令嬢と令息の距離6
「ええと、レカルディーナと一緒にあそ、いえ、彼女の話相手を務めたり、オートリエ様と一緒にお出かけをしたり」
「ああ、小さな侯爵令嬢ですわね」
「元気いっぱいな可愛らしいお嬢様だとお聞きしていますわ」
「そうそう、わたくしも一度お話相手になりたいですわ」
レカルディーナに話が及ぶと少女たちはいっせいにレカルディーナをほめちぎった。
彼女は確かに可愛らしい顔立ちをしている。将来は彼女の信者が彼女の周りを取り囲みそうだ。そういう想像をして、ベリアナはディオニオの機嫌がものすごく悪くなるんだろうな、と思った。
「ええ、レカルディーナはとても可愛らしい元気いっぱいなお嬢様です。ディオニオ様やエリセオ様もとても彼女のことを可愛がっているんです」
ベリアナは彼らの絶賛迷走中な愛情表現を思い出した。主に迷走中のディオニオを頭の中に再生して自然と笑みがこぼれる。
彼の愛情がいつかレカルディーナに届けばいいと思う。
「……ベリアナは、ディオニオ様ともずいぶんと、その……親しいそうですわね」
主催者であるエンリケス嬢が少しだけ含みを持たせた言い方をした。
ベリアナは意図するところが分からなかった。
「ディオニオ様にはよくしていただいています」
その返事を聞いた少女たちは互いに顔を見合わせる。そのうちの一人などはあからさまに顔色を悪くする。
「そういえばレカルディーナはロルテーム語を熱心に学ばれているとか。小さいころから語学に精通するのは良いことですわね。あなたもなにか語学は得意なのかしら?」
別の少女が話題を変えた。
「いえ。田舎の領地だったものでそういう機会に恵まれなかったんです。今、レカルディーナと一緒にロルテーム語を学んでいます。オートリエ様はとてもロルテーム語がお上手ですなんですよ」
「まあ、まあ。そうなんですのね」
令嬢たちはオートリエについては言及するのを避けた。
その後もちくりちくりとした会話は続いた。ミュシャレンで流行っている本の話題や、あれこれの詩作家の有名な一文を教えてと言われたり、全体的にベリアナを品定めするような会話ばかりが続いて辟易した。
帰りたい、と半泣きになったところで一人の少女が口を開いた。
思えば金色の髪の毛をしたこの少女だけが会話に加わらなかったのだ。
この場にいる皆と同じ年頃の少女は氷のように冴え冴えとした美貌をしている。冬の日に張る氷のような美しさだ。
「皆様、そろそろベリアナを開放して差し上げたらいかがかしら。彼女の人となりはもう十分に知れたでしょう。わたくし、彼女と二人きりでお話がしたいのです」
理知的な青い瞳は色が濃く、この場の少女たちと一線を画すような冷静な声をしていた。
「あら、イリアったら。あなたいつしゃべるのか疑問だったのよ」
エンリケス嬢がなにかを含んだような笑みをイリアと呼ばれた令嬢に向ける。
イリアは特段顔色を変えるわけでもなく立ち上がった。
(わたしの意思は無視なのかしら)
ベリアナの意思とは関係なく話が進むことは面白くなかったが、この場から抜け出すことができるのはありがたい。
それに、一対複数よりも一対一のほうが公平感がある。
ベリアナもイリアに続いた。
☆ ☆
イリアはベリアナを別の空き室に誘導した。他人の屋敷の中なのにずいぶんと落ち着いて行動している。イリアは主催者令嬢と仲良しなのだろう。
「ごめんなさいね、今日はわざわざご足労いただいて」
「いえ……」
突然の謝意にベリアナは中途半端な回答をした。決して楽しいお茶会ではなかったので、さすがに楽しかったです、などという気はない。彼女にとっても強烈な嫌味にしか感じないだろう。
イリアはあまり表情を表に出すこともなく淡々とした口調で話す。
「わたくし、あなたに興味があったの。それは他のみんなも同じ」
ベリアナはイリアの言葉に瞬きをした。
どうして彼女はベリアナのことが気になったのだろう。
「あなた、先日ディオニオ様にアルムデイ宮殿の庭園を案内されていたのですってね。その直前にはサロンで彼からコーヒーを供されたと聞いているわ。ディオニオ様はそういうことを今まで特定の女性になさった事はなかったの」
ベリアナは小さく息を吸った。
二日前のことがもう知れ渡っている。
たしかに宮殿のサロンには少なからず人がいた。けれど、誰もベリアナのことなんて気に留めていないと思っていたのに。
ベリアナの表情から言いたいことを察したのかイリアがもう一度口を開く。
彼女からはなんの感情も伺うことはできなかった。
