四譚 "牙獣"
深い暗闇の作られた倉庫の中。
しんみりとした空気が流れ込んでいる。
幾人の男が縄に縛られ動けずにいる。
仮面をつけた存在が倉庫内の大きな荷物に座り、変声機によって機械音に変わった声で話していく。
「キミたちが雨女を我々に引き入れることを失敗したせいで、あの子は奴らの仲間になってしまいました。さらに反対勢力が強くなってしまったのはキミたちがミスをしたせいだよ。分かるかな」
耳鳴りがついてくる声が彼らを狼狽えさせる。
恐怖が伝播し、縛られたもの達は皆震えている。
「お許しください。お願いです。もう一度チャンスを下さい」
頭を下げて強く強く懇願している。
死を目の前にした生き物が、そこにはいた。
そして、数分の沈黙。仮面の男(女?)は彼らの付近へとやってきて耳元で囁く。その言葉を聞いて彼らは驚愕していた。
「お前。まさか、そんな身分で俺らを──」
銃声。弾丸が壁にぶつかった。
それに続くように、銃声の嵐がやってきた。悲鳴の断末魔も闇の中へと消えていった。
「悪魔の復活のためにも、ホーレは早々と潰さないとね」
どうしようもない悪意がその場所から溢れ出ていた。そのことをその時の私が気づくことはできず、気づく手がかりすらなかった。
◆
木曜日の夕方はどこか落ち着いていて、体がほんわかしていく。現在バイト中、休む間もなく仕事をこなしていく。
オボンの上に商品を置いて机へと持っていく。
「お待たせしましたー。タルゴナコーヒーです」
全てが厳選された材料。白い牛乳の上には特性タルゴナコーヒー。そのコーヒーで作られた猫型のスリーディーラテアートが非常に可愛い。
土曜日から入り、現在木曜日。表の仕事も大抵は慣れてきた。ただ、未だに裏の仕事は任されていない。
「失礼致しました」
私はオボンを脇に挟んでその場から離れていった。
制服じゃないからすごく運びづらい。なぜ私はチマチョゴリを着させられているのだろうか。
隣では元気な男の子がホーレの制服姿で立っている。
この男の子は歳下ではあるものの先輩である。名前は"レイ"と言うらしい。彼は上の名前を教えてくれていない。
「ねぇ、奈路。偉さんが及びだよー」
私はそれを聞いて裏へと回った。
そこで私は座るように促された。
「夕飯を食べ終えた後、裏の仕事を行う。着いてくるか」
初めての裏の仕事だった。
「まかないのソルロンタンとトッポギ、それとご飯だ。黒胡椒とコチュジャンは自由に入れてくれ」
マスターが昼五時頃の夜ご飯を用意してくれた。
私はそれをいただいた後、軽装に着替え裏の仕事をする準備をしていった。
偉は先に出ていった。
その後に続いて外へと出ようとした時に黒に止められた。
「偉は奈路のことを猛者として見ているが、俺はそうは思わん。あいつが負けたのは相性のせい。熱々に煮え滾った体が急激に冷やされたことによって、身体能力が大幅に下がったと踏んでいる」
彼は私にスタンガンを渡した。
不思議とそれが手に馴染む。
「いいか、もし危険だと感じたら偉を置いてでもすぐに逃げろ。あいつは負けん。安心しろ。それとこれは万が一なんかあったら危険だから持っとけ。いずれ役に立つかもしれん」
私はスタンガンを装備する。
危険な場所に身を投じる。もうこうなってしまったからには逃げる訳にはいかない。私は気合いを入れ、偉の後を追った。
向かった先は使われていない港。
ドラマで使われそうな人気のない場所だった。
「最近、四名の死者が出ている。四名ともに鋭い牙で噛まれた痕があり、死因は肉食獣に喰らわれたことと見られるが、動物園から肉食獣が逃走していた訳でもなかった。それで秘密裏に調べたところ、彼らを殺したのは一人の男の仕業だと分かった」
潮風が心地よい。
夕焼け下の寂れた場所はどこか胸騒ぎがして不安が募る。
強い風に吹かれながら、コンクリートの地面を踏みしめていく。
「その男の名は宇垣リスタ。ヤクザだ。牙狼会を立ち上げ、その首をしている。マスクの能力から"牙獣"と呼ばれているようだ」
その情報をどこで、どうやって手に入れているのだろうか。気にはなるけど聞く気にはなれなかった。
「おい、お前ら。ここは今から牙狼会と硬岩組の取引場だ。用がないなら危ないから来るな」
二人組の男だった。どこかチンピラにも見える。
「馬鹿だな。易々と違法行為を説明するとは。ま、そのことは事前に調査済みだけどな」
咄嗟の攻撃で二人の男はその場に倒れた。
彼らのことは眼中に無いのか、そのまま目的地に向かって進んでいった。
とある工場の中。
そこでは何人かの悪そうな人達がいた。
「誰だ、てめぇら。他所もんだよな」
「コロナの御時世なのにこんなに蜜じゃ良くないじゃないか」
私は危険を察知し、その場から少し離れた。
気温が上昇していく。
現れる熱気による蜃気楼。近づくもの達は気絶していく。
「『火魔・不知火』すまないが、宇垣リスタ。アンタに用がある」
熱気が殆どの人々を地に這いつくばらせた。
一人だけが倒れなかった。彼がリスタだとすぐに分かった。強面の若い男。小学生が着けそうな白の布マスクは、牙の模様が描かれている。
リスタは獣のように四つん這いとなり、野獣のような呻き声をあげた。
「警察じゃねぇか。四人の癌を殺したから捕まえにきたんだろ」
「惜しいな。俺はマスク所持者を捕らえる秘密組織ホーレの一人だ」
「知らねぇよ。とりあえず、朽ちやがれ」
獲物を狙う虎のように近づいてくる。それを見て、外へと退いていく。
二人は外へと出て睨み合う。
迷わず攻撃してくる野獣。鋭い牙が剥く。
「相変わらず単純だな。シンプルイズベストとでも言うべきか」
火炎放射が彼を襲う。
「俺様はなぁ、何でも喰らう力を手に入れたんだ。炎でさえ喰らう」
炎をもろともせずかけゆく。
二人の距離はすぐそこまで迫っていた。
「流石だ。だが、俺には届かない」
火炎放射の向きが下になる。宙に舞い上がり一回転していき、彼の蹴りが顔の横を強く打った。
重い一撃が彼を海へと落とした。
落ちたリスタを見下げた。だが、すぐに彼は消えてしまった。
「消えたのか。まあいい。後始末は、彼らに頼もうか」
そう言って、彼はスマホを取り出し、どこかに連絡をかけた。
「今、警察に連絡した。後々面倒事になる前に帰ろうか」
私達は倒れた人々を後にして、本拠地ホーレへと戻っていった。
彼らのことが気になるが、邪念を押し殺し私はホーレでほろ苦コーヒーを啜っていった。
この日の裏の仕事はこれで終わった。
時刻を見ると七時。思っていたよりも時間が過ぎていなかったことに驚いた。車で移動し、着いたらすぐに決着。その後、車で戻る。たったのこれだけに時間はかからないらしい。
早々に家へと帰り、ベッドに横たわる。
普通の高校生ではすることのできないスリルを思い出し、どことない興奮を感じていった。