2の2 正義の味方
※ふざけてはいないと思います、と前置き。
「はーい、イケイケー」
「なんだその気味の悪い呪文は」
「あ、起きた。おはようミコトちゃん」
よく眠った。そんな気がする。
重いまぶたをゆっくり開くと、光の彼方に悪魔の顔が浮かんでくる。
「悪魔とは何よ、こんな絶世の美少女を前にして」
「いや、少なくとも少女ではない」
「じゃあ、絶世の美女?」
「その討論にはつきあえない」
軽口とともに、痛みが襲う。身体の方々が悲鳴を上げている。それなのに生きている。いや、生き返った? 俺にはその区別がつかない。
はっきりしているのは、例の汚い毛皮を背負った女が、汚泥のような何かを俺の身体に塗りたくっていること。あ、もしかして俺は裸なのか。
「…服を着たい」
「もう少し待ちなさい。今塗ってあげてるんだから」
「そもそも、ナギに薬の知識なんてあったのか?」
「んー、まぁあれよ。お手伝い。同じ海の仲間だしー」
「はぁ?」
一応、この汚泥のような薬はキョウが用意したものらしい。ただしキョウは調合したわけではなく、それもどこからか託されたという。
同じ海の仲間とか言っているので、ナギは薬の調合主を知っているようだが、詳細は何も教えてくれない。とりあえず、イケイケと唱えると目が覚めることだけは分かった。これで次に死んだ時も安心だな。
……………。
心の中で冗談をつぶやくのは空しい。
「ここは…、どこなんだ?」
「ミコトちゃんってバカ?」
「…………」
胎内岩から中に入ったのだから胎内に決まっている。毛皮女の言い分は分からなくもないが、この真っ暗な洞窟を胎内だと認識できる奴はいない。それとも、こいつらは土砂にまみれて生まれてきたとでも言うのか?
…ありうるか。この非常識な面子なら。
洞窟はもちろん真っ暗で、本来なら毛皮女の顔も見えないはずだが、奇妙なほどによく見えるのはなぜだ…と、周囲を確認する。
そして、目を背けた。
「どうした相棒! まだ死んでるのか!」
「相棒にそんなこと聞かないだろ、普通は」
ロッチのオッサンが光っていた。
いや、正確には、オッサンが手にしている剣が輝き、洞窟を照らしていた。
「オンアビラウンケンソワカー!」
「間違ってるよねー、それ」
よく分からない何かを唱えるたびに光る剣。間違ってるとか、そういう次元の話ではないと思うけれど、もういちいちツッコミをいれる気にもならない。
そこにキョウも現れ、無言で俺に立ち上がれと促した。
俺が通り抜ける瞬間に、裂けた木が閉じたことには思うところもあるが、恐らくキョウに何を言っても無駄だ。そして、目が覚めてみれば、洞窟に寝続けるのは苦痛だ。渋々ながら、その指示に従うしかなかった。
立ち上がってみれば、いつもの身体だった。すごいね、イケイケ。
四人で歩き出す、胎内。それは思いのほか歩きやすい通路になっている。
長い坂道は、登っているのか下っているのか分からないのだが、順調に奥へと進んで行った。胎内を歩いた経験はないけれど、どちらかと言えば腸内を進んでいる気分。つまり四人は排泄物だ。
実際、不要なゴミなのだから喩えとしても間違ってはいないだろう。腸内を歩いた経験もないけどさ。
そして変わり映えのしない景色に、そろそろ飽きはじめた頃、前方から大きな物音が聞こえてきたのだった。
「待てぇいっっ!!」
狭い洞窟で、その声は途方もなく響いた。
