妹イメアの顔には大きな、消せない傷がついていた
彼はイメアの元へ馬を走らせていた。近づくにつれ馬の脚を速めさせていた。魔獣の血をひく愛馬は、悪路をよく駆けてくれた。ジャメロは、不安がどんどん大きくなるのをどうしようも抑えられなかった。長女のマナイアですら、兵の数が1/3になっていた。しかも、残りの連中が、集団で、もう逃げだそうと相談していた。長女は、姉妹の中で一番リーダーシップはあった。一番年上なだけに、人の心の機微は一番分かっていたからだ。それでも、あの有様だった。ティティアも、オブリナも、それぞれ一人だけの異なった立場にあっただけに、控え目で、まず相手の言い分を聞く方だった。それでも、兵が次々欠けていたのはマナイア以上だった。彼女らが、誰もいなくなるという最悪の事態になっていなかったのは、姉より前にジャメロが訪れていたからだったに過ぎない。特に、イメアがわがままで、身勝手というわけではなかったが、やはり末っ子だし、当然一番人生経験が少ない。マナイアより4年、ジャメロより、僅か2年年下というだけではあるが、若い彼らにとっては限りなく大きく、決定的なものだった。彼女の元から去って、既に4ヶ月以上が過ぎていた。最後だったため、誰よりも、再会した時、やつれきっていた姉マナイアの顔が脳裏に何度も浮かんだ。妹の城が視界に現れた時、彼は愛馬を全速で駆けさせていた。彼の愛馬は、全速力で駆けてくれた。城門のところまで着くと、脚を止めさせ、馬を飛び降りた。そして、流石に荒い息をしている愛馬をいたわり、礼を言って背を撫でた。彼を見て兵士が城門を開けていたらしく、門が開けられていた。彼はゆっくりと愛馬を曳いて入城した。そして、彼はすぐに最初の考えが誤りだったことに気がついた。誰も出てこなかった。周囲に人の気配すらしなかった。城門は、開いたままだったのだ。彼は恐くなった。とにかく、馬を馬小屋に連れて行って、木柵に繋いだ。藁も水も無い。井戸まで走り、水を汲み、愛馬の前の桶に水を入れると、待ってましたとばかりガブガブと飲み始めた。馬小屋を出て周囲を見まわしたが、やはり人の気配はしなかった。荒れ果てているようにすら思えた。館に駆け込み、記憶をたどって、妹の居室に走った。固まった血が所々におちていた。彼は、
「イメア!」
と何度も叫び、全力で廊下を走った。返事は返ってこなかった。妹の居室の前まで来て、一旦立ち止まって、
「イメア!」
やはり返事は返ってこない。乱暴にドアを開けると、夕日の光が差し込む中で、長椅子の上にだれかが横たわっているのが見えた。
「イメア!イメア!」
絶叫して駆け寄る。簡易な甲冑をつけたままで仰向けで横たわる、女としては長身で、見事な長い黒髪の、まだ少しあどけなさが残る美少女といえる妹だった。周囲は血で汚れていた。そして、それは固まっていた。可愛い、美しい顔にざっくりと大きな傷がついていた。死んだように、目が閉じられていた。
「イメア!」
耳元で叫んだ。“生きていてくれ。”と必至に願った。長い時間が、実際はたいして長い時間ではなかったが、過ぎて彼女の目が開いた。
「お兄ちゃん?ようやく来てくれたんだ。」
弱々しく答えた。
「大丈夫か?」
思わず、間抜けな質問をした。大丈夫な状態なんかではないことは、一目瞭然だというのに。
「お兄ちゃんの薬が効いたの。…心配性なんだからあ、いつも…。」
ジャメロは、とにかく、小さい丸薬を手にして、
「飲み込めるか?」
さらに、水筒を取り出す。妹が肯いたので、丸薬を口にいれ、水筒を口に注ぐ。ゴクンと時間がかかったが、飲みこんだ。体の回復にも絶大な効果があるはずだった。
