夏の休暇6
ディオニオと一緒に黒苺を摘んで帰ってくるところをレオノーラに見られたらしい。
彼女は昨日も今日も馬車で日参している。本当は泊まりたいみたいなのだが今の男爵家にそこまでの余裕はない。
その代わりに近々園遊会のようなものを開くことになった。
「あなたったらちゃっかりしているわね。抜け駆けなんて許さないわよ」
ねっとりとした視線にからめとられてベリアナは苦笑いを浮かべた。
収穫物を台所番に託したところを彼女らに連れ去られた。
「まさか。ディオニオ様はわたしのことなんて何とも思っていないわ。苺を摘みに行ったのだってレカルディーナのためよ」
「ふうん」
レオノーラは不審気にこちらに視線を向ける。
「ディオニオ様はベリアナみたいなのの、どこがいいのかしら」
失礼な物言いをしたのはレオノーラと仲のいいポリアンナだ。彼女も近くの男爵家の娘である。近しい領主どうし幼馴染のような間柄でもある。
「ちょっと毛色の変わった子が珍しいんでしょう」
「大体、あなたのところはちゃっかりしているのよ。なに、いきなりパニアグア侯爵家とお近づきになっているの」
ベリアナよりも一つ年上のポリアンナは結婚相手探しに躍起になっている。今回もわざわざ別の場所に滞在していたのを切り上げてアルデア領に押しかけてきた。
「それはお父様の社交辞令を向こうが真に受けたのよ」
「それを知っていたらわたくしの父をけしかけたのに!」
ポリアンナは心底悔し気な声を出す。
「あら、でも四六時中夫人のお相手をするのも面倒よ」
「それは確かに」
なになら含みのある言葉だ。
ベリアナはなんだか嫌な予感がした。
「こういってはなんだけれど、侯爵夫人はねえ……ほら」
「そうね。わたくしたちとは色々と風習の違いがあるかもしれないものね」
どこかとげのある言葉だ。
ベリアナは女性同士の、こういう揶揄めいた言葉が苦手だ。
「ディオニオ様とはお近づきになりたいけれどねえ」
「ねえ、それってどういうこと?」
ベリアナはたまらなくなって聞いた。
オートリエは優しくて気さくな夫人だ。ベリアナにだって優しくしてくれるし、彼女のロルテーム語講座は分かりやすくて楽しい。
「あら、やだ。あなた知らないの?」
レオノーラが目を丸くした。
レオノーラはベリアナと同じ年だ。その同じ年の彼女から呆れられた視線を向けられる。
「なにを?」
「いやね。オートリエ様は隣国の、フラデニアの商家出身なのよ。あなた、知らないの? セドニオ様は奥様を失くされて、再婚されたのよ。金持ちとはいえ、ただの商売人の娘と」
「爵位も持たない商売人の家の娘が、後添いとはいえ侯爵夫人なのよ。ちゃっかり娘まで産んで。男の子が産まれたらどうするつもりだったのかしら。もしかして、侯爵家の跡取りにでもするつもりじゃなかったのかしらね。いやだわ」
二人の口調は明らかにオートリエを見下していた。
ベリアナは時間を巻き戻せるのなら、今すぐに巻き戻して彼女たちと対話する前に回れ右をして屋敷に駆け込みたいと思った。
こういう話は大嫌いだ。
「そういう話、聞きたくなかったわ」
ベリアナはそれだけを言って身をひるがえした。
「なあに、自分だけいい子ぶって。相変わらず嫌な子」
レオノーラの声が大きく聞こえた。
「いい子ぶっていないわ。わたしはオートリエ様のことが好きなだけ。好きな人の悪口を聞かされたらいやな気持になるもの。じゃあね、さよなら」
それだけ言ってベリアナは早足でその場から立ち去った。
歩きながら、ベリアナは腹が立って仕方がない。
レオノーラたちはオートリエが爵位のない家の出というだけであれだけこき下ろす。目の前にいるときは侯爵夫人ということでへりくだってみせていたのに、見えないところでは馬鹿にしているのだ。
