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歴史とDNA

三種の神器

作者: とびうお君

 天皇家が騎馬民族的である。これに対して傍証であり直接的証拠では覆ってしまう範囲で断定するなら、D系すなわち縄文系であると言うのは矛盾じゃないか?と私は考えてる。騎馬民族を捨てれば簡単なのだが、別のHLAハプログループの流れからモンゴルからの流れが無視出来ない。しかもこの割合が高いのが問題になる。一部の地域じゃなくて、特に日本の近畿地方という古代中枢部に関係している。


 ここにアマテラスなどの太陽信仰は南方中国的であると言う複雑さになってる。天皇のハプロがD系であると言うのは日本の主流文化3つすべて融合してるという事になって天皇を理解するのに難解を極める。これは日本語の起源とはちとずれる。日本語の起源はモンゴルではない、最近の話の中では遼河文明の流れのツングース文化になる。


 これはかなり複雑な話しになる。現在モンゴルの流れをくむ言語は満州地区では残ってない。朝鮮の基層を為すグループは当時の中国での分布から、C2系とN1系であろうと予想される。現代でもN1系が朝鮮半島でかなりの量残っている。これは日本にもその影響が僅かにあるので、朝鮮半島の一部がさらに薄められて日本に残ったと見ている。東北の濃い集団は別グループだと見ている。東北グループが日本全国に広がったより、朝鮮半島の基層グループが日本にごく微量にばら撒かれたと見る方が良いかと。


 C2系はその後の騎馬民族化したツングース族と区別が付かないので絶滅したとして無視している。もっと突っ込むと分からないとしか言えない。


 日本語のツングース文化は、N1系なのか?騎馬民族のC2系なのか?が分からない。だから複雑だと書いてる。モンゴル系なのでは?だが、これについては、現在残ってないので、同じように混血によるツングース的転換があったのじゃないか?と見てる。特に父系として、C2Bが全く日本になくてツングースに多いC2Cばかり日本に残ってるのを見ると、HALハプログループは混血による母系の繋がりで日本に来たとしか考えられない。それだけ極端に日本のC2系は偏っていて、かつ朝鮮も同じようになっている。満州はC2B系の満州族が清によって近代大きく勢力を伸ばしたのでC2Bがかなりの量居る。朝鮮半島に入るときにC2Bは断絶している。


 よくモンゴル帝国によって朝鮮半島は人種が変化したといわれてるが、モンゴル系に多いC2Bが朝鮮は少なすぎる。変わって百済系、新羅系の、C2C系等ばかりいるので、サブグループの知識が無い人達の出鱈目な妄想だと見ている。どうしてこの妄想が日本でやたらと発達するか?と言うと一部の右がかった人達が朝鮮と日本は人種的に繋がりが無いとしつこく妄想を宣伝してるからになる。


 じゃ同一なのか?と言うと日本と朝鮮の違いはほぼ中国によるもので、実際は北方系の遺伝子は中国が騎馬民族に支配されて混ざったものが朝鮮に流れてきただけで、全く系統が違うのですぐに分かる。日本は唐の時代の新しいグループのO2系がほとんど入ってない。これによっていろいろと差がついてしまったと見ている。


 単純に中国との混血の割合が朝鮮より少ない。後は後の時代に中国で増えた系統が日本には入らずに朝鮮にだけ入ったためとなる。モンゴルに関しては世界中でモンゴルの足跡がくっきりしてるのはモンゴル帝国の末裔だと自称する少数民族に限られる。モンゴルは少数による支配と、中央アジアでのほかの部族との騎馬民族連合であったため、あまり世界に血の影響を残してない。チンギスハンの子孫とか言われてるのがあるが、ハプロでの影響は全体の遺伝子レベルではたいした影響にならない。


 ロシア人のタタールのくびきの血による影響は実際はN1系のバイキングとの混血によるものだと思われる。根本的に昔から騎馬民族は思ったより血の影響を残さない。そもそも、騎馬民族的文化はスキタイがもたらしたもので、日本のどこにもR系のハプログループは残ってない。


 JCVによるコーカソイドの流入の後は縄文人によるもので、弥生系ではない。これはアイヌから発見されてるので間違いない。アイヌコーカソイド説は一部では正しかった事になる。ただし一部で基本縄文人はD系の古い血統によるもので、あくまで一部でしか無い。


 他に問題がある。HLAグループによると近畿に多いモンゴル集団が何故JCVだと東北に偏るのか?全く違う集団と思えば分かり易い。モンゴルには2つ系統でスキタイの影響があり、一つは直接血の継承。次に血の繋がりが無い文化の継承がハプロを見ているとすぐに分かる。単純にR系統が少なすぎてモンゴル人すべてコーカソイドの血を引くのは強引過ぎるから。


