二人の結末2
翌日の朝。
ベリアナは豪華な朝食をいただき、昼前にディオニオの祖父、前侯爵に挨拶をするために彼の私室を訪れていた。
となりには正装をしたディオニオがいる。
ベリアナは彼の腕に手を添えて前侯爵と対峙をしていた。
(どうしてこんなにもかしこまっているのかしら)
滞在の挨拶なら、ディオニオもそこまで堅苦しい服装をしなくてもいいものを。
前侯爵、セルゲルは杖を片手にベリアナらの前に立っている。
傍らには付き人が控えている。腰は曲がっておらず、その瞳には活力がみなぎっている。白いものがずいぶんと頭を占め、昔は濃い褐色だったと思われる色は今では薄い茶色に見える。
「またずいぶんと急な訪れだったな、ディオニオよ」
セルゲルが愉快そうに口を開いた。
セルゲルがゆっくりと一人掛けの椅子に腰を下ろし、彼が手を前に出した。
その合図をもって二人は腰かけた。
「皆驚いているぞ。おまえが女性を伴ってこの城に帰ってくるのは初めてのことだからな」
セルゲルはそう言ってベリアナの方に視線を向けた。
引退したとはいえ、彼はパニアグア侯爵家の当主だった男だ。持っている威厳がベリアナの父親や祖父とはまるで違う。
ベリアナは内心たじろいだけれど、なんとか視線をそらさずにそれを受け止めた。
ベリアナの態度に満足したようにセルゲルは小さく頷いた。
「彼女はベリアナ・ホイール嬢。ホイール男爵の娘です。そして、私が妻に迎えたいと望んでいる令嬢です。今日はお祖父さまに紹介しようと思い、連れてきました」
「ホイール男爵家か。公文書館の長官をしている男だね。手紙を読んだよ。また、面白いところから連れてきたものだね」
「昨年の夏、一家でアルデア領へ訪れた際知り合いました」
「おおそうか。あのときか。あの夏はレカルがこっちに帰ってきてくれなくてさみしかったわ。そろそろお祖父さまが恋しがっていると伝えておいてくれ」
「はい」
「私も久しぶりにミュシャレンに行こうかね。おまえが婚約をするのだったら、婚約式とかの段取りをせねばならないだろう」
「お祖父さまに段取りをしていただけるのなら安心です」
ベリアナを置いて男たちは会話を進めていく。
ベリアナはディオニオの爆弾発言を聞いて、心が追い付いていないのに。
それでも、何か。何か言わないと。
「ちょっと待ってください! わたし初耳です。なんですか、つつつ妻って?」
肝心の妻の部分でどもった。
「そのままの意味だ。私の妻ということだ」
「いやいや。わたし、聞いてないですよ。ディオニオ様の奥さんには、イリアさんが決定しているんですよね?」
ベリアナは隣のディオニオに詰め寄る。
いったい何がどうなってこうなったの。
「あれは私の祖母が先走って、外堀から埋めてしまおうとしただけだ。私も父も了承していないし彼女のことは何とも思っていない」
「でででも、イリアさんわたしに言いましたよ。わたくしの婚約者って」
「それも誤解だ。私は一度だって彼女と婚約はしていないし、正式に彼女から断りを入れるよう申し入れた」
「振ったってことですか? あんなきれいな人を」
「振ったも何も祖母の暴走だ。イリア嬢にも誤解があるようだと謝った」
「えええぇぇ……」
ベリアナの頭はこれっぽちも話についていかない。
「私が妻にしたいのはベリアナ、そなただけだ」
「そんなこと初耳です! わたしあなたから何にも聞かされていません」
「だから今言った」
「ちょっ……、これって求婚も兼ねているんですか?」
「ああそうだ」
「お祖父さまの前で?」
「必要ならあとで九十九本の紅い薔薇ももってくるし愛の言葉も言う」
ディオニオは大まじめだ。
ベリアナは困った。
「ディオニオ様。求婚は勢いでするものじゃないですよ。あんなきれいなお嫁さんとわたしじゃあ比べ物にならないですから。結婚してからやっぱりあっちにしておけばよかったなんて言っても遅いんですよ。というか、わたし……」
(あれ、これじゃあわたし、まるでディオニオ様と結婚をすることを前提に話しているみたいじゃない)