「ディオニオ様の言動は目立つの。なにしろ名門パニアグア侯爵家の嫡男ですもの。彼の動向は女性たちにとっても他人ごとではないわ。とくに、わたくしのように、彼の婚約者だと内定している者にとっては」
彼女は物のついでのように、最後の言葉を付け加えた。
ベリアナは雷に打たれたような衝撃を受けた。
イリアという名前で気づくべきだった。
あの日、ディオニオの祖母カルディスカは『イリア嬢に誤解を与えるような真似をするなんて、賢い者のすることではないよ。』と言っていた。
そうだ、彼女はディオニオに婚約者がいると言っていた。その直後にディオニオ自身が婚約者の件をきっぱり否定しているのだが、今のベリアナにそこまで思い出す余裕はない。
「今日ここに集まった皆さんはわたくしへの親切心なのです。あなたには不快なおもいをさせてしまったようだけれど」
「い、いえ……。そりゃ、心配しますよね。婚約者の屋敷にわたしみたいなのが滞在していたら」
ベリアナは堅い声で返す。
「あなたがレカルディーナと仲が良いのはわかったわ。ですから、彼女の話し相手としてパニアグア侯爵家に滞在なさっているのでしたら、わたくしは何もいいません。ただ、あなたが軽率な行動をとるのが、心配なだけ」
「軽率?」
「ええそう。ディオニオ様が誤解を受けるような」
イリアはまっすぐとベリアナの瞳を見つめた。青みの強い瞳がベリアナの薄茶の瞳を射抜く。どうせなら、こんなきれいな瞳の色がよかったな、なんてどうでもいいことを考えた。
人間衝撃的なことを聞かされると、今この時分とは関係のないことを考えるらしい。
イリアはベリアナに忠告をしているのだ。
一度きりのことなら見逃してあげる、と。けれど、二度目はない。軽率な行動は慎め、身をわきまえろと言外に言っている。それくらいは分かる。
「ディオニオ様はカルディスカ様から厳重な注意を受けたと聞いたわ。わたくしは、オートリエ様を責めるつもりはないの。彼女は単純にレカルディーナのためを思ってあなたを呼び寄せたのでしょう。わたくしはカルディスカ様とは違ってオートリエ様のこともきちんと立ててさしあげることができるわ」
だから、あなたも分をわきまえなさい、と彼女はそう続けたいようだった。
ベリアナとイリアの会談はほんの少しの時間だけだった。
ベリアナはどうやって自分が侯爵家へ帰ってきたかよく覚えていなかった。
自室としてあてがわれている客間にたどり着いて、ベリアナは着替えもしないうちから寝台にぽとりと沈んだ。
どうしてこんなにも心が沈んでいるんだろう。ディオニオはレカルディーナのお兄さんというだけなのに。
侯爵家の嫡男なのに、気取ったところがなくてベリアナにも親切にしてくれる優しい人。
最初から分かっていたはずなのに。
ディオニオは雲の上の存在で、彼には沢山の縁談が舞い込んでいることくらい。
☆ ☆
翌日もその翌日もベリアナはオートリエと一緒に詩集の会だとか音楽鑑賞会だとかに連れまわされた。話題はやはりベリアナとディオニオのことであり、そのたびにオートリエは『あら、ディオニオの縁談はまだ白紙のはずですわ。わたくし、セドニオ様からそう伺っています』とやんわりと躱していたけれど、誰もがイリアのことを含みを持たせて口上に乗せた。
唯一嬉しかったのは刺繍の会で、含み無くベリアナの刺繍の腕前を褒められたことだ。これだけは小さいころから続けていてよかったと思った。
ディオニオと顔を合わせることのないまま三日が過ぎ、その日の夜はめずらしく彼は早い時間から侯爵家に在宅していた。
ベリアナも昼食会を最後にオートリエから解放されて、のんびりと図書室で本を読んでいた。
「ここにいたのか」
図書室の入口にディオニオが立っていた。
ベリアナは体をこわばらせた。
ディオニオは何も言わずにベリアナの近くまでやってきた。
ベリアナはなんて言ったらいいのか分からなくなる。
(こういうのも、軽率な行動のうちに入るのかしら)
「具合でも悪いのか?」
何もしゃべらないベリアナをディオニオは覗き込む。少しだけ身をかがめたディオニオの顔がベリアナのそれに近づいて、彼女は咄嗟に後ろにさがった。
「いえ、そんなことありません」
「……そうか。何を読んでいる?」
「ええと。グルージョフの詩集です。昨日彼の『春』っていう詩の一部を質問されて、答えられなかったので」
ベリアナは消え入りそうな声を出す。
