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滅びの国の神変奇譚  作者: UDG
4/12

1の4 龍神池

 ロッチのオッサンが村長に「しばらく留守にする」と告げた朝。

 ナギが涙を流しながら、村長のはげ頭を撫でた朝。

 クラコウジ村を離れた三人は、ハラエ川の上流に向かって歩き出した。



 涙を流したら抱き合うだろう、普通は。

 つーか、村長に何か恨みでもあるのか、ナギは。




 ハラエ川は、東に聳える山から流れ、蛇行しながら西の海に届く。河口には大きな町があるというが、俺は行ったことがない。

 クラコウジ村を通っている街道は、南西から北東方向に続く。南西方向の道は、ハラエ川の対岸に渡って、そのままなだらかな丘を越え、隣の谷あいに抜けていく。そこからボジ川沿いに下っていくと、ロッチのオッサンが俺を買った町、ホウジに着く。

 そして、反対に北東に向かうと――――。


「祠があるのか」

「ここは境の社。死にたくなければ左の道を進む。そうすればカリカに抜けるわ」

「ふぅん」


 得意げに解説するナギに、オッサンは黙ってうなづいている。ということは、死ぬ死なないはさておき、左が本来の街道なのは間違いなさそうだ。

 周囲は針葉樹の森。街道は草に覆われ、そのまま消えてしまいそうなほどに荒れているが、辛うじて轍が残っている。

 ここまで右手を流れていたハラエ川は、祠の付近で二つに流れを分ける。本流らしき流れは左の道に沿い、右手の流れはどこに続くのか見渡せない。

 赤茶けた水は、右手の側から流れている。そちら側の河川敷にだけイタドリが群生しているのは、きれいな水の方が山菜採りに採り尽くされたためだろう。ハラエ川の水で育ったものは例外なく不味いと、これは村の常識だ。そんな水を飲まされ続けた俺の肉は、山の猛獣も避けるぐらい不味いに違いない。


 左の道には、ここまでと同じような轍が続いている。車を牽くにはきつい坂道だが、行商人たちはここを通る。小さな祠の傍らには冷たい水が湧き出し、休憩するにはちょうどいい場所である。

 さて…。


「ナギ、ここに祀られている神様については説明できるのか?」

「一柱ではないぞ。いいか相棒、まず目の前に見えるのは道祖神だ。境にはだいたいいるから知ってるな?」

「あ、ああ」


 大して興味はなかったのだが、気が向いたので案内人に聞いてみた。しかし、オッサンが代わりに答えてくれた。こういうのに興味なさそうなオッサンなのに、しかもやたら詳しい。

 それから三十分近く、点在する社殿を連れ回されることになった。

 路傍には小さな祠しかなかったのに、針葉樹の森のあちこちに、似たような大きさの社殿が隠れている。それらは山の神、川の神、風の神などの自然神たちで、かつてこの地に籠った伝説の修行者が祀ったらしい。針葉樹も植えられたものだそうだ。オッサンは伝説の修行者の名前まで教えてくれたが、聞いた瞬間に忘れた。

 あー。

 名前は忘れたけど、修行者は今もたまに現れるそうだ。俺たちは幸い出くわさなかったがな。何歳だよ修行者。


「オッサンが途方もない年寄りだって話、信じる気になったぜ」

「そんなことはどうでもいい」

「どうでも良くないわー。ナギちゃんは嘘つきじゃないもん」


 そうして、ナギは何食わぬ顔で右の道を歩き始める。嘘つきではないと自称する毛皮女の言う通りなら、死地に入ったことになる。

 轍は消え、けもの道のような細い山道は、やがて針葉樹の森の急坂になった。

 暗い山道で、足元はよくすべる。しかしナギは平地と何も変わらぬ速さで登っていく。今さらだが、毛皮女は只者ではない。この状況でも、多少臭いが薄れただけの汚い毛皮をまとっている、その異常な見た目も含めて只者ではない。

 ナギの後ろには、熊のようにのっしのっしと登っていくオッサン。俺は二人に遅れないよう、最後尾を登る。まぁ幸い、一年のトレーニングのおかげで、この程度の坂道でへばったりはしないが。



