冬の日の再会
ディオニオが二十一になった年の夏、一家は夏の休暇にとある男爵領へ赴いた。
毎年夏の休暇は領地へ帰ったり、北の静養地で過ごしていたりしたのだが、客の多く集まる場所では一家でのんびり過ごすなどというわけにも行かず結局忙しく過ごす羽目になる。
そんなわけで今年の夏は趣向を変えて父セドニオはとある男爵の申し出に甘えることにした。
『今年の夏は山に囲まれた風光明媚な土地で思い切り遊ぼう!』
とはセドニオの言葉だった。
『本当、お父様! わたし山で熊と戦いたいっ』
と、元気よく返したのは最近読んだ冒険小説の中で主人公が素手で熊を倒し、すっかり魅了されてしまった可愛い妹レカルディーナだ。
熊は駄目だ、絶対に! と家族全員で突っ込みをいれたことは置いておいて、一家は馬車で三日かけて(急げば二日ほどでつくかレカルディーナがいるためゆっくりした日程を取った)件の男爵領アルデアへとやってきた。
ディオニオはそこまで邂逅して、それから先を考えることをためらった。
現在季節は冬。
アルンレイヒでは年の暮れに貴族の当主を集め晩餐会を行う習慣がある。
その晩餐会に招待されるのはアルンレイヒの貴族の中でもごく限られた家系に限られる。ディオニオの生まれたパニアグア侯爵家はその名誉ある出席者に代々席を連ねている。
この晩餐会に出席をするため、年暮れの時期になっても侯爵家は毎年王都に残っている。
今年は、士官学校に在籍をしている侯爵家の次男エリセオは帰郷しないという。
寄宿舎で同級生らと過ごすと連絡を寄越してきた。軍隊に所属する者同士、今から色々とコネクションを作っておいた方がいいらしい。
ディオニオはようやく今年二十一歳になり、セドニオの仕事を手伝い始めた。ディオニオは早く一人前になりたかった。
でないと、妹を守れない。
後妻だからとか、半分だけしか血のつながっていない妹だとか、そういう周囲の雑音などどうでもよかった。ディオニオにとってオートリエは尊重すべき父親の妻であるし、レカルディーナは可愛い妹だ。
たとえその本人からレヴィグレータ仮面などという不本意極まりない通り名で呼ばれていようとも、絶賛嫌われ中であっても、である。
再び心がどんよりと沈んだのでディオニオは無心になるよう心掛けて自宅への道すがらのんびりと車窓を眺めることにした。
ミュシャレンでは珍しくもない冬の曇天模様の中、侯爵邸へと戻ったディオニオは固まった。
「あら、ディオニオ早かったわね」
めずらしくオートリエが玄関広間へと降りてきた。
金茶髪を軽く結い上げた義母はディオニオよりもほんの九歳年上なだけだ。義母というよりも姉と言った方がしっくりくるような年の差だが、ディオニオは彼女を紹介された日からずっと『義母上』と呼んでいる。
「こんにちは。おひさしぶりです、ディオニオ様」
続けて聞こえた声に、また声の持ち主をこの目で確認して今度こそディオニオは驚いた。表情は特段変わらなかったが、ディオニオは動揺していた。
どうして、彼女がここにいるんだ、と。
オートリエの後ろに続くように歩いてきたのは、先ほど思い浮かべるのを途中でやめた、ホイール男爵家の令嬢、ベリアナだった。
☆ ☆
家族が主に使う居間の席でオートリエは南方由来の紅茶を手はずから入れて上機嫌に笑った。
「実はね、夏にお世話になったお礼に、ホイール男爵家の皆さんをミュシャレンにお招きしようと思って。手紙を書いたの。そうしたら、男爵夫妻は収穫物の計算やら税金がどうのとお忙しいらしくって、娘だけでもぜひ預かってやってくださいって言われてね。今日のついさっき到着したのよね」
と、オートリエは隣に座るベリアナに向かって微笑んだ。
ベリアナは夏の頃と変わらないはつらつとした表情をしている。旅の疲れも感じさせない元気な姿にディオニオはホッとする。
「はい。わたしミュシャレンは初めてなので最初は気乗りしなかったんですけど、父が強く勧めるし、一度くらいは王都を見ておくのも悪くないなって思って、思い切って来てみました」
「あらベリアナったら。ミュシャレンは別に怖いところではないわ。レカルディーナだって普通に生活をしているわけだし」
「ですが、村のみんなは都会は怖いところだ、なんて言うんだもの」
「まあまあ困ったわね。うら若き令嬢をたしなめる言葉としては間違っていないけれど、それだけじゃないのよ」
「一人で来たのか?」
ディオニオは会話の流れから不穏な言葉を感じてつい語気を強くした。
令嬢一人が馬車の旅など、とんでもないことだ。というか、だったらディオニオが迎えに行ったのに。
「いいえ。侍女のマリカと一緒に。ああそれと、道案内に村の男性が一人一緒でした。にぎやかでしたよ」
ベリアナは何でもないように答えた。
彼女は特に気にしていないのだ。それはそうだろう。付添人として侍女もいるし、道案内もつけてもったらのだから。けれどディオニオは面白くない。
村人の男性、という単語に内心むかむかした。
「ベリアナはしばらくうちに滞在する予定なの。レカルディーナも楽しみにしていたのよ」
「また一緒に遊ぶの、わたしも楽しみにしていました」
「あら、遊ぶだけじゃだめよ。ロルテーム語の勉強の続きもしましょうね。ああそれと、冬場はね、慈善市に出品するための刺繍の会などもあるの。一緒に出席しましょうね」
「はい」
続けられた言葉はベリアナにとってはあまりよいものではなかったようで、彼女の肩は少しだけ落ちている。
アルデア領で知り合ったころから思っていたが、ベリアナは快活な女性だ。小さなころから領地を走り回って育ってきた。領民から慕われている男爵令嬢は社交よりも領地を自由に闊歩する方が好きなのだろう、レカルディーナと遊ぶことは楽しみでも社交はあまり気乗りしないようだ。
ディオニオは、彼女がいつまで屋敷に滞在するのか聞きたかった。
けれどさすがにこの場でそれを聞くと、下手したらさっさと出て行けと思っていると誤解されかねない。ディオニオは自分の顔が初対面の人間、とくに女性にどう評価されるか十分にわかっている。
だから、聞けなかった。
本音を言えば、ずっといてほしいと思っている。そうしたら彼女の笑顔を隣で眺めていられるから。
「ディオニオ様もしばらくの間よろしくおお願いしますね」
ベリアナはにっこりと天真爛漫な笑みを浮かべた。ディオニオに何の含みもなくまっすぐに笑いかけてくれるのはベリアナくらいだ。オートリエもこんな風に笑いかけてくれるが、それはどちらかというと母親が子供に対してするそれで、庇護する対象への慈愛という意味合いが大きい。
「ああ。ゆっくりしていくといい」
ディオニオはかろうじてそれだけを返した。
せっかくのお茶もまったく味がわからなかった。自分では普通にしていたつもりだが、思いのほか緊張していたようだ。