そういう貴族の化かし合いがベリアナには苦痛だ。自分たちだって、たかだか男爵家の人間なのに。上にはもっと上がいるのに。
なんだか自分が馬鹿にされているようで悔しい。
オートリエは立派な貴婦人だ。階級がブルジョワ層というだけであれだけ言われるだなんて。
大体、パニアグア侯爵家の仲の良さだって知らないくせに。
周囲がどう思っていようとも、オートリエとディオニオ、エリセオの仲は良好だ。
二人とも後妻であるオートリエを立てている。だからベリアナだって、二人の母親にしては若いなとは思ったけれど、まさか血がつながっていないとは思わなかった。
それはそれで相当に呑気なのだろうが、気づかない分にはベリアナはそれでよかった。
やみくもに歩いていると、当のオートリエと出くわした。
「あらあら、ベリアナったら。どうしたの? 怖い顔をして」
「い、いえ……なんでもありません」
明るい緑色の瞳が優しく細められる。
まだ三十に届くか届かないかくらいのオートリエはベリアナのお姉さんといってもおかしくないくらい若く美しい。
セドニオのことが本当に愛おしいのだろう、彼女は何かにつけて夫婦の惚気話を口にする。
「果物狩りもいいけれど、せっかくお友達が集まったのだから刺繍の会にも参加しないと。みんないい子たちよ」
ベリアナは叫びだしたくなった。
そんなことない! と、言いたかった。
彼女たちは裏でオートリエ様のことを見下して笑っていた、と言いたかった。
悔しい。彼女のことを大して知りもしないくせにあんな風に言うだなんて。
「わたしは、昔から彼女たちとはあまり合わないんです。趣味も違いますから」
「合わない、だなんて決めつけたらだめよ。それだと本当にお互いのことが分からなくなってしまうわ。大事なのはちゃんと話をすることよ」
オートリエは困ったように首をかしげる。
「でも! 話し合っても理解できないことだってあります」
現に彼女たちはオートリエのことを認めていない。
「そうねえ。色々と難しいわね」
オートリエはあっさりと引き下がった。
その瞳に苦労の色が垣間見え、ベリアナは彼女もすべてを承知していて戦っているのだと悟った。
そうだ、彼女が気づかないわけがない。
オートリエ自身、あれらの言葉と日々戦っているのだ。
そうか、だからど田舎にやってきたんだ。
領地でも保養地でもなく、なんのしがらみもないホイール男爵家のアルデア領に。
エリセオの言葉が脳裏に浮かんだ。
『まあね。だけど、そういうのが嫌だから今年はど田舎に逃げてきたんだよ』
彼は確かにそう言っていた。
やっぱり、この家族は仲がいい。
「わたくしはね、それでも逃げたらいけないと思うのよ。逃げたらわかってもらえないもの」
「はい」
ベリアナはまっすぐにオートリエの瞳を見て、笑みを浮かべた。
彼女が戦っているのに、ベリアナがここでそれを否定するわけにはいかない。
「あなたの刺繍とてもきれいだもの。きっとミュシャレンの慈善市でも高い値で売れると思うの」
「慈善市ですか?」
「そう。わたくし、慈善活動をしているのよ。みんなで刺繍をしたりして商品を作って売るのよ。利益はね、孤児院などの運営資金に充ててもらうの」
オートリエはふわりと微笑んだ。
彼女は強い。
きっとベリアナが心配するよりもずっと打たれ強いのだ。
だったら変にベリアナが同情するのはおかしいし、彼女はそれを望まないだろう。
「いつか、わたしも商品提供させてください」
「あら素敵。あなたレエス編みはできて?」
「ええと、少しなら」
刺繍は得意だけれど、レエス編みは最近ご無沙汰だ。久しぶりになにか編んでみようかな、なんて心の隅で考える。
「レエス編みの方が高値が付くのよ。ぜひとも習得して頂戴な」
「はい」