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滅びの国の神変奇譚  作者: UDG
9/12

1の8 摺鉢の山人

 フダラクの岩から墜落死したはずの俺と、ロッチ、ナギ、キョウの四人は、何もなかったように山登りを再開した。

 フダラクの岩から墜落死したはずの俺は、身体のどこにも傷一つなく、痛みも感じていない。相変わらず人間とは思えないペースで進む三人に、何も問題なくついて行く。ああ、俺も人間じゃないのか。


 やがて急坂を降りた先に、大きな音を立てる川があった。周囲にはイタドリが群生している。深山の沢とは思えない水量で、徒渉するにも苦労しそうだ。

 例によって、流れがあれば岩があってオッサン…と思ったが、何もする様子はない。どうやらここはそういう場所ではないらしい。

 あの物見の崖下を離れてから、ミコトとやらは俺の意識を何も侵食してこない。もしかしたら、この山を知らないのだろうか。まさかな。


「次は何するんだ? 俺を火あぶりにでもするのか?」

「お前は知っている」

「俺は知らない。俺はアレじゃないからな」

「…………」


 無言のまま川を渡ったキョウは、そのまま対岸の急坂を登って行く。二番目は何となく楽しそうなオッサン。三人目は…、表情がよく分からない。

 まぁいい。

 こいつらが望んでいたのがミコトなら、俺はミコトではない。抗ってやる。たとえそれがジンミであったとしても。




 ナギはミコトをそう呼んだ。

 ジンミ。

 人類の中に生まれ、人類が太刀打ちできぬ者。

 誰に学んだこともない俺でも、奴隷商の豚に教えてもらったさ。出会ったら逃げる相手だってな。


 まぁ、ジンミなんて、そうそう出会うことはないとも聞いた。

 その力をもつ連中は、必然的に人の上に立つ。各地の国王などには、ジンミと思われる者が多かったらしい。

 犬の餌を食う奴隷が、国王に会うことなんてない。当たり前だ。当たり前だと…、思っていた。




 急坂はわずかな距離で終わり、再び尾根道に戻る。

 周囲は背の高い広葉樹の森。黄色く色づいたミズナラの、皺だらけの幹が左右に見える。どうやらかなり山を下ったようだ。

 眺望もきかない森の中。山頂にすぐに行く予定はないと聞いているが、現在の行き先は全く見当もつかない状況。

 ただ、先頭を走るキョウに、道に迷った様子はない。後ろの二人も変化なし。黙って着いていくしかなさそうだ。


 やがて小高い峰を二つ越え、一気に下って行く。

 枯れ葉に覆われているが、幅は広い。これは行者の道ではなさそうだ。ということは…。




「久しいな、ロッチ殿」

「ワシはこの通り! アイカイ、お前も元気だったか、相棒!」

「ええまぁ…。しばらく逗留なさるか?」


 村に着いてしまった。

 見たことのない景色。もちろんクラコウジ村ではない。どことなく、似通った雰囲気もあるけど、一つだけ明らかに違う点がある。

 あちこちに湯気があがっている。どうやらここは湯治場のようだ。


「オッサン、ここにもいたんだな、相棒が」

「ワシは顔が広いからな! 世界に広げよう、相棒の輪!」

「……安い相棒もあったものね」

「俺が言おうと思ったことを」

「あら、やっぱりミコトちゃんとナギちゃんは相思相愛?」

「絶対に違う」


 白装束で出迎えてくれたアイカイさんは、ここの村長らしい。オッサンの相棒何号なのかは知らないが、たぶん俺が最新相棒だから先輩だな。

 というか、呼ばれた時の表情から見て、嫌がっている。オッサンの相棒は一方的な押しつけだから、誰も幸せにならないことが証明された。たぶん。


 板葺きの低い屋根のすき間から、白い湯気があがり、狭い道がさらに狭まって見える。曲りくねった下り坂の途中では、白装束の男女も見かけた。老若男女…ではなく、年寄りしかいない。

 クラコウジ村も、老人だらけだったけど、ここはそれ以上だ。老人の村に老人が集う。そんな活気のない村を進み、アイカイさんは俺たち四人を湯治宿の一つに連れて行ってくれた。そして手続きも代わりにやって、部屋をあてがって帰った。

