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夏の休暇5

 侯爵家がホイール男爵家に滞在しているという噂は割とすぐに近隣の所領に伝わった。

 今までホイール男爵家がこれほどにぎわったことがあるだろうか。

 アルンレイヒの中でも歴史ある有力貴族であるパニアグア侯爵家とお近づきになりたいと思う人間は多いわけで、ここぞとばかりに隣り合う領地の領主が押しかけてきた。

 というか、娘を売り込みに来たというほうが正しい。

「あーあ、せっかくの休暇なのに。面倒だなあ」

 エリセオは屋敷からほど近い牧場近くのベンチに座ってため息をついた。

「こういうの慣れているでしょう?」

「まあね。だけど、そういうのが嫌だから今年はど田舎に逃げてきたんだよ」

 ど田舎とは言ってくれる。

 ベリアナは苦笑いを浮かべる。

 レカルディーナは柵越しに羊に餌をやっている。

 昔ながらの習慣として男爵家では屋敷の裏に小さな牧場を持っている。卵も牛乳も裏で捕れるし、バターもチーズも自家製である。

 侯爵家の所領の屋敷も似たようなものだろうと尋ねると、確かにその通りだが役割分担がはっきりしているし、屋敷の主はおいそれと裏へは訪れないとの返事が返ってきた。主人と使用人の使用区域が厳格に分かれているのはさすがといったところだ。

 男爵家ではあいまいなのだが。

「というか、ベリアナはこんなところでのんきにレカルの相手してていいの?」

「なにが?」

「兄上を見事射止めたら未来の侯爵夫人だ」

 エリセオの言葉にベリアナは盛大に噴き出した。

「どうして笑うのさ」

「だっ、だって……おかしくて」

 ベリアナは小さな領地に暮らす男爵令嬢だ。顔だって特別きれいなわけでもない。普通だという自覚はちゃんと持っている。

「男爵家の娘なんて、相手にされるわけないじゃない。やあね、もう」

「でも、そうは思っていない人間の方が多いんじゃない?」

 彼の含みのある言い方にベリアナもすぐに何のことかわかった。

 ホイール男爵家の近くの領主たちは共に似通った位のものが多いからだ。男爵とか子爵とか、目立つような貴族の家はこの辺りは少ない。

 それなのに、玉の輿を狙って娘を売り込みにはるばるアルデア領を訪れている。

「まあ、考えは人それぞれだし」

「ふうん」

 ロレントだってベリアナに最初からそこまで期待はしていない。

『おまえにそこまで期待はしていないし、そもそも家格が違いすぎるからな。ベリアナはレカルディーナ様と仲良くなって、将来彼女の話し相手に雇ってもらうか、王宮の女官に推薦してもらえるくらいのコネがつくれれば十分だ』

