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夏の休暇2

 その日の夕方近く。

 客室で荷物をほどいた侯爵一家とベリアナは対面した。

 父も母も弟もがちがちに緊張している。

 ちなみに弟はつい先日寄宿学校から戻ってきたばかりで、戻った早々災難なことである。弟の通う寄宿学校は自領からほど近い場所にあるところで、生徒の大半は男爵や子爵など下級貴族や爵位なしの名士の子弟である。

「このたびはようこそお越しくださいました」

「こちらこそ図々しく押しかけてすまないね。しかも大所帯だ」

 褐色の髪に少しだけ白いものが混じり始めている侯爵セドニオは、ベリアナの想像に反して親し気な空気を醸し出していた。

「彼女が私の妻、オートリエだ」

「はじめまして。オートリエといいますわ」

 茶色がかった金色の髪の毛を既婚女性らしくしっかり結わえた女性は若々しい印象だ。肌は透き通る様に白く、覇気に満ちている。

「長男のディオニオと次男のエリセオ、そして彼女が我が家の可愛いお姫様レカルディーナだ」

紹介された順番にベリアナは視線を横に映していく。

 ディオニオと紹介された未来の侯爵様はセドニオと同じ褐色の髪の毛にオートリエよりも深い色の緑の瞳をしていた。ベリアナよりも年上の青年である。

(表情が……読めない)

 ベリアナはディオニオに視線を移して顔を引きつらせて、さすがに失礼にあたると思い、慌てて取り繕った。

 顔立ちは端正な部類なのだが、いかんせん表情が氷のように冷たく、口元もまっすぐに引き結ばれている。

 真顔で「よろしく」と言われたが、彼は絶対にこんなど田舎に呼びやがってと思っているに違いない。

 目元はすがめられているし、愛想笑いの一つもない不機嫌顔だった。

「よ、よろしくお願いします」

 ベリアナはばくばく鳴る心臓を必死でなだめながら挨拶をした。

「こちらこそ、よろしく。これだけ何もないと読書がはかどりそうだね」

 ベリアナににっこり笑いかけてきたのはエリセオである。彼はベリアナよりも一つ年下で、明るい茶色の髪にオートリエよりも深い森色の瞳をきらめかせた。

「え、ええまあ。のんびりできることだけが唯一の取り柄ですかな」

 嫌味なのか素なのか判断が付きかねない彼の言葉にロレントが必死に取り繕った。

 しかし、ベリアナにとっては彼くらいにわかりやすい方がありがたい。

「あら、何もなくはないわ。川に行けば魚がたくさん泳いでいるし、山には熊も出るのよ。今の季節は黒苺などの果物もたくさん取れるから、お菓子がとっても美味しいの」

「川に行けるの? 黒苺のお姉ちゃん、さっきはおいしい苺ありがとう」

 ベリアナの反論に嬉々とした声を出したのは侯爵家のお姫様であるところの幼いレカルディーナだ。

「あ……」

 ベリアナは固まった。

 こういうときは空気を読んで黙っているものでしょう、なんてことは小さなお姫様には通じないのだ。

「ベリアナ……?」

 案の定何かを察したミルイーゼから冷たい視線を感じたベリアナだった。


☆ ☆


 その日の夜。

 ベリアナは寝支度をしたあとも屋敷の中を闊歩していた。寝巻に着替えた後もなんだかんだと用事を思い出して自室から抜け出すのはベリアナの悪い癖である。

 用事を済ませて階段を上がっていると、一人の男性と出会った。

「ひっ」

 夜も遅い時間に誰だ、と思って思い出した。そうだ、今日から侯爵一家がお泊りに来たのだ。

 男爵家とは言いつつも、大貴族の田舎の城館とは比べるまでもなくこじんまりとした館である。

 暗がりの中、無表情にベリアナを見下ろすのは、確かディオニオと言っただろうか。侯爵家の長男である。つまりは次期侯爵を継ぐ若様だ。

(ま、まずい……若様相手にひぃぃとか言っちゃった)

 相手は感情の読めない強面でこちらを見下ろしている。

(ええと……こういうときってどうするんだっけ?)