 縄文系から考えて、時期的にスキタイは考えにくい。それにこれ青い目の人が出てくるので、かなり後になる。青い目の遺伝子が誕生したのが2万年以降でそこから移動を考えると、推測されてるように1万年以降と考えている。縄文時代のいつか?になる。候補としてはやはりN1系と混血したコーカソイドグループと成る。これなら何故父系Rが残ってないのか?の謎も解ける。


 今回新しく切り取ったのは3種の神器を元に考察しようと言う流れが出来たから。元々はこれ2種だったらしい。これを3種にしたのは、藤原家となる。こうなると、天皇家は騎馬民族ではなく、天皇家に騎馬民族的性格が出たのは、古墳以降と言う説と一致する。当初から騎馬民族的な性格があったという前回の説の修正になる。


 実を言うと私もD系を上手く取り込めない自説にちょっと自信が無かった。ハプロを軸に展開しておきながら無視した。それと言うのもD系は傍証によるもので直接的証拠じゃないため、ちと抵抗が合ったのもある。ただ傍証でも様々なハプロから日本の支配者層の大半はD系だった傍証と、今実際D系ばかりなのに、何故縄文系の遺伝的寄与が少ないのか?の謎が解ける。


 支配者層がD系だからDが直系で増えただけで、実際は渡来人で日本人は成立している。その最も中心の天皇がD系なのは全く不自然じゃない。傍証がすべて誤りだとしない限りこれを否定するのは無理が有る。


 何かしらの都合で、騎馬民族の支配原理を導入した理由が藤原家にはあったのではないか?政権発足後に大量に入り込んだ馬による戦闘を師事したグループが居るとしたら?これは天皇が騎馬民族じゃないのに実に都合が良い理屈になる。


 なおかつこの時加えられた3つ目が実に縄文的なんだ。勾玉が後から加えられた最後のパーツになる。勾玉と言うのは、縄文時代から、神秘のエネルギーの源として、重宝されてきた今ならパワースポットから得たアイテムのようなものになる。


 ここに藤原家が巧妙な細工をして騎馬民族的な神話に仕立てている。これはアマテラスによって天孫降臨のとき与えられたものだが、その時に立会い人仲介人のような人が居て、この人が穀物を管理する神になる。そしてこれによって勾玉に新しくスキタイの食を司る意味の神器の意味が追加される。


 元々の勾玉にこんな意味は無い。私も困った…。やっとこれを発見してこれを書いたのが藤原家となると、ああこれ後から創ったな?って大体分かる。元々勾玉は神聖なアイテムとして、縄文時代から重宝してる。私はこれに中国の玉器の意味を付け加えたと勝手に見ている。


 藤原家によって纏められた神話は、様々な系統の合体の意味があると私は見てる。特に重要なのが、北方と南方神話の融合で、ここにどう縄文が絡むのか?これはかなり重要で、おそらく天皇家は母系によって渡来系と結びついた日本の有力者だと見てるから。縄文の神秘のものは突っこまないと成立し無いと見てるから。


 後から北方的要素が入れられて、まず南方稲作と縄文の融合があったと見てる。そこには大きく分けて海洋的な面と狩猟採取の面の縄文が混じったと見てる。


 私は騎馬民族征服説はかなり否定的、それは当然でD系の天皇家からおかしいからだ。そこでD系確かなの?って私のウィークポイントをつかれるのもさらに嫌なのが有る。天皇家のD系は騎馬民族征服説よりはよっぽどマシなものだと私は見てる。成立後に付け加えられた要素というのが私にとっては都合が良い。


 これによって、田舎から出てきた天皇もすっきりする。実は3種の神器は3つ揃った形で別の所から見つかっていて、日向からの東征はちがうんじゃないか?といわれている。だが元々2種であれば、そちらと何の関係も無いと切り捨てられる。普通に考えると、当時の権力が集まっていた北九州が故地だと思うのだが、これが無視できない部分が合って、何故か宮崎付近に古墳が集中してて、かつハプロもあのあたりから出てきたのでは?となっている。


 九州でも北の付近は半島の影響が強すぎてD系が微妙なものになってる。濃いD系の地として宮崎付近は都合が良い。後他にもある、後に沖縄に渡った集団との天皇の近縁性で、天皇家の子孫が沖縄に渡ったは私は無理があると思ってる。そうじゃなくて天皇と先祖を同じにする系統が沖縄に渡ったとすると合理性がある。