 と言われた。

 田舎の領地で元気すぎるほど走り回っているベリアナを捕まえて王宮女官になれ、とはロレントもとんだ無茶を振ったものである。

 レカルディーナが羊に飽きた頃合いを見計らってベリアナたちは屋敷へと戻った。

 彼女と手を繋いで歩いていると、ディオニオが向かってくるのが見えた。

 レカルディーナの緊張がつないだ手越しに伝わってくる。

 ベリアナは困ってしまう。

 彼の妹への愛情を知ったからだ。

「ディオニオ様。レカルディーナのお迎えですか?」

 ベリアナは朗らかな声を出した。

 ディオニオは小さく頷いて、ベリアナの横にいるレカルディーナを見下ろした。

 せめて腰をかがめて視線を合わせてあげたらいいのに、と思う。

 そこまでベリアナが言うのはおせっかいなのだろうか。難しいところだ。

「レカルディーナ、よかったわね。お兄様が迎えにいらして」

「……よくない」

 小さな声はディオニオに届いたのだろうか。彼女との和解の日はまだまだ遠そうだ。

 ディオニオはくるりと反転をして歩き出した。

 レカルディーナは彼が少し離れるのを待ってから息を吐いた。

「彼、あれでもあなたのことを心配しているのよ」

「嘘よ」

 レカルディーナはつれない。

 やっぱり第三者が口を出すものでもないか、とベリアナは心の中で嘆息した。


☆ ☆


 次の日、ベリアナは一人で果樹園に来ていた。

 果樹園というほどの規模ではない。

 庭の片隅に果物の木ばかりを植えた区画があるのだ。

 そこでベリアナは山桃をもいでいる。もちろん木に登って、だ。

 桃の一種で、変わっているのはその形がぺちゃんとつぶれたように平らなのである。

 一見すると味も悪そうに見えるのだが、普通に甘くておいしい。

 客が多くて消費が激しいためベリアナが一肌脱いで狩っている。というか単に木登りが好きなだけなのだが。

 木に登ると遠くまで見渡せるから。

 昔はベリアナも思った。

 この狭い領地の先にはもっともっと大きな世界が広がっているのだろう、と。いつか、わたしも王都に行きたい。

 そんな無邪気な子供時代はとっくにすぎた。

 現実が見えてくると、ベリアナは遠慮をするようになった。王都に行くと金がかかるからだ。ドレスが必要だったり、ミュシャレンの街屋敷だって維持するのにお金がかかる。一応街屋敷もあるのだが、普段は人に貸しているくらいである。

 ベリアナが桃をもいでいると、人が一人こちらへとやってくるのが見えた。

 褐色の髪の毛を持った男性だ。

「ディオニオ様」

 ベリアナは木の上から呼びかけた。

 彼はどこから声をかけられたのか正確に把握をしていて、彼女の方に顔を向けた。

 こちらのほうがディオニオを見下ろす形になってしまいベリアナは慌てた。

 よいしょっと、木から降りようとすると、ディオニオが手を差し出してきた。

 もしかしなくても、女性扱いをされたようだ。

 せっかく差し出された手を取らないのも失礼にあたると思ったベリアナは素直に彼の手を握った。

「ありがとうございます」

「いや」

 はじめて触れた彼の手は、当然のことながら自分のそれよりも大きかった。

 彼はレカルディーナを軽々と抱き上げることができるくらい力持ちなのだ

「供もつけずに一人なのか?」

「ええ。勝手知ったる屋敷ですから。ああ、そうですよね。侯爵家ではこんなことしないですよね」

 ベリアナは慌てて取り繕った。

 一応ベリアナも男爵令嬢なわけで、おとなしい貴族の令嬢だったら男爵家とか侯爵家とか関係なしに女の子が木登りなんて真似しないだろう。

「果物を取るのなら私に言え。付添くらいする」

「さすがに未来の侯爵様をこき使うわけにはいきませんから」

 ベリアナはあっさりと彼の申し入れを辞退した。

「そういえばディオニオ様はレカルディーナを探しに来たんですか? あいにくと今日は一緒じゃないんですよ。彼女はいまレオノーラたちと一緒に刺繍をしている頃だわ」

 レオノーラとは隣の領地に住まう男爵令嬢だ。ベリアナは彼女のことがちょっと苦手だ。彼女はそれこそ深窓のお嬢様で、ベリアナが木登りをしたり、川で魚を釣ったりすることが信じられないといった風に小ばかにする。間違ってはいないのだが、苦手なものは苦手なのだ。

「知っている。だから私も逃げてきた」

「ディオニオ様も?」

 ベリアナは微笑んだ。

 彼の人間らしい一面を垣間見ると、彼に近づいたように思えるからだ。

「女性の相手は面倒だ」

「あら、それわたしに言います? わたしも一応女ですよ」

「知っている。だから迎えに来た」

 ベリアナは首をかしげた。

 彼の言い分はよくわからない。

「逃げるのなら、どこか案内します? そうだ、黒苺取りに行きますか? レカルディーナが喜ぶかも」

 ベリアナはたった今思いついたことを口にした。

 籠にはまだ少しの余裕がある。

 ベリアナは屋敷の庭園を抜けて敷地の外へと飛び出した。

 少しだけ後ろを振り返るとディオニオもベリアナの後をついてきている。

 彼の方がベリアナよりも歩幅が大きいので、割と早く追い付かれて横並びで一緒に歩く。

 ベリアナはそっと隣をうかがった。

 怜悧な顔つきは相変わらずだけれど、それでも初対面の頃に比べると人間らしさが垣間見える。

 注意深く顔を見ると、たまに感情が出るのだ。それを見つけるのも楽しい。

 ベリアナは忍び笑いをした。

「何を笑っている?」

「え、ええと。何でもありません」

 ふふっとベリアナはとぼけた。



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