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二人の結末3

 そしてベリアナは温室へと連れていかれた。

 城館の裏手にあるこじんまりとしたガラス張りの建物の中は、そこだけ春が訪れたようにぽかぽかとした陽気だ。

「まずは謝罪させてほしい。先日は突然抱きしめてすまなかった……。自分でも驚いた。私は随分と……短絡的な男だったと」

 ディオニオの声は少しだけ元気がなかった。

 確かにベリアナはあのときびっくりした。

 突然男性から抱きしめられて。

 ディオニオと向かい合った状態で、ベリアナはどこを見ていいかわからなくて、結局は彼の足元を眺める。

「いえ……。わたしのほうこそ、ひどい言葉を言ってしまってごめんなさい」

「いや。きみのあの反応で間違っていない。ああいう目に合ったときは何も考えずに相手の男をひっぱたくことをすすめる」

「えっと……それはディオニオ様に対してもですか?」

 ベリアナがそう返すとディオニオは口を詰まらせた。

「いや……私はその……例外にしてほしい。私はベリアナのことが好きだ。愛している」

 ディオニオはおもむろに片足を地面につけた。

 彼はベリアナの片手を取る。

 膝まずいてベリアナを見上げる。

 ベリアナは、まさかディオニオからそんな仕草をされるとは思わなくて体を硬直させた。

 体は固まっているのに、なぜだか胸の動悸は激しくて、体中の血液が逆流したかのような感覚に陥った。

「私の妻になってほしい」

「ディオニオ様……立ち上がってください」

「返事を聞かせてほしい」

 ディオニオはいまだに膝まずいたままだ。平素よりも熱を帯びた瞳で見上げられて、ベリアナはどうしようもなくなった。

 ディオニオはゆっくりとした動作で手に取ったベリアナの手の甲に唇を押し付ける。

 まるで、昔話にでてくる騎士のようだった。姫君に忠誠を誓う、高潔な騎士。

「わ……わたしは……」

 どうしよう。言葉が出てこない。

 でもきっと、ベリアナが何かを言わないとこの恥ずかしい状況は変わらない。

(ミュシャレンではこういう求婚の仕方が流行っているの?)

「私のことを選んでほしい。そなたの愛がほしい」

(ひっ……)

 普段のディオニオからは想像もできないような甘い台詞の数々にベリアナは失礼ながら背筋が粟立った。

「あの! とにかく立ち上がってください。返事はそれからです」

 そう言うと彼は素直に言うことを聞いてくれた。

 再び彼の目線がベリアナよりも高くなる。安心したのもつかの間、ベリアナはまだ自分の片手が彼の手の中に納まっているのを確認した。

「それで、返事を聞かせてほしい」

 彼は先ほどから同じことばかり繰り返している。

 ベリアナは泣きたくなった。

 彼のことを好きだと自覚したのはつい最近のことだった。自覚した途端に失恋したと思っていたのに。

 どうしてそれが、今こうしてディオニオから求婚を受ける羽目になっているのだろう。

「あの……わたし……持参金もないし。いや、少しくらいはあるのかな? で、でも侯爵家に釣り合うような花嫁道具なんてとてもじゃないけれど用意できないし」

「心配するな。持参金を持ってこいなどケチ臭いことは言わない。ベリアナが身一つで来てくれればそれだけで十分だ」

「わたしが持ってこれるのって、大事に育てている鉢植えのさくらんぼの苗木くらいだし」

 ベリアナはついどうでもいいことを言う。

 彼女が種から育てている大事な妹分だ。弟はいるから妹ということにしている。名前はアンフロワーズという。

「なら苗木ごと嫁に来ればいい。どこに植えたい? この城のどこかでもいいし、ミュシャレンの屋敷でもいい」

「えっと……しばらくは鉢植えでいいです。ゆくゆくは……お城に?」

「そうか。苗木ひとつじゃさみしいからいくつか植えよう。だが、木登りは駄目だ。私の心臓が持たない」

「大丈夫です。わたし木登り得意ですから」

 ほのぼの会話を続けていて、ベリアナは我に返った。

(いや違う。お城に植えるとか、違うでしょっ!)

「ちょっと待ってください。さっきのはなんていうか会話の流れってやつでして」

「ベリアナ、往生際が悪い」

「いや、だって。わたしが侯爵夫人とかおかしいでしょう! 詩の暗唱だっておぼつかないし、ロルテーム語はまだまだ頼りないし、田舎にずっといたから気の利いた話とかできないし」

