夏の休暇7
園遊会に向けてベリアナはレカルディーナと一緒に森へ花を摘みにやってきた。
森番が手入れをする人の手が入った森で、ベリアナにとっては子供のころから慣れ親しんだ森だ。
この時期森には青い花が咲いている。
「わたし青鈴草好きよ」
「わたしと一緒ね。わたしも大好き」
ベリアナとレカルディーナは笑い合った。
「そうだ。この森には熊さんでる?」
「さすがに出ないわね。人が出入りをするし、もっとね、山の奥に行かないと」
「なあんだ」
レカルディーナは唇と尖らせた。
怖いもの知らずなレカルディーナは熊に会いたかったようだ。
森番の管理するこのあたり一帯に熊が下りてくることはない。あったとしても森番が追い払うか狩る。毛皮は高値で売れるし、肉は村人たちの貴重な食材になる。男爵家の食卓にもたまに上る。
「レカルディーナったら怖いもの知らずね」
「ベリアナは熊怖い?」
「そりゃあ、まあ。遭遇したくはないわ」
ベリアナとレカルディーナは今日も仲良く手を繋いで森を歩く。
下草は駆られていて、うっすらと一本道が伸びている。原生林とは違い歩くのも楽だ。
森の中には狩猟小屋が点在している。
ベリアナはこっそりと後ろを伺った。
実はディオニオがこっそり後を付けてきている。女性二人の森歩きをパニアグア侯爵家の男性陣が認めるはずがない。
特にレカルディーナは箱入り娘だ。
ベリアナは「大丈夫よ。勝手知ったる森だし」と笑ったのだが、ディオニオは頑として首を縦に振らなかった。
二人でのんびり歩いていると、やがて青い絨毯が地面を覆いつくしている場所に出くわした。
「あー、どうしてエリセオお兄様が先にいるの?」
レカルディーナが驚いたのも無理はない。
青い絨毯の先にいたのはお姫様……ではなく、得意顔をしたエリセオだった。
どことなくレカルディーナと似た顔立ちをしているが、彼はれっきとした男だ。
まだ少年の顔立ちをしているが、青い花に埋もれていてもまったく絵にならない。
「そりゃあ、きみより先に花をたくさん摘もうと思って」
エリセオはどや顔をした。
やっぱり彼の愛情表現は斜めだ。
素直に妹が心配だから、と言えばいいのに。
「わたしも負けないもん!」
「お手並み拝見といこうか」
年下の妹から真っ向勝負を挑まれてエリセオはご満悦だ。
レカルディーナはさっとベリアナの手をほどいてエリセオの方へと走っていった。
「もう。レカルディーナったら」
置いてきぼりをくらったベリアナである。
まあでも、喜んでくれたみたいだから嬉しい。
しばらくその場で佇んで花摘み勝負をしている兄妹を眺めていると、後ろから人の気配がした。
土を踏みしめる音を聞き取って、ベリアナは後ろを振り返った。
ディオニオは物陰から見守ることを止めたようだ。
「そなたは参加しないのか」
「あの二人がたくさん摘んでくれそうなんで。手持ち無沙汰なんです」
「そうか」
ディオニオはそのままベリアナの隣に佇んだ。
彼はこのところよくベリアナに話しかけるようになっていた。レカルディーナへの愛情をベリアナが知ったからだ。
「そうだ。ディオニオ様に花冠つくってさしあげましょうか。そうしたらレカルディーナもあなたのこと、怖がらなくなるかも」
ベリアナは名案とばかりに今しがた思い浮かんだことを口にした。
「遠慮しておく。大体、私に似合うと思うか?」
ベリアナはディオニオの顔を凝視した。
今日も相変わらずの怜悧冷徹な顔つきをしている。
エリセオと同じ色をした深い森色の瞳をじぃっと見つめる。
「んん~、確かに。ちょっと似合わないかも」
「そういうことは本人の目の前で口にしない方がいい。私だって傷つく」
思いのほか人間味あふれる言葉が帰ってきてベリアナは噴き出した。
彼は割と率直に言葉を言うから、顔とのギャップが激しいのだ。
「何がおかしい」
「え、だって。ディオニオ様って、本当面白いなあって」
「そろそろ、その様付けはやめたらどうだ」
年下の少女に笑われてディオニオは不機嫌そうに眉根を寄せる。他の人が見たらおそらく背筋が凍るだろう、威圧感のある表情もベリアナはどこ吹く風だ。とっくに慣れた。
「ええ~、それは無理です。だって、あなたはほら、侯爵家の跡取り様だし」
「レカルディーナのことは普通に呼んでいいるだろう」
「ええと、彼女はなんていうか、可愛いし妹みたいだし」
言い訳をしつつベリアナは青鈴草へ向かった。
青い花の群生に座り込んで花を摘み取る。
「せっかくだから、レカルディーナに花冠つくりましょう。作り方、教えます」
にこりと笑いかければ、彼はベリアナの方へ近寄ってきた。
ベリアナの近くまで寄ってきて、腰を下ろした。
「あ、敷物持ってきていない……どうしよう」
ディオニオを土の上にじかに座らせるのも気が引けたベリアナは慌てた。
「そなただって、なにも敷いていないのに座っているだろう」
「あ……」
ついいつもの癖でやってしまった。
こういうところがお転婆令嬢なのだ。
ディオニオは上着を脱いで地面に敷いた。
「座れ」
意図を察したベリアナは恐れ多すぎて即座に辞退する。
「いやいや、さすがにそれはないです」
「どうして」
ディオニオは不思議そうだ。
「いやだって、ほら。恐れ多いですし」
それに、そんな風に女の子扱いされたことなくて戸惑う。
目上の男性から気を使われる経験なんて、初めてだ。
「ええと、ほら。レカルディーナにしてあげてください」
「彼女はそもそも座り込んで花摘みなどしていない」
確かにレカルディーナはちょこまかと動き回って花を摘んでいる。一か所に座り込んで何かをしている様子もない。
ベリアナは困った。
こんな風に優しくされると調子がくるってしまう。どうして調子が狂うのかは全然わからないのに、変に動機が激しくなる。
そんなに歩いたわけでもないのに、体温も上がってきた。もしかしたら風邪なのかもしれない。
「そなた……」
ふいにディオニオがベリアナに向かって腕を伸ばしてきた。
突然のことでびっくりしたベリアナは身を引いた。
ディオニオはすぐに手を引っ込めた。
ベリアナはことの成り行きが分からなくて小さく身じろぎをした。
「あなたこそ、わたしのことそなた、なんて他人行儀に呼ばないで、ちゃんとベリアナって呼んでくださいよ」
「呼んだら私のこともディオニオと呼んでくれるのか?」
思わぬ反撃を受けてベリアナは息を止めた。まさかそうくるとは。
「ええと……」
「ベリアナ」
低い声で名前を呼ばれて、ベリアナはうろたえた。彼が、ディオニオが自分のことを名前で呼ぶ。たったそれだけのことなのに、どうしようもなく胸が高鳴った。
なんだかおかしい。
ベリアナはすくっと立ち上がった。
「わ、わたしちょっと小屋に行ってきます」
そういえば近くに狩猟小屋があるのだった。
ディオニオの側にいたらおかしくなってしまいそうでベリアナは急いでその場から立ち去った。