 これと似た現象は、タミル語の成立でも同様の状況になっている。言語から日本人はタミル人だって説が出されたが、これは実際は、日本語とタミル語の共通言語として古代江南語があったとされて、今でも広東語などにその影響が見えるらしい。この民族が、O1B1とO1B2に別れて日本に来たと言う話しで解決されている。


 3種の神器の原型となるものは日本のそこら中で出土しており、全く珍しくない、だがこれにスキタイ的な意味づけ(剣=武力、鏡=宗教、勾玉=食料)をしたのが天皇家(正確には藤原家)だけとなる。これらが日本に古来からあるのは、他にも証拠があり、スキタイ的なものは、扶余、高句麗、百済すべてに残っていて、そのすべて神器が違う。意味づけだけスキタイを踏襲して、それぞれの地域で全く別物の権威の象徴を使ったとなる。


 これは賢いと思う。ナチスで有名な敬礼もナチスが実権を握る前は、笑われる滑稽な仕草と見られていて、ああいった斬新さはなんだそりゃ?ってなってしまうケースが度々あり、日本の鳥居の輸出もここが失敗した部分だと思う。過去の日本の方が近代よりこういう扱いが長けていた事になる。


 後日本の神話が融合しやすかったのに、藤原家の編集能力だけじゃないと見てる。元々天孫降臨伝説って南方にもある。縄文は良く分からん。そもそも日本のものが南方系な部分は、宗教的権威は妻、夫が政治って南方の政治形態らしい。後の時代あまり目立たなくなるけど、その名残として、伊勢神宮の祭祀者として皇族の娘がなるってのがその名残だと見てる。


 じゃ何故スキタイ経由だとわかるのか?こっちがキーになる。馬の導入、騎馬戦闘、3種の神器の意味づけ。そしてどの民族の神話よりも天孫降臨の類似性の高さ。実際に民族は来たのか?なら2つのケースがある。後から大量に朝鮮の騎馬民族系の扶余系統の王族が帰化するのでハプロ的にこれと区別が付かない。それゆえこれは近畿に多いHLAハプロのモンゴルとの類似性しかない。


 すべての調査が一致し無いってのは良くある。それは間違ってるというよりそういうものだと思ったほうが良い。特にY染色体とmtのハプロは直系の調査をするだけなので、かなり一部の物としか捕らえられない。だから逆に言えばそこからもれる部分を補完しなくてはならない。すべてのハプロは一面しか写さなくて、完全に遺伝的なものを調べるなら全DNAの近縁性の調査が最も最適であれ以上の物は無い。


 多くのハプログループが示すものは、一部の集団の由来を探るだけになる。または根本的に欠陥が多い。例えば指紋などの系統などの分析がある。それはルーツを探るためには偏ってる事を意味する。血液とかもそういうものになる。この2つに注意すれば、矛盾点より、互いに補完しあうと考えたほうが良い。HLAハプロの中で大きな集団であっても、偏った一部から見た多分それは日本の一部の集団だと見ている。


 余談になるが、朝鮮半島の基層は私はC1系とD系だと見てる。日本と同じ縄文系で、これにC2系の中国からの北上が重なったものと見てる。N系は逆に南下じゃないか?と見てる。朝鮮半島の北方モンゴロイドの第一はN系がベースになってると見てる。C2系は北上後に北方的形質を追加したと見てる。


 C2系の北上が北方化する前なのは朝鮮の人骨の変化で分かっている。それは現代残るC2系の民族と朝鮮半島の民族が繋がってる部分があるらしいためである。ただこの場合C1D系を通じた母系のつながりである可能性は捨てきれない。ここからは予測になるが、世界のハプロの分布を見ていると古代系統が辺境に追いやられるって構図が目立つ。R1AとO2と同一視すると、欧州におけるR1Aが東アジアにおけるO2と同等になって、おいやられるのがR1Bと、C2となる。


 基層となるC1D系は、欧州で残っているIと似ている。Iを日本のC1Dと似ていると見れば納得できるだろう。より古い系統はさらに辺境にしか残らない。実際Iは欧州でバイキングの子孫じゃなくても十分な量のこっているけれども。以前C2とIは似ていると書いたが、そう考えると、欧州に居るC1系がそれにあたるのかもしれない。


 R1BはO1A、Bの方が似ている。IとC2系が似ているとするとバイキングと海洋民族、騎馬民族による逆襲と言う点が良く似ている。そうなるとなおさら、C2系の北上が古かったと言う判断になる。これはかなり雑な論理だけど。


