令嬢と令息の距離5
『あなたは名門パニアグア侯爵家の跡取りなのですよ。わかっているの? 女性遊びをしたいのなら、爵位持ちはおやめなさい。あとで面倒になりますからね』
ディオニオが機嫌を悪くするのに時間はかからなかった。カルディスカは自分の推す令嬢とディオニオが婚姻することが一番良いことだとはなから決めつけていて、それを譲ろうとしない。祖母という権威を振りかざす。
『私は女遊びはしません』
『あら、では昨日の彼女とはどういう関係?』
『友人です』
ディオニオは簡潔に答えた。実際ベリアナとはそれ以外の言葉で言い表すことができないのだ。
『友人でも、異性とあんまり親し気にしているとあらぬ誤解を生むのよ。イリアをもっと気遣ってあげるべきだわ』
『イリア嬢を私の妻にするなど、パニアグア侯爵家は一言も認めていません。現在、叔母であるガジェゴ子爵夫人も自分の娘を私の妻へと押してきていますし』
と、ここまで言うとカルディスカは押し黙った。ディオニオの縁談相手を勝手に押し付けようとするのはカルディスカだけではないのだ。ガジェゴ子爵家に嫁いだセドニオの妹も、自身の娘をディオニオの妻へと推している。この両者が争っているためセドニオは二人の間をくらげのようにゆらゆらと揺らめいてのらりくらりと核心的なな言葉を口にするのを避けていた。
しかしこのセドニオの態度に業を煮やしたカルディスカは作戦を変更したらしい。最近ではさも彼女の推すイリア侯爵令嬢がディオニオの婚約者に内定したかのように周囲に触れて回ろうとしている。
周辺から地固めをしてしまうつもりらしい。
そもそも今のパニアグア侯爵家の男性陣の中ではある共通の認識がある。
「そもそも、オートリエとレカルをないがしろにするような女性はきみの妻として認めるわけにはいかない」
というのがそれである。
これはディオニオとエリセオ共通の意見でもある。
「父上は私がベリアナを選んでも構わないのですか?」
ディオニオはセドニオに改めて確認をする。現在彼はベリアナをディオニオの恋の相手として認めるような発言を繰り返している。
「いいんじゃない? ベリアナ嬢は男爵令嬢だし、小うるさい連中もそこまで文句は言わないと思うよ。私の時で実績はあるわけだし」
セドニオは楽観的だが、彼の場合は特殊だ。何しろ初婚ではなく、彼がオートリエと再婚を決意した時すでにディオニオとエリセオという前妻との間に男児が二人もいた。
当然というかカルディスカを含むディオニオの亡き母親の一族はセドニオの再婚に大反対をした。
彼女がディオニオらに干渉を始めたのもセドニオがオートリエと再婚をしてからだ。彼女はセドニオを何度も呼び出して厳重に注意をしていく。
ディオニオはベリアナが男爵令嬢だろうと気にしない。
彼女はオートリエを慕い、レカルディーナともすぐに仲良くなった。なにより、ディオニオ自身を見てくれる。ちゃんと目を見て笑ってくれる。
それがとても嬉しかった。
「ま、勝負するなら早い方がいいと思うよ」
「それよりも一つ言いたいのですが、どうして義母上はベリアナに私以外をあてがおうと一生懸命なのですか。彼女の性格からしたらまずは義息子である私とくっつけようとするはずだと思うのですが」
ディオニオは父親に最近の不満事項をぶつけた。恨み節ともいう。
「うーん……彼女、若いころ持参金目当ての男性に毎日のように求婚をされていて、彼女の中では結婚してくださいとか愛していますとか言うことが即ち好意を示すってことなんだ。きみ、夏の休暇の時にそんなこと一つもしなかっただろう。わかってる、きみなりに好意を示していたってことくらい。けどね、オートリエの中ではそうではなかったんだ。だから、幅広い出会いを提供するために奮闘することにしたみたいだよ」
セドニオのしたり顔の説明を受けたディオニオは打ちひしがれた。理由はわかったが、世の中そんなにも自分の気持ちをひけらかすことができる男ばかりではない。
だが、このあたりできちんと彼女に伝えないといけない。
とりえあえずディオニオは外堀を埋めていくことにする。
「父上、差し当たってお願いがあるのですが」
「おお、やる気になった? もちろんお父様はなんでも協力するよ」
息子が珍しく父を頼ってきてくれて嬉しいセドニオは満面の笑顔を浮かべた。
☆ ☆
ディオニオがセドニオと秘密会談をした翌日の午後。
ベリアナはとある貴族の屋敷に招待を受けていた。昨日招待状を受け取ったのだ。
相手は何某伯爵家のお嬢様である。
一介の男爵令嬢が断れるはずもなく、ベリアナはオートリエから貸してもらったさくらんぼ色のドレスでおめかして出かけた。ドレスには同じ生地で作られたクルミボタンが前についている。ウエストで切り替えたスカート生地はうっすらと小花模様が織り込まれている。
ベリアナにとって人生初の伯爵家へのお呼ばれである。まさか自分が伯爵家のような身分の高い家の令嬢からお誘いがくるあんて夢にも思わず、招待状を受け取ったときマリカと目を丸くした。
いったい何のために……? と。
しかし、今この瞬間。
なんとなく招待された理由に察しがついた。
「ベリアナ様はミュシャレンは初めてですのね。普段は領地にお住まいなの?」
