
椅子の上でスマホを触り出す。そして、
パシャリ──
彼はチャイナドレスの奈路を写真に収めた。この姿でいる時点で恥ずかしいのに、それを保存されるのはもっと恥ずかしい。私は思わず赤面した。
「ふ、ふざけんなよ」
「ごめん。あまりにも美しくってさ。これ、クラスのみんなに見せていい? 後、お前の親にも。反応が面白そうだしね」
恥ずかしさを越して感情。机の上を強く叩き、彼の耳元で低く強く響かせる。
「もし見せたら、シバくから。覚悟しろよ」
感情に身を任せ、一言一言に感情をのせる。
すぐに我に戻り、その場から離れようとした時、「ごめん。撮った瞬間に、クラスには送っちゃってた」と言われた。
バイト後、一人シバき倒すことが確定した。
恥ずかしさは別の感情に変わり、その感情を抑えながら仕事をこなしていく。
いつしか時間も定時となっていた。
帰りの支度をしながら、どうやって翔を処罰するか考えていた。
あまりにも思いつかないし、手を下す体力もそこまで残っていないため、どうしようか迷っている。考え抜いた結果、気になっている店で奢って貰うことにした。
さっそく彼を呼び出す。
やってきた彼に、今の気持ちを隠すように笑みを浮かべていく。そして、脅しとともに彼に奢らせる交渉をし、交渉が成立した。
気になっていたカフェへ行き、高いデザートを注文する。ひんやりと冷たいアイスとふわふわなホイップクリームが、味を強く感じさせていく。口の中に甘さが広がる。私はそれを堪能していった。
「なぁ、奈路はさ。誘拐事件どう思う? 絶対嘘じゃない?」
その話題は私にはピンとこなかった。
「そっか、バイトでニュース見る余裕なんてなかったもんな。これ見てよ」
そうやってスマホが差し出された。
『有名な小説家の娘を誘拐。覆面男、人間離れした力で家を破壊か』
そのタイトルとともに書かれていた内容は、覆面の男が素手で扉を壊して家へと侵入し女性を誘拐。さらに素手で地面を破壊し退路としたとある。犯人はそのまま姿をくらまし、捕まっていないという。
「ありえなくない。絶対に目撃者が見間違えただけだと思うんだよね。例えば、超重装備していたとかさ」
ありえなくはない。
その男がマスク所持者だとしたら、この荒行は可能である。きっと、これはマスク所持者の犯行だ。
裏稼業の出番がくると踏んだ。
来るべく戦いに向け、私はこのデザートを頬張っていった。
◆
一人の女性は暗い家の中に閉じ込められていた。
有名な小説家の子どもであるという話題性を持ち、彼女自身マスク所持者というポテンシャルがある。
手足をテープで縛られ深い暗闇の中、助けを求めるだけ。しかし、彼女は抵抗はすることなく、この状況を楽しんでいるようにも見える。
覆面の男が傍らでスマホを取り出す。
電話の相手は仮面の人。ノイズのような声に変えて話している。
『見ましたよ。派手にやったねぇ。キミたち硬岩組は雨女の件で失敗してるからね。二度は失敗できないから当然のことと言えば当然のことですけども』
「………………ムミ。(訳:ワタシが直々にやるから失敗はしない)」
『それは頼もしいです。交渉の方は我々に任せなさい。立てこもりの方はよろしく頼みますよ』
「……ムー。(訳:任せてください)」
スマホの通話が切れた。
すぐにキッチンへと行き、自身の食事と捕虜の餌を作り始めた。
この誘拐事件が交渉のための立てこもり事件へと変わり、そして、後々起きる大事件に関わってくることは神様しか知らなかった。