二人の結末
ベリアナが荷物をまとめて実家に帰る日。
「ベリアナ、また遊びに来てくれる?」
レカルディーナが部屋の入り口から顔をのぞかせた。
ベリアナはまとめた荷物を点検していたが、レカルディーナのところまで近寄った。
「もちろんよ。あなたのこと大好きだわ。あなたもまた、アルデア領に遊びに来てね」
ベリアナはレカルディーナの視線に合わせるために膝を曲げた。
「うん。木登り、教えてくれる?」
「いいわよ。でも、こっそりよ」
「わかっているわ。二人だけの秘密よ」
ベリアナが人差し指を口元にもっていくと、レカルディーナも得心して声を潜めた。
レカルディーナはうさぎのぬいぐるみを抱きかかえている。うさぎが身に着けているエプロンはベリアナがつくったものだ。色とりどりの刺繍が施されている。
刺繍の腕を褒めてもらえるのが嬉しくて、空いている時間にずいぶんといろいろな作品を作った。
りぼんの大半はレカルディーナの元に行って、ほかにも世話をしてくれたお礼に侯爵家の女使用人たちへ手渡した。
「ベリアナがこの家にもう一度遊びに来てくれたっていいのよ。春になるとね、公園に薔薇がたくさん咲くの。一緒に見に行きましょう」
「ええ、そうね」
「わたし、迎えに行くわ」
「ありがとう」
ベリアナは寂しげに微笑んだ。
心の中でごめんなさいという。レカルディーナが遊びに来てくれるのは嬉しいけれど、ベリアナが侯爵家の屋敷を、ミュシャレンに戻ってくる日は無いだろう。
もともと貴族といっても身分が違いすぎる。
「ほら、レカル。駄目よベリアナの支度の邪魔をしては」
いつの間にかオートリエがレカルディーナの背後へとやってきていた。
ベリアナは姿勢を起こした。
「オートリエ様。何もかも良くしていただいてありがとうございます。わたし、侯爵家でのことは決して忘れません」
「もう、お礼はまだ早いわ。それよりも、準備はできたのかしら」
「はい。奥様」
オートリエの言葉にマリカが答えた。
「そう。では下に向かいましょう」
ベリアナとレカルディーナ、オートリエは階下へ向かう。後ろからはマリカも付き従う。
オートリエが私的に使う地上階の小さな応接間で、従僕たちがベリアナの荷物を馬車に運び入れるのを待つ。
少ない荷物でやってきたのに、なんだか帰りはずいぶんと大荷物になった。それというのも、あって困らないものではないでしょう、とオートリエがちゃっかりいくつかのドレスや身の回りのものを荷物の中に入れたからだ。
晩餐に着るような正式なドレスなんてこれからのベリアナの生活には必要ないのに。
固辞しようとしたら、にっこり迫力笑顔で却下された。やわらかな雰囲気とは裏腹に、時々彼女は意思の強さを見せる。
しばらくすると従僕がベリアナらを呼びに来た。
ベリアナはマリカと共に馬車に乗り込んだ。
乗り込む前にレカルディーナがぎゅっと抱き着いてきて、さすがにその時は瞳にうっすらと涙が浮かんだ。
可愛い侯爵令嬢がこんなにも懐いてくれて嬉しかった。
馬車の中でマリカが「久しぶりのアルデア領楽しみですね。やっぱりど田舎ですけど、春祭りは生まれ育った地元で過ごしたいですもんね」と笑った。
マリカも慣れない都会でたくさん頑張ってくれた。
「そうね。ど田舎だけど、あれはあれで趣があるものね」
ベリアナも相槌を打った。
夢のようなひと月だった。
都会で、貴族のような生活をして(というかベリアナも正真正銘貴族なのだが)、社交というのがとても大変なものだと身に染みた。
のんびりした田舎がなつかしい。
ああけれど、実家に戻ってももう少し一般常識的な教養は勉強しないといけない、と考える。
なにしろ評判というものはベリアナ個人だけのものではなくてホイール男爵家のすべてにかかってくるのだ。
姉がお転婆すぎると、弟のところにお嫁さんが来てくれなくなる恐れがある。いくら貧乏とはいえ断絶は困るので、これからお転婆をするときはもっとうまく隠すことにしようと思った。
小さな世界にいただじゃわからなかったことを知ることができたものよかった。
「私が送っていく」
馬車を発車させようとする直前ディオニオが飛び乗ってきた。
「え、ちょっ……。ええぇぇっ!」
ベリアナは驚きすぎて大きな声を上げた。
正面に座るマリカも固まっている。
完全に予想外のことが起きてしまった。
☆ ☆
予想外といえば、どうしてベリアナは実家に戻る前にパニアグア侯爵家の領地へと連れてこられたのだろう。
馬車に揺られること一日。
朝も早い時間に出発し、パニアグア侯爵家の領地、リュザーナクへやってきたのは夜もずいぶんと更けたころだった。
「ディオニオ様、わたしたちアルデア領へ向かっていたはずですよね?」
ベリアナはこれまでの気まずさもどこへやら、語気を強めた。
なにしろ、ずいぶんと強行軍だなと思っていたらまったく見ず知らずの城へ到着した。
そう、連れてこられたのはまさに古城だった。堅牢な石造りの城塞だ。
「実家へは送り届ける。その前に、ベリアナに一度我が領地を見せたかった」
「は、はあ……」
ベリアナは毒気を抜かれた。
ついてしまったものは仕方ない。
なにしろ馬車を下ろされたのは、城内の馬車寄せで、目の前には侯爵家に仕える家令や主だった使用人がずらりと並んでいたからだ。
「今日はもう遅い。部屋を用意させている。ゆっくり休みなさい」
「はあ……」
さきほどから生返事しかしていないことにベリアナは気づいていない。
冷たい石造りの城に完全に委縮したマリカは借りてきた猫のようにおとなしい。
ベリアナたちよりも二十くらい年上の使用人に案内されるまま、城内へと入る。
「昔から伝わる城を現役で使っている。古い家系の中には新しく屋敷を建ててそちらに移り住む者もいるが、パニアグア侯爵家ではいまだに先祖の立てた城塞を使っている」
それでも白の中は色々と手が加えられており、暗闇にそびえる黒い山のような外観とは違い暖かい雰囲気を持っている。
廊下には絨毯が敷かれ、石がむき出しになった壁にはタペストリーがかけられている。
ベリアナが通された部屋はすでに暖炉に火が入れられていた。
ベリアナはふうっと大きく息を吐いた。
ようやく人心地が付いた。
部屋付きの使用人が暖かなお茶を入れてくれた。ブランデーがたらしてあり、体が温まる。
年代物の家具や、妙に時代かかった天蓋付きの寝台に緊張する。
(というか、さすがに出ないわよね……)
歴史あるパニアグア侯爵家の総本山に連れてこられてとんでもなく失礼なことを考えるベリアナである。
(で、でも……これだけ歴史ある城塞だとなんとなく……出そうだし。だって、昔は戦とかしたわけでしょう?)
ベリアナは落ち着かな気にあたりをきょろきょろする。
今日はマリカと一緒に寝た方がいいかもしれないと思うベリアナだった。