 その間、アイカイさんと話したのはオッサンだけ。ナギと俺には、全く関心もなさそうだった。

 まぁ初対面で湯治するだけの客に興味はもたないだろうし、それはまぁいい。

 しかしキョウは違う。

 キョウを見かけたアイカイさんは、ギョッとした顔をした。あれは間違いなく、以前から知っていたという表情だ。

 しかし二人は挨拶もせず、互いに目を合わせることもなかった。いや、キョウは普段通りで、アイカイさんが一方的に避けていた。

 そもそもこの湯治宿も、家並みから外れた一軒宿で、他に客もいないように思える。どうやらオッサンが鬱陶しいという問題ではなく、この村にとって四人は歓迎されない客らしい。


 湯治宿は小綺麗な山小屋みたいなものだ。板葺き屋根、黒ずんだ床に硫黄臭が漂う。

 部屋は一応…、二つあてがわれた。男女二人ずつだからほっとする。ナギもキョウも、行人小屋の酷い環境でならともかく、普通は同じ部屋で眠れるような相手ではない。

 そう。

 一時的なのだろうが、麓の日常に戻った。そしてあの二人は、湯治場の村に住んだりやって来たりする人々の中に混じった。いや、混じらなかった。

 吉祥天でも観世音でも誰でもいいけど、キョウは歩くだけで周囲が避ける。五体投地しろと命じれば、してしまうだろう。俺は多少なりともあの本性に触れているから、せいぜい頭を下げるぐらいで済みそうだが。

 問題は、なぜかナギも似たような雰囲気になっていることだ。クラコウジ村に現れた汚い毛皮女は、今も汚い毛皮を羽織っているけど、同じく命令すれば十人のうち五人ぐらいは五体投地しそうに思える。

 というか、判断の基準が五体投地っていう俺がまずおかしい。



「よし相棒! 湯治場でやることは一つだ!」

「まだその設定が残ってたのか、オッサン」

「設定ではないぞ相棒! ワシはいつの世でもお前の味方だ!」

「……………」


 死んだ俺がどう変わったのか。オッサンに悪態をつきながら風呂場に向かう現在、その辺の自覚は何もない。

 物見の下で目覚めた時、確かにおかしな過去が頭をよぎった。三人の同行者の素性を知っていた。それが俺の知識じゃないことは確かだが、かといって誰かに意識を奪われていたわけでもない。もちろん、すべて思い出せる。

 ロッチという男と、昔のミコトが行動を共にしていたこと。

 その昔は、俺が生まれる前の出来事。

 だから―――、ミコトは輪廻する魂。


「おうご婦人方も一緒か! ミコト、お前も拝んでおけ!」

「…出直せばいいだろ?」

「ミコトちゃん、まさか照れてるのー? ナギちゃん可愛い?」

「それはない」


 大浴場は思いっきり混浴だった。湯治場はそういうものだと聞いていたが、俺は初めてなんだよ。

 だいたい普通の湯治場なら、混浴ったって爺さん婆さんの群れなんだ。こんな…、言いたくないが…、とんでもない美女二人と一緒に入るなんておかしいだろ?


 ……………。

 肌に刺激のある湯は、控え目に言って最高だった。

 腐った卵の臭いに、白濁する湯。おかげで「美女」と混浴しても邪念は生じなかった。いや、浸かっているうちに冷静になって、あの二人じゃないかと思い直したというか。


「どう? この白い肌? ミコトちゃん欲情しちゃう?」

「白いという事実は確認した。あとは却下で」

「普通は欲情するのよー。湯治場の一夜の過ち。ナギちゃん憧れるわ」

「なら、どっかの宿に夜這いに行けばいい。歯抜けの爺さんが喜ぶだろう」


 言っておくが、湯に浸かってほんのり赤みを帯びたナギの肌は、この世の女とは思えないほど美しい。口にする言葉がいちいち腹立たしいという悪条件でもそう思えるのだから、普通の出逢いなら一夜どころかいつまでも過ちを犯しそうだ。

