おまけ
結婚して初めての夏、ベリアナとディオニオは侯爵家の領地リュザーナクへやってきた。
もちろんパニアグア侯爵家のみんなも一緒である。士官学校が忙しいエリセオはあとで数日間だけ合流する。
ベリアナとディオニオは結婚後ミュシャレンに新しく居を構えた。
「ディオニオ様……その……」
ベリアナはもじもじと胸の前で自身の指を絡ませる。
「どうしたベリアナ。今更恥ずかしがることか?」
対するディオニオはいつものように冷静だ。
今だって恥ずかしがるベリアナとは対照的に涼しい顔をしている。
侯爵家の城館の一室である。
今二人が滞在しているのは夫婦で使う広い続き間で、寝室には天蓋付きの大きな寝台が置いてある。もちろん年代物だ。
「だ、だって……」
ベリアナは早くも涙目だ。
お互いに薄い夜着を身にまとっている。
「ベリアナ……」
「ディオニオ様……」
ベリアナはディオニオと視線を絡ませた。
とても近しい距離で、ろうそくの火が心もとない。
「絶対に手を握っててくださいね! だって、この部屋とても怖いですっ!」
「古い部屋だが幽霊なんて出ない」
ベリアナが半泣きで訴えれば、ディオニオは間髪入れずに言葉を返す。
「いやぁぁぁっ! その単語聞きたくないぃぃ。そういうの言っちゃうと寄ってきちゃうんですよ」
ベリアナは目を閉じて頭をぶんぶん振った。
もはや半分錯乱状態だ。
ディオニオはベリアナの肩に両手を置いて、ゆっくりと引き寄せた。
「たしかに我が家の領地に建つ、この城は歴史があるが……そんな者出たという報告は受けていないし、大丈夫だ。寝ればすぐに朝がやってくる」
「だって……だって……なんだか怖いんですもん。全体的に威圧的というか、厳かというか、シミ一つが顔みたいに思えてきちゃって」
今日からしばらくの間止まることになる城館はベリアナにとってはさしずめ幽霊城だ。歴史ある、ということはそういう曰くつきな物語だってたくさんあるわけで。
侯爵家の面々は知らないようだが、実はいくつか出る部屋もあったりするのだ。マリカがご丁寧に仕入れてきてくれた。
その出ると噂の部屋がまさにこの部屋だったりする。
だから怖い。
というか帰りたい。
ディオニオは怖がるベリアナを抱きしめる。
彼の体温を感じたベリアナは体を弛緩させる。ディオニオの暖かさに安心すると、夫の領地なのに、ずいぶんと失礼を言ったなと後悔が押し寄せてくる。
「ごめんなさい。あなたの大事な領地なのに」
「いや、いい。もしも本当に出るのなら、私が丁寧に説明をして居住地を変更してもらう」
ディオニオは大まじめだ。
ベリアナは夫の言い方が面白くて口元を緩めた。
「その時はよろしく頼みます。旦那様」
安心したら本当に眠くなっていた。
実はずっと馬車に揺られて疲れていた。旦那様の体温が心地よくて、ベリアナは寝台に横になる前に、彼の胸に体を預けて安らかな寝息をたてた。
妻が可愛い。
可愛いのだが、かなりマイペースだ。
何しろベリアナは新婚初夜からこの調子でディオニオを待たずに眠りこけたくらいだ。
天真爛漫なベリアナは、ディオニオが彼女恋しさのあまりなかなか寝付けない、なんて考えに及びもしないのだろう。
ディオニオは自分の腕の中で安らかな寝息を立てるベリアナを眺めた。
幽霊が怖いと怯えていたが、ディオニオの言葉に安心したようで、すぐに寝た。
ディオニオはベリアナの髪の毛をゆっくりと梳いた。彼女の金色の髪は光に当たると淡い赤色に染まる。不思議な色味で、少しだけくせっけだ。やわらかなそれは猫のようでもあり、普段から外歩きが好きな彼女は猫のように気まぐれだとも思う。
夫に対して、絶妙にお預けを食らわせるのがうまいのだ。
ディオニオは新婚初夜の日のことを思い浮かべた。
教会で式を挙げて、晴れて妻となったベリアナを新居へ連れて帰った。
アルンレイヒでは結婚したら実家とは別に夫婦だけで居を構えるのが一般的だ。ディオニオの階級ではみなそうしている。
ディオニオはベリアナと婚約をしてから家を出た。花嫁修業と称してベリアナが侯爵家に引き続きとどまったからで、婚約者とはいえ、未婚の男女が同じ屋根の下で生活することをディオニオが危惧した。
元より、この婚姻はディオニオが主体となって進めて、叔母だとか祖母だとか彼にとっては遠縁の親族はベリアナを認めていなかった。
みなそれぞれ、自分の益になるような娘をディオニオの妻に推していたたからだ。
揚げ足を取られる機会は極力少なくした方がいいと思いディオニオは寂しかったけれど、先に家を出て一人暮らしを始めた。
新婚用に用意した新居へベリアナを連れて帰った日。
ようやく彼女を自分のものにできる。
顔はいつもの通り怜悧なままだが、彼とて二十一の若い男だ。それなりの欲求は持ち合わせている。
ベリアナに触れることができる、と浮足立っていた。
ディオニオは妻を迎え入れる準備をした。
彼女の方も初夜に向けて準備に勤しんでいるはずである。こういうのは女性の方が時間がかかるのは知っている。
『ディオニオ、あなたもいい大人なんですから……わたくし、信じていますよ。あなたが、真実紳士なのだということを。ちゃんと、ちゃんっと優しくして差し上げるのよ』
最後にオートリエに思い切り念を押された。神妙な顔でディオニオに忠告をするオートリエは真実彼の母親の顔をしていた。
隣で顔を少し赤らめていたのはセドニオの方だった。
ディオニオは心を鎮めるために一度部屋を出た。なんというか、じっと寝室で待ち構えているのも狼丸出しでみっともないと思ったのだ。
すこし時間を潰して部屋へと戻れば。
そこには確かにベリアナの姿があった。
しかし、彼女は寝台の上に横になっていた。
『ベリアナ?』
ディオニオは妻の名前を呼んだ。
それに対する返事はない。
ディオニオは訝しがって寝台へと近寄った。柔らかな髪の毛がふわりと寝台の上に散っている。横向きになったベリアナは……眠っていた。
気持ちよさそうに、すうすうと寝息を立てていた。
狸寝入りではない。これは本気寝だった。
さすがのディオニオも眉根を寄せた。
どこの世界に初めての夜を共にする夫を置いて眠りこける妻がいるというのだ。
高まった胸の内を吐き出すように、ディオニオは大きく息を吐いた。
ベリアナは上掛けもかけずに薄い寝間着姿のまま熟睡している。少し開いた胸元が彼女の呼吸に合わせて膨らんだり沈んだりしている。ベリアナの胸元に目をやってしまい、ディオニオは慌てて目を逸らした。
彼女は自覚していないが、ベリアナはほっそりとしているのに胸元は豊かなのだ。
ディオニオも健全な男である。
そのふくらみに、思わず手を伸ばしかけるが、寸前のところで押しとどめた。
これから彼女を起こして、ことに及ぶなんてことはできそうもない。
結婚式の準備のために今日は朝から忙しかったし、緊張していたのだろう。
気が抜けたのも仕方ない。
ディオニオは嘆息して自分も寝台に潜り込んだ。
彼が真実ベリアナと身を結んだのは結婚式を挙げて、一週間後のことだった。
ボーイミーツガールが書きたくなり、不器用な恋模様を書いてみました
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