「ええ、まあ」
「領地というとええと、どちらだったかしら」
「アルデア領です」
「アルデア領ですって。皆さんご存知?」
一人がその他の令嬢たちに声をかけると、みんな一様に首を傾げたり首を横に振ったりした。
「いいえ」
「わたくしも存じ上げないわ。とても小さな土地なのかしら」
「あらあら、アルンレイヒは広い国ですものね。未開の土地も多くて……わたくし、まだまだ勉強不足ですわ」
未開の地とは言い当て妙である。
「お勉強といえばベリアナ様もいろいろな教科を学ばれているのでしょう?」
領地の話から急に話題が変わってベリアナは目を白黒させた。
会話の主導権を握っているのはこのお茶会の主催者であるエンリケス侯爵令嬢だ。少し暗めの茶色の髪の毛に明るいオレンジ色のリボンをつけている。
ほかにも彼女の友人だというベリアナと同じ年頃の令嬢が数人同席をしている。みな領地へは帰らずミュシャレンで冬をすごしている。
「ええと……」
そんなにもたくさんの教科を習っていただろうか。男爵令嬢として幼いころから家庭教師はつけてもらったが、ど田舎に来てくれる家庭教師などたかが知れている。教養として一通りのマナーは叩き込まれたが、洗練された都会式かというと自信のないベリアナだ。というか、レカルディーナと一緒に詩集やらロルテーム語を習っているいまのほうがよほど令嬢教育をされているとな、と実感する。
「わたくしは小さいころからピアノを習っていましたの」
「わたくしはフルートですわ。先生はルーヴェ音楽院を卒業成された実力者ですのよ」
ルーヴェは西の隣国フラデニアの王都の名前だ。
「みんな違う楽器を演奏できるでしょう。たまに音楽会を開催するのよ。ベリアナもぜひ参加してくださいな」
「いえ、わたしは楽器は得意でなくて」
かろうじてそれだけ言った。
得意も何も幼いころから触った経験もない。
「あら、得意でないのなら練習すればいい話ですわ。具体的になにをなさっていたの?」
「いえ……実家に楽器がなくて」
「まあ」
ベリアナの回答に彼女以外の少女たちが一斉に驚き声を上げた。
みんな神妙そうな顔をしているが、ベリアナはとても居心地悪く感じた。
「ご実家はなにを考えているのでしょう。楽器のひとつも娘に与えないのだなんて。信じられませんわ」
「あら、それは各家庭ごとの教育方針ですもの。そのかわり、ずいぶんと風光明媚な土地に住まわれているのですから、乗馬などが得意なのではなくて」
エンリケス侯爵令嬢の執り成しに再び他の少女たちが一斉にベリアナを見た。
ベリアナはまたしても困った。
乗馬は両親が許してくれなかった。領地には牧場もあったが、お転婆が過ぎるベリアナに馬を与えたら大変なことになるとミルイーゼが危惧したのだ。
「乗馬は母から禁止されていました。日に焼けるので」
(よし、なんとかそれらしい言い訳を言えた)
「ま、まあ。たしかに……」
「それはそうですわね」
令嬢たちは納得したのかそれ以上は突っ込みをいれなかった。
乗馬はしないが基本領内を自由に闊歩していたベリアナが日焼けを理由にするのは説得力にかけるのだが、そこについて誰も指摘はしてこなかった。
会話がとぎれたのでベリアナは出されたお茶を口にする。海を渡ってやってきた東方由来のお茶はほんのりと黄色味かかっていて、不思議な味がした。ミュシャレンではこういうのが流行っているのか。
お茶といえば領内で取れたというか実家の裏で栽培していた香草茶くらいしか飲んだことのないベリアナは輸入品であるお茶がとんでもなく高級品であることをミュシャレンに来て初めて知った。
輸入茶を惜しげもなく客人に振舞うのが彼らの見栄の張りどころというわけである。
(ああ疲れた……。都会ってやっぱり怖い……)
ちくちくと小さな針で腕を刺されているようだ。決定的な何かはないけれど、この場に集った少女たちはベリアナに対して好意を抱いているというわけではないことくらい伝わってくる。
「そういえばベリアナは現在パニアグア侯爵家に滞在しているのでしたわよね」
赤毛の少女がくせっけを片手でもてあそびながら口を開く。
最初の名乗りで、確かフーアン子爵家の娘と名乗っていた。彼女も会話の端々に何か得体のしれない感情を織り交ぜる。
「ええ。オートリエ様に招待していただきました。最初は一家全員で訪れる予定だったのですが、父が領地の管理に忙しくて」
「まあ、狭い土地なうえに大半が山ばかりなのにお忙しいとは。お父上はもうすこし要領ってものを学ばれたほうが良いのでは?」
(てゆーか、ちゃんとわたしの領地について調べているんじゃない……)
ベリアナは心の中で突っ込みを入れた。
この分ではこの場にいる全員がベリアナのことを調べ得るかぎり調べたに違いない。
(じゃあさっきのあの質問の山はなんだったのよ)
「……今度父に申しておきます」
「あら、わたくしごときの提言など気になさらないでちょうだい」
「それよりも、侯爵家では何をなさっているの?」
別の少女が会話の流れを元に戻した。
他の令嬢たちもかたずをのんで見守っている。どうやらこれが今日の本題だったようだ。ずいぶんと回りくどいやり方をする。