そして、どう考えても我々が理解できる言語だったのだが、誰も気に留めずに進んでいく。
「待てぇえいっっ!!」
…………。
やはり無視するのか。してもいいってことだよな。
前方にぼんやりと人影らしきものも確認できるが、相変わらず誰も気に留めていない。それどころかジャリジャリと音を立てて、隠れようともしない。
「待てぇえぇいっっ!!」
そうして目の前に近づいた。
オッサンの剣の薄明りに照らされた声の主を俺はちらりと見て、そのまま視線を逸らして通り過ぎようとする。
まぁなんだ。見なきゃ良かったって感じのあれだ。
「そこの小僧、今目が合ったであろう」
「いえ、合ってません」
……………。
反射的に答えてしまい、すぐに罠だと気づく。
「……………目が合ったな」
通称待て待て男は、こちらを向いてにやりと笑ったように見えた。
既に三人はここを通り過ぎて、一人取り残された俺。
「こ、こんばんは、どなたさまでしょうか」
「遅いぞ! それと、こういう時は貴様は何者だと叫べ!」
「そう言われましても」
「叫べ!」
まるでオッサンのように理不尽な要求。ああでも、オッサン並みと考えれば大したことはないような気もしてきた。
よーし。
「怪しい奴! 貴様は何者だっ!」
「クックック」
言ってあげましたよ。
これで用は済んだので立ち去ろうとしたが、そこに待て待て男が待ったをかけた。
「聞いて驚け! 肉を切らして悪を断つ! 正義の使者、仮面ライジー!」
叫び声とともに爆発音が響き、土煙が舞う。
というか何だよそれ。仮面つけてんのかよって、ツッコミ所はそこじゃねーぞ。
とりあえず粉塵が舞う危険な空間で、仕方なく口元を抑えた。やがて視界が元に戻り始めた時、そこに人影が増えていることに気づく。
「八っつのしもべ、少し懲らしめてやりなさい!」
「イーー!」
何言ってんだとツッコむ間もなく、赤青黄桃緑などの奇妙な衣装を着た連中が俺を取り囲んだ。いや、狭い洞窟で囲むのは無理なんだが、まぁその辺は比喩的表現だ。
ともかく、たぶん今の俺は危機的な状況にある。
当然、助けてくれるんだろうなぁ…と前方を見渡すと、ロッチのオッサンがのっそのっそと戻って来るのが見えた。他の二人は?
「上から来るぞ、気をつけろ!」
「はぁ? オッサン、何を…」
と、その瞬間、目の前に閃光が走った。
うお、まぶし!
「フハハハッハァ! 見よ、八色の雷を。貴様らがゴミのようだ!!」
「バカめ。その甘さが命取りよ」
………いつの間にか、待て待て男はオッサンと向き合って、意味不明なやり取りを繰り広げていた。
そして色とりどりの怪人たちは、ただそこに立っている。おかしいよな? 目眩ましの間に攻撃してくるだろ、普通は。じゃああれは何だったんだよ。
余りの理不尽さに思考が止まりかけた時、待て待て男とオッサンは武器を交え始め、そして…。
「貴様とワシは剛と剛! ワシに勝てるわけがなかろう!!」
オッサンはあっさり勝った。首元に光る剣を突きつけて高笑い。うむ。どちらが悪い奴なのか分からない。
しかしそこで待て待て男は不敵に笑う。なんだ?
「フフフ、やるではないか小僧」
「ほほぅ、このワシが小僧に見えるか」
……いや、そこはツッコむところじゃないだろ、オッサン。
なぜか待て待て男は立ち上がり、オッサンは剣を引っ込めた。何? どういうこと?