ベリアナは顔を火照らせた。
なんだかものすごく図々しい女の子だ。
「あっははは。なんだ、ディオニオ、まだ返事というか了承すら取り付けておらんのか。なんとも段取りの悪い男だ」
二人のやり取りを聞いていたセルゲルが大きな声を出して笑いだす。
「なっ、違います。わたし初耳です。セルゲル様、ディオニオ様はちょっと失恋の痛手で頭の中が沸騰しちゃってるだけなんです」
ベリアナはわたわたと言い訳をする。
「悪いが失恋をしたわけでもないし、頭の中は平常温度だ」
「それでディオニオ、このお嬢さんにも振られたらどうする?」
セルゲルがまぜっかえした。
彼は完全にこの状況を楽しんでいる。
「なにも。そもそも振られるつもりもありません」
「ど、どれだけ自信過剰なんですか」
「ミュシャレンの新聞には手をまわしている。今頃、社交欄には私が未来の妻をリュザーナク領へ連れ帰ったという記事が載っている」
ベリアナはぽかんとした。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「え、ちょ……」
「今回のことで私も学んだ。要は逃げられないように外堀を埋めればいいのだろう。義母上もこうおっしゃっていた。こういうのは先手必勝、毎日愛の言葉をささやいていればいずれ落ちます、と」
オートリエはなんてことを義息子に授けたのだ。
「なるほど。確かに我が息子も若い令嬢から毎日のように愛の言葉を告げられてすっかり参ってしまったようだったしな」
セルゲルは苦笑する。
「オートリエ様も知っていらしたんですか!」
どうりでやたらと荷物が多くなるはずだ。
リュザーナク領へ連れていかれることを見越してドレスやら装飾品を持たされたということだ。
彼女も人が悪い。
「ということでお祖父さま。ひとまず妻(予定)の顔は見せましたので失礼します。私は今から彼女を口説き落としますので」
ディオニオは生真面目な顔で宣言する。
対するセルゲルは人の悪い笑みを浮かべてしっし、とディオニオに向かって手を振った。
「あんまりがっついて逃げられるんじゃないよ」
それを退室の了承と受け取ったディオニオは立ち上がる。
ベリアナは迷った。
このままついていけば、これから口説かれるのだ。そう彼は宣言をしていた。
素直に後に続いていいのだろうか。
ベリアナはじとっとディオニオを睨みつける。
あんまりにも展開が早すぎてベリアナはうっかり自分がディオニオのことを好きなことをきれいさっぱり忘れていた。
「どうした、来ないのか?」
(ど、どの口がそんなことを言うのよ!)
ベリアナは返事をしない。
「そうだ。温室を案内する。苺が植えられている」
(食べ物じゃ釣られないわよ)
ベリアナは連れてこられた子犬のように警戒心も露な瞳をする。
けれど内心苺という単語にときめいた。
温室でイチゴ栽培がおこなわれているなんて、うらやましい。
「苺、好きなんだろう」
彼はこの間ベリアナが言った言葉を覚えていたのだ。
遅まきながらベリアナの心がきゅんっと反応した。
「まあまあお嬢さん。孫が可哀そうだから、とりあえず一緒に温室に行ってあげてくれないか。求婚の言葉が物足りなければ、その場で思い切り頬をひっぱたいていいから。それとも……、この場に残るということは私があなたを口説き落としてもいいのかね? 私も妻に先立たされてそろそろ二年だ。後沿いを迎えても良いころだろう」
話がとんでもない方向に転がってベリアナは「ひっ」と息をのんだ
「そこまで露骨に引かれると傷つくなあ」
セルゲルは何とも言えない顔をした。笑いたいのかため息をつきたいのか、中間の顔だ。
「ベリアナ」
ディオニオに名前を呼ばれて、ベリアナはのろのろと立ち上がる。
仕方ない。ああ言われたら出て行かないといけないのだろう。
むしろ、悪役を引き受けさせてしまって申し訳ない。ついでに全力でドン引きしてごめんなさい、とベリアナは心の中で謝った。
(わたし……どうしよう……)
ベリアナの心は早くも迷子になっていた。