オートリエと一緒のときは露骨な態度は見せないが、すこしでも彼女と離れると同じ年頃の少女たちはベリアナを試すような質問をする。ベリアナが侯爵家に滞在するにふさわしい教養を身に着けているのか、と。
悔しいのが、ベリアナがそれらの質問に答えられないことだった。
もっとまじめに勉強をしておくんだったと思っても後の祭りである。
「女性は詩が好きだな」
「いえ好きというか、教養というか……」
正直、言葉がきれいだとか詩の解釈について語れとかどうでもいい。
「勉強熱心なのはよいことだ。ロルテーム語も熱心だと聞いている。レカルもダイラも負けないと言っているようだ。相乗効果があっていいと思う」
彼なりに励ましてくれているのだろう。
そんな風に饒舌に語るディオニオに普段なら胸がほんわかするのに、今日は悲しい気持ちになった。
「ダイラの方がずいぶんと上手ですよ」
ダイラとはレカルディーナ付きの話し相手兼侍女である。
「しかし……私は……。いや、なんでもない。それより、今日は本当に元気が無いな」
「そんなことありません。わたし、ちゃんと元気ですよ」
「だが、ベリアナ。今日は笑顔ではない」
いつもどんな風に笑っていたのかベリアナは思い出せない。
「へんね……笑い方忘れちゃったのかしら」
「私は、そなたの笑顔が……いや、笑顔を見ていると癒される」
優しい言葉にベリアナは胸の奥がきゅっと傷んだ。彼はただベリアナを元気づけようとしてくれているだけのに。
「ありがとうございます」
ベリアナは無理に笑おうとした。
なぜだか涙が溢れそうになって、必死にそれを押しとどめてベリアナは口角を上げる。
彼女が必死に作った笑顔を見たディオニオは、ふいにベリアナに近づいた。
腕がふわりとベリアナと取り囲むように伸びてくる。
気が付くとベリアナはディオニオの胸の中にいた。ガラス細工にでも触れるかのようにささやかな抱擁だった。
ベリアナの頬が、ディオニオの胸のあたりに触れる。
もう一拍してベリアナは自分がディオニオに抱きしめられていることを悟った。
「いやっ! やめて」
ベリアナは拒絶の言葉と一緒に彼の腕の中から逃れた。
ベリアナは瞳を揺らすディオニオと目が合った。
「ディオニオ様……冗談が過ぎます。わたし、あなたがそういうことをする人だとは思ってもみませんでした」
「違う……私は」
「婚約者がいらっしゃるのに、別の女性にこういうことをしてはいけませんわ」
最後は彼の顔を見ることができなかった。
ベリアナは言いたいことだけ一気に言ってそのまま図書室から走り去った。
自室に戻って、マリカすら寝室から追い払って寝台に飛び込んだ。
彼がベリアナにそういうことをしようとするなんて信じられなかった。
婚約に向けて具体的に話が動いていると聞いている。少女たちは相手がイリアなら仕方ないと思っているが、ベリアナだと納得がいかない、と小さな悪意をちらつかせる。
どうして彼は突然ベリアナのことを抱きしめたのだろう。彼はずっと紳士的だった。
だからベリアナはディオニオのことを異性というよりは気の許せる友人として接することができた。
けれど、今日のディオニオは違った。
彼からはベリアナとは違う香りがした。
香りではない。はっきりと悟ったのだ。
ディオニオはベリアナとは違う、成人した男なのだ、と。強い抱擁でもなかったのに、ベリアナはディオニオの胸の逞しさとか、女性にはない体の硬さとか、大きさを間近で感じた。
それはとても怖かった。
これまで意識してこなかったのが不思議なくらい、彼はベリアナとは違う、異性の人間だった。
怖いと思った。
彼が突然ベリアナに触れてきたのが。
それなのに、こうして寝台の上で横になっていると、それとは違う旨の奥底から湧いてくる別の感情があった。
一時の気の迷いだとしても、ディオニオの胸の中にいたことを嬉しく感じている自分がいる。
怖いのに、それだけではない感情がまざってベリアナは戸惑った。
彼に笑顔を作れないのは、ベリアナがディオニオのことが好きだから。
好きな人には婚約の話があって相手方も乗り気で、家柄も容姿も釣り合って見えた。
だから彼の前で以前のように無邪気に笑うなんてできなくて。
ベリアナは胸を押さえた。
このまま、この屋敷にいることはできない。
イリアの懸念はもっともだ。
彼の側に、彼に焦がれる女が居たらいい気分はしない。
恋を自覚した途端失恋するなんて。
それでもベリアナはディオニオが気の迷いでも遊びでもいいからベリアナのことを気にかけてくれたことを少しだけ嬉しく感じた。