 なんだかベリアナの方だけが焦っているみたいだ。

「寝るのか?」

「え、ええ。はい」

 思いがけずディオニオの方から話しかけてきた。ベリアナは肯定した。

「そうか。しかし、娘がそのような格好で邸無いとはいえ、うろうろしているのは感心しない」

 後に続いた言葉は厳しいものだった

 ベリアナは自分が薄い夜着しか身にまとっていないことを今自覚した。

 そうだ。今日からはこういう格好で適当にふらふらしたらいけないんだった。弟相手ではない。

「あ、ごめんなさい。わたし、もうもどりますね。おやすみなさいっ」

 ベリアナはあはは、と笑って勢いよく駆け出した。

 慌てていたとはいえ滑稽すぎる。

 もう少し恥じらうとかおしとやかにするとか方法くらいあったのに。

 一つ屋根の下に同居人が増えると気を使わなければならないことが増えそうだ。


☆ ☆


 ホイール男爵家が少しだけにぎやかになって数日。

 ベリアナはすっかりレカルディーナと打ち解けていた。お互いおてんば娘である。

 二人で散歩をすれば木に登り山桃の生る枝を揺らしてそれらを落とす。ついでに黒苺狩りを競争して、館の料理番に頼んでジャムを作ってもらう。

 室内でおとなしく本を読むより体を動かす方が好きという共通点があるだけで二人は仲良くなった。

 とはいえ、レカルディーナは侯爵令嬢である。休暇とはいえ午前中は連れてきている家庭教師から母国語や詩を学んだり、刺繍の練習をする。また外国語としてロルテーム語を習っている。

 外国語の教師は連れてきていないため、レカルディーナにそれを教えるのは侯爵夫人のオートリエだ。

 ベリアナはさっぱりわからないのだけれど、エリセオに言わせるとオートリエのロルテーム語はそのへんの教師よりも発音も文法も会話も完璧とのことだ。

 ロルテーム王国はアルンレイヒとは直接国境を有していない。アルンレイヒの西隣にあるフラデニアという国の北側にある小さな国で、貿易大国だ。西隣のフラデニアとアルンレイヒは同じフランデール語を話す。

 一応ベリアナも知識として西大陸と呼ばれるディルディーア大陸の国の位置関係は大雑把に把握しているつもりだけれど、外国語の習得など、田舎の領地でくすぶっている貧乏男爵令嬢には縁のない話だ。

 大貴族になると語学知識も要求されるのね、と感嘆したくらいだ。

「ねえ、ベリアナも一緒にロルテーム語習ってみない?」

 レカルディーナの刺繍に付き合って最近はベリアナも午前中はせっせと針を動かしている。

 外の方が大好きなベリアナだけれど、刺繍は不思議と苦にならない。自分の手から何かが生まれるということが幼心にうれしくて、うまくできるとミルイーゼがほめてくれるから一生懸命練習したのだ。

「ああそれはいいかもね。せっかくだから習ってみたら」

 ベリアナの代わりに答えたのはエリセオだった。彼はレカルディーナが刺繍に苦戦している傍らで読書に励んでいる。

「ですが……」

 ベリアナは及び腰だ。

 外国語なんてベリアナには何の役にも立たない。

「あら、いいじゃない。レカルディーナに付き合ってあげて頂戴。ダイラが忙しくしていて相手してあげられないの。そうしたらすぐにさぼろうとするのよ、この子ったら」

「だあって。一人だとつまらないもの」

 ダイラというのはレカルディーナ付きの話し相手兼侍女の少女だ。年はレカルディーナとほぼ変わらないのに、毎日きびきびと働いている。

 オートリエの言葉にレカルディーナは口を尖らせた。

「ほら、ね。わたくしを助けると思って。お願い」

 侯爵夫人にそこまで言われたらベリアナが逆らえるはずもない。

 ベリアナはなぜだかロルテーム語を師事する羽目になった。

「勉強なら僕も一緒にしてあげるのに」

「エリセオお兄様はすぐにわたしの単語の間違いとか指摘するんだもん」

「ひどいなあ。きみのためを思って、心を鬼にしているんだよ」

「うそよ。いつも楽しそうじゃない」

 エリセオは今も面白そうにレカルディーナをつついている。

 思えば彼はベリアナとレカルディーナの行く先々についてくる。一緒に木登りをするわけでもないのに、どういうわけかレカルディーナと一緒に行動するのだ。

 どういうわけか、ではない。

 ベリアナは数日の観察のうちで気が付いていた。エリセオは口で何と言おうとも、妹のことが可愛くて仕方ないのだ。

 レカルディーナをつついているときのエリセオはとてもいい顔をしている。レカルディーナにとってはいい迷惑だろうが、けれど彼は本当に彼女が嫌がることはしていない。ちょっと嫌味を言うだけだ。

 レカルディーナにとっては迷惑極まりない愛情表現だが、オートリエが黙認しているということは許容範囲ということなのだ。

「ちっ。ばれたか」

「エリセオ、レカルの前で舌打ちしないの」

 オートリエがエリセオのことを軽くたしなめる。

「はい。お義母さま」

「ベリアナも語学を学ぶことはあとあとあなたの役に立つと思うわ。短い間だけど、一緒にたのしみましょうね」

「はい」


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