 急坂を登りきると左右は広葉樹に替わり、やがて痩せ尾根に取り付いた。ここからはゆるやかな尾根道…かと思ったが、今度は尾根の反対側に下って行く。

 そして、祠から約二時間。そこだけ再び針葉樹に覆われた窪地に、池があった。思った以上に大きく、暗く濁った水面は、その深さを測れない。


「こんな池があったのか。なんて名前なんだ、ナギ」

「それは当人に答えてもらえばいいと思うよ」

「はぁ?」


 池の畔には、小さな祠がある。そして不釣り合いな大きさの鈴。

 オッサンは無言のまま祠の前に立ち、ガラガラと鈴を鳴らした。


「ちっ、ひどい音だぜ!」


 一人で怒りだすおっさん。鍛冶屋の血が騒いだのかも知れないが、どうでもいいだろ…と言いかけ、何かに気づく。

 祠の左右に並んだユキツバキの葉がざわざわ騒ぎ出す。

 そして、澱んだ水面が急にゴボゴボ音を立てて…。


「……うっそだろ!?」

「ざんねーん、本当でした」


 ふざけたナギの声に反応する気にもなれない。

 目の前に現れたもの。

 嵐のような水しぶきをあげて、現れた巨体。


「も、もしかして龍か?」

「さぁ、どうかしら」

「オッサン! あれは何だよ! というか、逃げるよな!?」

「やかましい! 黙って見てろ小僧!」


 薄暗い森の中なのにキラキラ反射するのは、鱗のようなもの。水面から出ているだけでも、体長十メートルはある巨大な丸太のような物体。そんなものが、どう考えても好意的ではない雰囲気で出現した。

 池に隠れていた? 無理だろ、あんな巨体がおさまるはずないだろ…って、そんなこと考えてる場合じゃなかった。

 逃げる!

 いや、逃げて逃げ切れるのかは分からないけど、ぼーっと突っ立ってるって選択肢はないよな? なぁナギ!

 ナギ!?

 ………。

 毛皮女は、文字通りぼーっと突っ立っている。なんだ、気絶でもしたのか?

 そしてオッサンは何を思ったのか、まっすぐ巨大物体の側を向いて仁王立ちだ。おい、まさか?


「ぬおおおおぉぉぉぉ!!」

「オッサン、正気か!?」


 どしゃ降りの雨のように水しぶきが上がり、そして襲いかかってきた巨大物体と、オッサンは格闘し始めた。

 でかい口を開けて迫ってきたのは、少なくとも顔に関しては蛇だった。ただし俺たちが一飲みにされるサイズだけど。

 その巨大蛇の口を、オッサンはむんずと捕え、無理矢理閉じさせようとしている。今までに見たことのないほど盛り上がる、背中の筋肉。というか裸? いくら熊みたいなオッサンでも、無茶苦茶だろ? 勝てるわけねぇ。


「ナギ、何か方法はないのか!?」

「黙って見てなさいよ。それでもミコトなの?」

「これが黙って見てる場合かよ!」

「そうよ。この先の旅路、ロッチのままではいられないもの」

「はぁ?」


 オッサンはわめきながら格闘を続け、毛皮女はそれを平然と眺めている。

 なんだよ。まさかこれが予定通り…なのか?


「龍神池はねぇ、山に登る人が金目のものを投げていくのよ」

「助けないのか!?」

「助ける必要がある?」

「な…」


 いくら他人でも、それは…と思ったところで、違和感に気づく。

 蛇頭とオッサンが取っ組み合いをして、もう五分が過ぎただろう。

 オッサンは、人間としてはとんでもない怪力だ。今目の前の光景は、それをはっきりと証明している…が、相手はとてつもない巨体。いくら何でも、長期戦になれば体力がもたないはず。

 しかしオッサンが疲れた様子はない。

 そして蛇頭も―――――。


「頭は一つじゃないよな?」

「たぶん、八つぐらいあるんじゃないかな」

「八つ!?」


 八つあるかは確認できないが、オッサンと組み合う他に、目に見える範囲で三つぐらいはある。同じぐらいの大きさの蛇頭が。

 そのうちの一つでも、オッサンのがら空きの腹を突けば勝負はつく。それどころか、俺たちを同時に襲うことだってできるはずだ。


「なぁナギ」

「親しげに語りかける様子、いいわね。口説かれてみようかしら」

「ふざけるな。というか、これはアレなのか、茶番なのか?」

「茶番…とも違うわ」


 やがて蛇頭が光り始める。

 薄暗い広葉樹の森をライトアップした光は、数分で消え、そして蛇頭も消えた。

 ……………。

 えぇ?


「オッサン、その剣は…」

「俺の剣、ヒノツルギだ」

「…………そう、か」


 熊のようなオッサンに不釣り合いな、細身で長い剣が、水面に姿を映している。

 何だよそれ。頭の中で思い浮かぶ因果関係をどうしても肯定できない俺は、ただ盛大に溜め息をつくしかなかった。


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