夏の休暇4
翌日の夜。
夕食の後、ベリアナはレカルディーナたちと一緒に応接間で盤遊戯をしていた。
王様同士がお互いの騎士を使い陣地を取り合うゲームである。
ベリアナはこういう頭を使う遊戯は苦手だ。元より、家族でこういう遊戯をたしなむ者はいない。
というか、寄宿学校に入った弟が何気にルールを知っていて焦った。一人だけ大人の階段を登られた気分である。
レカルディーナに手ほどきを受けて、彼女とチームを組んでエリセオと対戦をした。
エリセオは妹相手に容赦がない。
レカルディーナ曰く、「お父様くらいにしか勝てないの」のことだ。なるほど、セドニオは全力で娘に甘いようだ。
初心者のベリアナがレカルディーナのチームになっても戦力の足しにもならなくて、結局今日もベリアナたちの負けだった。
何回かゲームを重ねているうちに、レカルディーナは船をこぎ出した。
今日も外で目一杯遊んだから疲れていたのだ。
こくりこくりと頭を揺らしてるレカルディーナをさっとディオニオが持ち上げた。
完全に寝入ったのか、レカルディーナは起きる素振りもみせない。
「あ、ずるいよ。ディオニオばかり」
「父上、無理をすると腰を痛めますよ」
セドニオの抗議をディオニオは冷ややかな目つきでいなした。
「父親を年寄り扱いしないでもらいたいね。私はまだ四十代だよ」
セドニオは悔しそうに歯ぎしりをする。
この親子を見ていると、空の上の火とかと思っていた侯爵という立場の人間が途端に人間らしく思えてくる。
「私は二十代ですから」
ディオニオは真顔で事実なのかそれとも嫌味なのか判断が付きかねる言葉を発する。
忍び笑いを漏らすのはエリセオだ。
「ディオニオ、いつも悪いわね。じゃあ、レカルを寝室に運んでくれる?」
「わかりました」
オートリエが采配をする。
ディオニオはレカルディーナを落とさないようにしっかりと抱きかかえた。
「んー……」
レカルディーナが少しだけ身じろぎをして、ディオニオのクラヴァットを掴んだ。
ディオニオは妹に視線を落としている。
ベリアナはびっくりした。
ディオニオの口元がほんの少しだけ緩んでいたからだ。
妹を見つめる彼の視線には明らかに感情が乗っていた。
「ベリアナ、悪いのだけれどディオニオと一緒にレカルを運んでくれないかしら」
「あ、はい」
ベルニアは慌てて立ち上がる。
急いでディオニオの側に寄って、応接間を出ていく。
道すがらお互いに無言だった。
小さなレカルディーナを起こすのも忍びないのでベリアナもあえて何も言わない。
クラヴァットをきゅっと握りしめたレカルディーナは天使のように愛らしい。
レカルディーナを部屋へと送り届け、彼女の世話係に案内されるまま、彼女を寝台の上に乗せた。レカルディーナの客間はその昔ベリアナが使っていた子供部屋だ。
部屋には昔可愛がっていたクマのぬいぐるみがそのまま飾ってある。
レカルディーナだけ残してベリアナとディオニオはそろって部屋を出た。
「ディオニオ様は、レカルディーナのことが大好きなんですね」
ベリアナはにこりと笑った。
彼は黙ったままだ。
さきほどの彼の動きはとても素早かった。
それをいうなら、川でレカルディーナが転びそうになった時も同じだ。一番に彼が駆け付けてレカルディーナを抱えた。とても慣れている手つきだった。
「当たり前だ。妹なのだから」
あっさり肯定が帰ってきた。
「わたし、ディオニオ様のこと誤解していました。怖いお兄さんだなんて勝手に思っていてごめんなさい」
「……別に今更だ。レカルにも嫌われている」
その声が普段よりも沈んでいるように聞こえてベリアナはディオニオと対峙した。
初対面の時には怖くて仕方なかったのに、ベリアナはもう彼のことが怖くはなかった。
ディオニオの言葉にベリアナは苦笑いを浮かべる。
確かにレカルディーナはディオニオを怖がっているからだ。
「どうして彼女のお人形を取り上げたんですか?」
ベリアナは不思議に思って尋ねた。
まさかベリアナの口からそんなことを質問されるとは思っていたかったのだろう、ディオニオは小さく口を開いた。
注意深く観察をしているとディオニオにだって感情はある。
「何を見ている」
「いや、ほら。ディオニオ様って表情が分かりにくいので。よおく観察していました」
人間らしい一面を発見すればベリアナにとってディオニオは普通に話せる相手になる。侯爵家の人間だし、という畏怖は人間味あふれるセドニオたちの言動によってとっくに取り払われている。
「……あれは、あの人形のドレスの裾がほつれていた。だから、直そうと思っただけだ」
「オートリエ様はフォローしてくださらないんですか?」
「誰かに弁解されるのは好まない。私は自分の力でレカルの愛を掴む」
まるで騎士のような言い回しであるがディオニオは真剣なのである。
「なるほど。でも、駄目ですよ、ちゃんと理由を言葉にしないと。レカルディーナはあなたに意地悪をされたって思い込んでいますよ」
「別に、今に始まったことではない」
「ほかにもあるんですか?」
ベリアナは質問を続けた。
「昔、レカルが幼いころにほんの飲み聞かせをしようと思ったら思い切り泣かれた。あの子が赤ん坊のころは私の顔を見ても泣かなかったのに」
ディオニオの顔は理性的で昼間のそれをまるでかわらない。それなのに、彼の声はまるで迷子のように心もとなかった。まるで小さな子供の用に小さく感じた。
なんだかとてもかわいく思えてきてベリアナは口元を緩めた。
怖いと思っていたディオニオがとても人間味あふれているからだ。
「ディオニオ様の場合言葉が足りないのだと思います」
「私はレカルにレヴィグレータ仮面と呼ばれている」
ベリアナはついに吹き出してしまった。
「や、やだ……、知っていらしたんですか……ふふっ……」
「笑うところではないだろう」
ディオニオは不服そうだ。
けれど。一度始まった笑いはしばらくは収まりそうもない。
「レカルディーナったら……内緒……でき……ないじゃない」
ベリアナは涙が出てきた。
本人を目の前にして悪いとは思いつつ笑い声はしばらくの間廊下にこだました。