「おかしくない。みんなベリアナが侯爵家に嫁いできてくれるのを楽しみに待っている」

「でも……。あなたくらいのおうちの後継ぎさんは、もっと……ちゃんと考えてお嫁さんを選ばないと駄目です」

「ちゃんと考えて選んだ。私は、自分が鉄面皮ということを自覚している。私は……笑うことが苦手だ」

 ディオニオはぽつりぽつりと話す。

 少し朴訥とした話し方だった。

 ベリアナは握られた手に視線を落とす。

「けれど、ベリアナはそんな私の隣で自然体で笑ってくれた。そなたの笑顔をずっと見ていたいと思った。私は、そなたに、これからのずっと私の隣で笑ってほしい」

「ディオニオ様……」

「詩が苦手なら私が暗唱するし外国語が苦手なら私が教える。そんな些末なこと気にしないでほしい。それよりも、私にとってベリアナを妻にすることの方が大切だ」

 ディオニオは上着の内ポケットの中から小箱を取り出した。

 目の前に差し出されて、彼は一度ベリアナの手をほどき、ふたをあけた。

 中からは大粒のダイヤモンドの指輪が現れた。

「本当は薔薇の花束に仕込む予定だった。そっちのほうがよいのなら、あとで改めてやり直す」

 ベリアナは両手で口元を押さえた。

 どうしていいのかわからない。

 これだけ彼に愛を告げられて、それなのに自分ばかり言い訳をしている。

 ちゃんと、彼に言わないと。

「わたしもディオニオ様のこと、お慕いしています。本当は、あのとき……びっくりしたけれど、嬉しかったんです。あなたに抱きしめられて、あなたのをことが好きなんだと自覚しました。自覚した途端、失恋したんだって思いました」

 だから……と、ベリアナはディオニオを伺う。

 彼の表情はいつものまま、特に変わりは見せていない。それなのに、ベリアナは彼の中に隠し切れない熱を感じ取っている。

 確かに彼はいつも冷静沈着だ。表情だってくるくると変わるわけではないけれど、心は豊かで、きちんと彼の思いを言葉にしてくれる。

 じっと見つめていれば彼の感情を読み取ることはできるのだ。

「突然の求婚にびっくりしてしまって。それと……やっぱり怖くて。いままでずっと田舎で自由すぎるくらい自由にやらせてもらっていたのに、そんな野生児にディオニオ様の妻が務まるのか、なんて」

 好きという気持ちだけで結婚できる階級ではないのだ。

 ベリアナもディオニオも。二人とも貴族階級で、特にディオニオのような名家は、後継ぎの妻となる女性にも多大な要求がされることくらい理解している。

「所詮周りは周りだ。うるさくいうやつもいるのは仕方ないが、そういうのは雑音でしかない。私はベリアナに隣にいてほしい」

 お互いの視線が絡み合った。

 ベリアナだって、わかっている。御託を並べても、この気持ちを抑えることなんてもうできそうもないことを。

 好きな男性からこれだけ誠心誠意愛を告げられて、拒絶なんてできない。なにより、初めて恋した男性から求愛されて、その手をはねのけるなんてそんなこと無理だ。

 ベリアナは観念した。

「わたし……あなたが好きです。ディオニオ様」

「指輪をはめてもいいか?」

「はい……」

 ディオニオは慎重な手つきでベリアナの細い指に婚約指輪をはめた。


☆ ☆


 二人指を絡ませて、並んで城館に戻るとセルゲルは目を細めて出迎えてくれた。

「収まるところにおさまってよかったよ」

「ご心配かけました」

 ディオニオは生真面目に頭を下げた。何度も口説き落とすことを考えていたから、一発でよい返事が貰えてよかった。

 隣のベリアナは頬を赤らめた。

「まあ色々と大変なこともあるだろうが、なあに。彼が爵位を継ぐのはもっと先の話だ。そんなに気負わなくても大丈夫だよ」

「はい」

 ベリアナはセルゲルの優しい声音に安心したかのように微笑んだ。

 ディオニオの大好きな笑みだった。

 彼の隣で、力を抜いて本心から微笑んでくれるのは彼女が初めてだった。この笑顔をずっと見ていたいと思ったのがそもそもの始まりだった。

 レカルディーナにばかりではなく、ディオニオにも分けてほしい、と。そういう欲求を持ったのが初めてで最初戸惑ったことをよく覚えている。

「それにしても、ディオニオ様。ああいう気障な台詞とか仕草とか、そういうのが上流階級の求婚の仕草なのですか?」

 ベリアナは質問してきた。

「義母上に作法を聞いた。求婚するときはそれなりに気を付けなければならない手順と様式があると。紙にいろいろな台詞を書いてもらった」

「えっと……」

 オートリエの個人的価値観が詰まった知識というか妄想をそうとは知らずに、教えられるがまままじめに実践したディオニオである。

「ああそうだ。薔薇もあとで受け取ってほしい」

 ベリアナは噴き出した。

 何がそんなに楽しいのかわからないが、ベリアナはたまにこうして盛大に笑うのだ。

「ディオニオ様……そ、それきっと、オートリエ様の個人的趣味ですから……」

 それでも久しぶりに屈託のない笑顔を見ることができて嬉しいと感じているディオニオなのだった。


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