 もう1つ余談で以前触れた山東省のコーカソイドで、山東省は今でも住民の背が高いらしい。弥生人がかりに船で来たとしたら、おそらく山東省だとするのは、北方系じゃないが、山東省は北方系より背が高い民族だった可能性がある。そして過去180CMを越える巨大な人の骨が発見されたらしい。古代としてはこれはものすごく高い身長で、おそらく遺伝だけじゃなく食物なども関わってると見られている。遺伝的にも背が高い、食物がそれを支えた後天的な高さの背景もある。


 急激な弥生人の変化は山東省から来た可能性はあると見ている。この付近は特異的に背が高いらしい。私は船から来たグループはあくまで一部だと思ってる。右がかった人は認めないが、純粋に大陸から船で渡来したより、半島からも来たんじゃないの?って見たほうがごく自然だ。2つ来たか?または大陸からの移住は無かった。この方が圧倒的に自然。


 半島を削るのは話しにならないし、無理に大陸ルートを削らなくても良い。


 ただ以前の続きになるが、根本的に何故調査隊は弥生人のルーツを大陸に拘るのか?で数千年前にはこの付近ベタな南方系の低身長のグループの人骨しか見つかって無いからになる。ようは、大陸から来た可能性は山東省以南はありえないってのが定説だったのを、最近覆されたからになる。それゆえ拘ってる人が多くて、決して大陸の人骨が、半島の人骨より弥生人に似ているわけじゃない。


 この辺りネットの右がかった人達の情報操作に騙されてはいけない。学者は思想じゃなくて、その過去の調査の常識が覆った事で大陸ルートについて思考してるだけだから。大陸からの船ルートは来ててもごく一部だと私は見ている。そして仮に来たとしたら山東半島以外考えにくいと見ている。江南から直接来たと言うのは疑ってる。


 南方系どころか、えたいのしれない第3の民族によって、この付近は身長が極端に高くなっている。それは北方のO2系だけの影響じゃない。それをコーカソイドだとみるのは自然な発想じゃないか?と私は思うのだが。事実は小説より奇なりで、伏線もなく突然こういうのが飛び込んでくるから。考古学による調査は背景となるストーリーが難解極まりないものになる事が多々ある。だから私は歴史だけじゃなくて、こういった三種絡めた話が大好きだとなる。歴史的記述だけじゃなくて考古学的物証やハプロを交えると、とんでもない事が唐突に浮かび上がる面白さがある。これがやめられない。


 私のオリジナルではないが、東征が間違っているのであって、東遷は間違ってないって説になる。なるほど、これなら強さは後から近畿に住み着いてからになる。そして騎馬民族との結びつき後に強大化した武力の筋も通る。ようは東遷は事実で、それを勇ましく脚色したのが、東征の神話となる。


 神話からどうも神武天皇って強そうに見えない。困った時はすべてファンタジックな力で解決してる。これって事実と違うのでは?と思えてくる。強さの根拠を求めていたが、そもそも東征じゃなく東遷だったらすべて解決できる。九州から出てきたおっさんを脚色してしてしまった後の権力者天皇家。これじゃないか?神武天皇は強くなくて良い。これが答えじゃないか?と思ってる。


 これを言うと不味いのだが、半島系のグループは九州から日本の各地に移住する事が多い。すでに九州には地元の勢力が根を下ろしてるので、どうしても東へ東へ行く傾向がある。よってこの時代に東遷は良くあることだった点。ただその場合後続の渡来人がそうなるケースが多い。


 だがベタなD系であろう天皇家にこれは当てはまらない。そうすると考えられるのは、天皇家って九州ですごくしょぼい集団だったのじゃないか?って点。華々しい伝説はすべて嘘で、実際はうだつのあがらない九州豪族が東を開拓して一旗あげてやろうみたいなものだったんじゃないか?こう考えると、天皇家って嘘じゃないが嘘の神話になる。


 2種が3種になったは、これは複雑で、勾玉自体は最初から持ってる。これは当時の豪族なら大体持ってるから。それに3種で意味づけをしたのが、藤原家と言う点になる。ここが日本初で、3種どこから、名品5種も6種も他の九州豪族が当時たんまり持ってる。もの自体は権力者ならすごくポピュラーなものって点だけは書いておきたい。


 これでやっとすべての矛盾が解けたと思う。神武天皇は強くなくて良い。天皇家は近畿で強くなったが真相だと見てる。それこそが騎馬民族化していった点ですごくすっきり筋が通るから。


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