 まぁ、その前提がないから無意味な妄想だけどな。

 ナギが誘うのは、あのミコトだ。それだけで萎えるには十分だった。


「それともなぁに? あの化け物の方が好み?」

「化け物は混浴しないだろ?」


 しつこく絡むナギ。

 化け物呼ばわりされたキョウも、黙って湯に浸かっている。相変わらず、どこかの金銅像が入浴しているようだ。いや、まじまじと見れば、水面ギリギリに巨大な二つのあれが浮いたり沈んだりして、別の意味で拝みたくなるが。


「あらミコトちゃん、化け物にはやさしいわねー」

「黙っておけ、ナーバ」


 しかし、その空気が一変した。


「外側。その名で呼ぶな」

「……………」


 突然の殺気。

 というか、ナーバって何だ? とても呼ばれた当人に聞けそうな雰囲気ではないが。


「先にあがるわ」

「うわっ!」


 そして、いきなり立ち上がったナギ。目の前にいた俺は、不意打ちで見てしまった。

 やばい。

 お前もしっかりでかい。なんつーものを…と動揺しているうちに、のっしのっしと去って行く。羞恥心ってものはないのか? 半開きの口に気づいて溜め息をつこうとした時、今度はもう一人も立ち上がった。

 ……………。

 どうしろって言うんだよ、いったい。


「見ろ相棒! 手を合わせて拝んでおけ! 何かいいことあるかも知れないぞ!」

「オッサン…」


 ロッチ氏は本当に手を合わせていた。

 そのあまりのマヌケさに、ようやく落ちつく俺。これがオッサンの計算通りならすごいと思う。

 というか、いつも町に行って娼婦を買っていたオッサンは、二人の裸を見てどう思ったのだろうか。まさか夜這いに行かないよな? 急速にどきどきが薄れてきたぞ。



 湯上がりの後、例によって自炊した。何の味もしない粥を山ほど食わされた。

 そして男部屋に集まった。もちろん夜這いではない。


「貴様にも簡単に説明しておく」

「じっくり懇切丁寧にお願いしたい」


 畳の上にキョウが広げたのは、山の地図だった。

 地図といっても、それぞれの登山道にある要所が記されているもので、方角や距離は分からない。一合目とか二合目というのは、距離的には何のアテにもならないからな。

 龍神池やショーズなど、それぞれには神仏らしき絵が描かれ、名前も書いてあるようだ。しかし困ったことに、俺は文字が読めない。せいぜい数字と一部の平仮名ぐらいしか確認できないのに、当然キョウは懇切丁寧に説明などしてくれないのだ。俺の頭に巣食うミコトのクソ野郎、どうにかできないのか?


「オッサンが拝んだのは、これか?」

「バカ者、オフドウサマをこれとか言うでないぞ!」

「オフドウサマ…ね」


 クラコウジ村にも、そんな名前の像があったような気はする。正直、神仏には関心もないし、拝む気もないのでそれ以上は思い出さなくてもいいな。

 オフドウサマが何者なのか、結局何の説明もなし。なぜか分かったりもしないから、ミコトも知らない? 思うに、ミコトってのも相当なバカなのでは?