「時間無制限三本勝負、次もワシが取ってやる!」
「ほざくがいい、小僧よ!」
「やはりワシは小僧だったか…」
だから小僧はどうでもいいだろ…と、二人はまた戦い始める。
……なんだろう。
どんどん緊張感がなくなっていく。
「小僧! 今度は俺様の勝利だな」
「まさかいくらなんでも」
「どうだ、一歩も動けまい」
二度目はまの人の勝利。もう名前を呼ぶのも面倒くさい。
オッサンはなぜか鎖でぐるぐる巻きにされ、辛うじて刀だけは手にしている状態。確かに勝てそうにない…が、今度はオッサンが不敵に笑いだした。今度は。
「天よ見よ! ワシがタイムと叫べば、十五秒間すべての攻撃は無効となる! 仮面ラーイジ、貴様の野望はこれで潰えた。フハハハハハーッ! この世に悪が栄えた試しはないと知れっ!!」
「な、何をこしゃくな! 者ども、イナズマストーム二号だ!」
「イーー!」
…オッサンのあまりの言いぐさに一瞬記憶が飛びかける。
というか、このまま忘れて立ち去りたいのだが、それまで棒立ちしていた連中が動き出して、逃げるに逃げられない。
「行くわよ!」
「なんで急に女の声!?」
「気が散るから黙ってろ、相棒!」
「オッサン、攻撃される側じゃねーのか!?」
目の前では色とりどりな連中が、何か楕円形のものを蹴り合っている。実に奇妙な光景だったが、やがてこちらに飛んできた。
得体の知れないものを蹴り返す気にもなれず、とりあえず避ける。
すると後方で爆発が起こり、色とりどりの煙が立った。何だよそれ。
「なぁ、これは茶番か?」
「当たれば死ぬ攻撃が茶番? ミコトちゃんはまだ目が覚めてない?」
「………覚めてないかもな」
いつの間にか戻っていたナギに、自分としては至極穏当な見解を述べてみた。ナギの返答も、ある意味では穏当なものだった。全く納得はできないけどな。
色とりどりは全員整列し、中央のすき間からまの人が顔を出す。
そしてまの人は改めて、俺に向かって剣を向けた。
「必殺! ヲノコロ、コヲロコヲロー!」
「ぐぁっ! 目がまわる!」
そして俺は攻撃された。
渦を巻くように視界が歪み、なんだか分からないうちに身体の節々も痛くなる。
だめだ。理解できないがどうやら今度は危機だ。
「ミコト! こういう時はアレだ! アレ…」
意味不明な攻撃から必死に耐えていると、オッサンの声が聞こえてくる。
「何だよオッサン! 気が散るから邪魔するな!」
「あーーー、そう、シンガンを使え!」
「はぁ!?」
何を言っているのか理解できないまま、謎の攻撃に翻弄される俺。ヤバい、やっぱり結構危機なのでは…と、ようやくシンガンが何かに辿り着いた。
心眼、だろう。恐らく。
「どど、どうやって使うんだ? シンガン」
「知らん! とりあえず目を閉じろ!」
「無茶言うな! というか最初から開けられない」
「あー、えーと、こ、心の目で見ろ!」
「オッサンいかれてんのか」
「バカ野郎! いいから目を閉じろ、ミコト!」
対処法も見つからないまま、思わず目を閉じてしまった。
しかし!
閉じたら目が見えるわけはない。俺はただ、敵の前で無防備になったのだ。バカだろ。
「行くぞ! 必殺! サウンドバスターブレード!!」
「ぐあぁ…」
まさしく悪の組織の怪人の断末魔を叫びながら、どんどん意識は薄れていく。そうか、俺は倒されるためにやって来た福本さんのような男だったんだな………。
な………………。
……………。
………。
「死んだはずだよミコトさんー」
「生きていたとーは、ノージョ様でも」
「知らぬ仏のミコトさんー」
「うるせぇ!」
目が覚めた。
そろそろ慣れてきた。
たちこめる異臭と、べっとり肌を覆う液体。ありがとうナギ。こうやって人間は、蘇ることを拒否するようになるんだろう―――と、そんなことより。
「おい、オッサン」
ぼんやり映りだした瞳で、仁王立ちした巨体を確認した。
「どうした?」
「死んだぞ」
「知っとるぞ」
「シンガンは?」
「そんなありもしない何かを頼るな。よい教訓になったじゃろ」
……………。
オッサン、いっぺん死ね!
いや、俺はもう三度は死んだから、四度死ね!
晴やかな笑顔の奥に、まの人の姿を確認した俺は、とりあえず盛大に溜め息をつくしかなかった。
※ミコトの素性を語らぬままに年を越してしまうとは。まぁそんなこんなで、次回で胎内の行き止まりまでは到着するでしょう。