「家来達はどうしたんだ?」
「誰もいなくなったわよ。兵士だけでなく、みんないなくなって、もう一ヶ月くらい私一人だけ。領地の家臣達は時折、食糧とか運んで来て、直ぐ帰ってしまう。お兄ちゃん!どうして、私をひとりぼっちにしたのよ。お兄ちゃんに酷いことをした、あんなお姉ちゃん達がいいの?あのエルフ女が、私より大事なの!」
力のない声で、涙を流して抗議してきた。
「ごめん。もう一人にしないから。」
彼女の手を握ると、弱々しく握り返してきた。
「これを飲んでくれ。」
薬草酒を入れた水筒を片手で取って、歯で口を開け、彼女の口に近づけた。開けた口に軽く注ぐ。ゴクリと飲む。回復魔法をかける。
「食事を作るから待っていてくれ。」
イメアは、小さく頷くと、目を閉じて、直ぐに寝息をたて始めた。彼は、ゆっくりと立ち上がった。
イメアが、次に目を開けた時、美味しそうな匂いと心地良い香りそして、かぐわしい匂いが鼻を刺激した。お腹が、久しぶりに求める気持ちを感じた。目の前に、鍋やらコップを持ったジャメロが見えた。そのジャメロは血だらけだった。返り血だった。
「お兄ちゃん。その血は?怪我したの?」
声が震えていた。“心配してくれるのは、久しいな”と思ったが、その言葉は飲み込んで、
「豚頭のオークが二頭いてね、大丈夫、大した奴らじゃなかったよ。殺したよ、簡単だったよ。門は閉めたから、もう大丈夫だから。」
強い人間の気配がなくなったので、ここまで来たのだろう。スープを作ろう、お湯を沸かさなければ、馬を草のあるところへとあわただしくかけ回っているうちに、そのオークに出くわした。豚頭のオークは、ライオン頭の奴よりも手強い。見ると同時に、火炎弾、雷電玉、氷矢を同時に、続けざまにまとめて撃ち込んだ。呻き声とはいえない大きな声をあげてよろめいた。すかさず駆けよって、剣で切りまくる。血だらけになりつつも、なおも倒れないオークを、魔法を込めた拳の一撃でとどめをさした。それで返り血を浴びたのだ。
「お兄ちゃんは、何時も無理ばっかりして…。」
「そんなことはどうでもいいから、まず、スープを飲んでくれ。」
木製スプーンにスープを入れ、彼女にさしだした。彼女は、目を閉じ口を開けた。
「あ~ん。」
彼は苦笑して、スプーンをいれる。鉢に入った姿をあらかた飲んで、
「美味しかった。ご馳走様。体に染みていく。あ、お茶、有難う。いい香り。香木も。」
最後に、食後酒を小さいコップに入れて渡す。彼女は受け取って、一気に呑んだ。すっかり落ち着いた顔になっていた。そして、その時になって、自分が裸で、タオルを纏っただけだと云うことに気が付いた。恥ずかしそうに胸を隠す。
「すまない。あまりに汚れていたから、脱がして、沸かした湯で濡らしたタオルで体を拭いたんだ。」
少し怒ったような表情になったが、肌の汚れが落ちたという感じがしたので緩んだ。その時、急激に彼女は思い出した。
「私…。」
涙が溢れてきた。
「何でこうなっちゃたのよ。なにが悪かったの?どうして私が!勇者様は、は、私のことを…。どうして…え、え…。どうして、どうして…何で勇者様と、…勇者なんかと…私は何を言っているの?」
「イメヤ!止めろ!」
ジャメロが叫んだ。イメヤが、突然剣を手に取り、そして自分の喉に突き立てようとした。彼は、飛びつくようにして、彼女の腕をつかんで必死に止めようとした。何とかして、彼女の手の指を開かせた。カチンと音がした。剣が床に落ちたのだ。イメヤは放心状態だった。