 その後、キョウから今後の予定が、これも簡単に示された。

 数日ここに逗留して、再び山に入る。そしてミダガハラには向かわず、ネンブツ小屋を経て、山頂に近づく。近づく…が、登頂はしない。


「タイナイイワ…」

「ミコトちゃん、死ぬかもよー」

「もう殺されたよな?」

「次はどうやって死にたい? 真っ赤な柱とか?」

「死ぬのは確定なのかよ」

「相棒! ワシはいつでも味方だ!」


 ……………。

 会話の内容は鬱陶しいのでもう思い出さないことにする。

 タイナイイワは目的地ではなく、そこからどこかに行く。で、その行き先は非常に危険で、何かの敵と戦ったり、死んだりするらしい。

 いや、死ぬというのは確定的な未来じゃないと思うんだけどな。


「じゃあ、もう寝ていいんだな?」

「まだだぞ相棒!」

「あぁ?」


 キョウが地図を片づけ、打ち合わせが終わったと判断したのだが、太い腕ががっちり絡まってきた。俺の腕も相当に太いのだが、オッサンは丸太のようだ。

 それにしても、日に日にオッサンへの苛立ちが募っていく。これは気のせいではない。というか、苛立ちで済む自分に呆れる。


「こっちの湯にも浸かるんだ、相棒」

「…真っ黒?」

「黒いか赤いか、まぁ入れば分かる」


 連れて行かれた先には、さっきとは別の湯船があった。

 ハラエ川の水のような臭いがする湯は、ほとんど明かりのないこともあって、何色をしているのか分からない。少なくとも、白濁ではないようだ。


 とりあえず足先を付けてみる。

 ぬるい。風邪を引きそうなぐらいにぬるい…が、我慢できないほどではないので、渋々浸かることにした。そして……。


「オッサン、せめて余所向いてくれ」

「なぜだ! 可愛い相棒の入浴姿を見たいと思うのは自然なことだぞ!」


 俺は見下ろされていた。

 湯船が狭く、俺とオッサンが一緒に入ったら詰まって抜け出せない可能性がある。まぁそれは仕方がないのだが、目の前にイチモツをぶら下げながら仁王立ちする必要もない。ああ、オッサンは理由を語っているって? 知るか。


 それにしても、なぜ俺は逃げないのか。

 はっきりしているのは、今の自分は楽しんでいる、ということだ。

 身の危険にさらされ、それどころか明確に墜落死した。そして、今後も死ぬと予告されている。なのに楽しい。進んで死んでやろうと思うほどに。

 これもミコトのせいだろうか。

 取り憑いた身体を操作して、破滅的な選択ばかりをさせようとするのだろうか。


「いい湯だろう?」

「ああ、いい湯だ。いい湯だから教えろオッサン。何を企んでいる」

「難しいことは考えるな、相棒!」


 ハラエ川の水のような湯に浸からせて、何もないと信じるほど俺だってバカじゃない。なんだ? 鉄屑のような臭いのクソを漏らしてほしいのか?


「相棒。ここがどんな場所か分かるか?」

「…山と縁のある湯治場だ、というぐらいなら分かるが」


 …………。

 無理矢理湯船に踏み込んでくるオッサン。狭いだろ。

 あっという間に中の湯は流れ出て、代わりに熊のような男の体温が伝わってくる。勘弁してくれよ。俺にはそういう趣味はないんだよ。


「摺鉢の底は、力の源だ」

「はぁ?」

「ここの山人たちは、その力に頼って生き延びている。ワシもその昔は住人だった」


 ……………。

 相変わらず、勝手にしゃべり始めるオッサンだな。


「前のミコトも、ここにいたのか?」

「もちろんだ。ただ、ここで暮らしていたわけではないぞ」

「クラコウジ村か?」

「違うな。オイサ村にいた」

「……どこなのか分からない」


 山の西北側にあるクラコウジ村。対してここ――ヒオリ村――は東北側、そして南側にオイサ村があるらしい。

 それを知ったところで、もちろん俺には何の感想もない。ただ、ロッチと呼ばれるオッサンが、二百五十年を生きてきたらしいことは、そろそろ信じ始めている。


「この村は、ミコトに何かを期待してはいないだろ? オッサン、避けられてるよな?」

「ミコトは過去にいろいろあった。そしてお前はまだミコトではないぞ、相棒!」


 俺の意識の中では、今のところ大人しい奴のようだが、あれか、暴れん坊さんだったのか?

 一瞬だけ興味が湧きかけるが、すぐに気を取りなおした。

 所詮は過去の男だ。どうでもいい。


「俺がミコトになったら、晴れて相棒卒業だな」

「バカを言うな! お前はいつだって俺の相棒だ!」


 どうでもいいけど、長い付き合いになりそうだ。

 冷え切った身体を震わせようとしたが、オッサンのせいで身動きも取れなかった。嫌な趣味に目覚める前に、さっさと退散しなきゃならんぜ。


※色気の欠片もない温泉回でした。土産物屋で売ってる艶笑本を書いてる気分。

 タイナイイワが何を意味するかは分かりきっているわけですが、その先が本編の始まりみたいなものです。

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