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令嬢と令息の距離4

 ミュシャレンのアルムデイ宮殿の前庭は低木がきれいに選定され、上から眺めると幾何学模様に見えるよう植えられている。

 ディオニオはベリアナを連れて庭園を散策する。

 セドニオの勧めで、散歩には向かない気温だが二人は外をゆっくりと歩いていた。

「寒くないか?」

「はい。歩いていると体がぽかぽかしてくるんですよ」

 ベリアナは気を悪くしたようでもなく、明るい返事をする。

「それに、王宮初めてなので楽しいです」

 外は曇り空だし、風は冷たい。

 けれどベリアナの表情は憂い一つなくて、ディオニオも自然と口元が緩んだ。

「そういえばアルンレイヒには王女様がいらっしゃるんですよね。レカルディーナはお話相手などなさらないんですか?」

「いや。彼女はまだ小さすぎる。王女殿下の話し相手には同じ年頃の令嬢が選ばれている」

 アルンレイヒ王家には現在王女が一人きりだ。長い間子供に恵まれなかった国王夫妻の間にやっと誕生したのは女の子だった。将来はこの王女が女王になることが決まっている。

「春になればバラ園が美しい」

「わあっ。素敵! 実家でも薔薇は植えられているんですけど、野生に近い、華美でないものが多くて」

「バラは好きか?」

「花は好きです。一番好きなのはさくらです」

「それは実の方が好きということか?」

「えへへ。ばれました? 高いところに成っているものってどうしてあんなにもおいしそうに見えるんでしょうね。だから、ついつい登っちゃうんですよね。小鳥ばかりずるーいって」

 ベリアナは故郷のことを思い出したのか懐かしそうな顔をする。ディオニオはさくらんぼを目当てに木登りをするベリアナを想像する。元気に木に登る少女が、風に髪の毛を揺らしている。木登りが得意なのはいいが、やはり心配で眉根を寄せた。

 自分の見てないところで木から落ちたらと思うと肝が冷える。

「今度からははしごを使うことを勧める」

「はしごじゃ上まで届かないんですよね」

 ベリアナはしみじみとした声を出す。もしかしたらこれは、彼女が子供のころから繰り返されてきた議論なのかもしれない。

 ディオニオは二人きりでも会話が途切れないのが嬉しく思った。あまり自分の感情を表現するのが苦手なディオニオは口数が多いわけではない。

 もちろん、無口というわけでもないから必要があれば話をする。そこから女性と会話を発展させることの意味がわからなかったけれど、ベリアナの話ならいつまででも聞いていたいと思うし、彼女のことならなんでも知りたい。

「さくらんぼのほかに好きな果物はあるのか?」

「えーとっ……そうですね」

 二人が会話をしながら歩いていると、前方から一人の婦人が近づいてくるのが見て取れた。

 女性は後ろに仕え人を従えている。ゆっくりとした足取りで、濃い茶色の毛皮の外套の下から少し色の薄い煉瓦色のドレスの裾が見えている。

 ディオニオは警戒心を露にした。

 回れ右をするのもあからさますぎて、ディオニオはそのまま前進することにした。

「黒苺も木苺も、ふつうに苺も大好き……って、ディオニオ様? どうかしました?」

「いや……」

 ディオニオの緊張が伝わったのだろうか、顔に出した覚えはないのにベリアナが彼の方を伺うように覗き込んだ。

 その間にも件の婦人との距離は縮まっていく。

「あら、あの人も散策かしら。王宮ってやっぱり人が多いんですね」

「そうだな」

 婦人の方が先に立ち止まった。

「おや、誰かと思ったらディオニオじゃない」

 しらじらしいことを、とディオニオは心の中で苦々しく思う。どうせ、ディオニオが女性と連れ立って歩いているのを目撃した誰かが告げ口したのだ。

 彼女は王宮のサロンに日参している。

「お久しぶりです。お祖母様」

 ディオニオは形式的な挨拶をした。

 ディオニオの母方の祖母、カルディスカは鷹揚に頷いた。

「相変わらず愛想のかけらもない子ね」

 カルディスカはふんと鼻を鳴らした。

 ディオニオは幼いころからあまり泣かない子供だった。乳母は手のかからない子供だとほめたが、祖母は愛嬌のないディオニオよりエリセオを可愛がった。

 それでもディオニオに話しかけてくるのは彼がパニアグア侯爵家の長男だからだ。

「そちらは?」

「彼女はホイール男爵家の、ベリアナ嬢です」

「はじめまして。ベリアナ・ホイールと申します」

 ベリアナは少しだけ固い声を出して腰を落として挨拶をした。

「ホイール……ホイール……さて、どこの領地だったか……」

「アルデア領です。去年一家でお世話になりました」

「ああそうだ。オートリエが勝手に旅行先を決めたって聞いたわ。あの人にも困ったものだわねえ。やっぱり商人の娘だと貴族の家のしきたりなんてわからないってことなのね。夏に領地へも帰らないで」

「家族の総意です」

「まあいいわ。そういうことにしておきましょう。それでどうしてその男爵家のお嬢さんがあなたと一緒にいるの?」

 カルディスカの瞳は笑っていない。

 じっとディオニオを見据えている。

「義母上が夏のお礼にと現在我が家にお招きしているのです。今日は王宮見学にここを訪れたので案内しています」

 ディオニオは簡潔に説明した。

 カルディスカはベリアナに視線を移した。

 上から下まで二度ほど舐めるように見つめる。ねっとりとした、嫌な視線だった。

 ディオニオは今すぐにベリアナをカルディスカから隠したくなる。

「ふうん。そういうこと。でも、感心しないわね。イリア嬢に誤解を与えるような真似をするなんて、賢い者のすることではないですよ。あなただって、自分の婚約者が他の男性と連れ立って歩いているのを目撃したら嫌な気持ちになるでしょう」

 カルディスカはわざと大きな声で婚約者という言葉を強調した。

 ベリアナがその言葉に反応をして、目を見張った。しかし、まっすぐに前を見据えているディオニオは気づかない。

「イリア嬢とは婚約していませんよ。そういう誤解を招くような言動をなさると、彼女のためにもよくありません」

「まだそんなことを言っているの。ほぼ決まったも同然でしょう。あとは、あなたと侯爵が頷けばよい話なんですから。わたくしはね、あなたのためを思って言っているの。年上の身内の言うことは聞いておくものよ。侯爵家の跡取りなのだから、それにふさわしい身分の娘さんを妻に迎えなければなりませんよ」

「少なくとも、この寒空の下で議論することではありません。彼女が震えている。今日のところは失礼します」

 ディオニオはいつまでも続きそうな話の合間に強引に言葉をねじ込ませた。

 母方の祖母は自分の従妹の娘を執拗に妻にするように迫ってきている。貴族の結婚は家と家との結びつきだ。

 自分の娘をパニアグア侯爵家に嫁がせたのに、彼女の娘、ディオニオらの母は冬の病を患った末に帰らぬ人となった。自身の発言力保持のため、カルディスカは自分に都合のいい女をディオニオの妻にするよう再三求めてくる。

「ええ、今度ゆっくりと話をしに行きますよ」

 その言葉にはなにも返さなかった。来るなといってもどうせ来るのだ。祖母という権限を振りかざして、彼女は持論をディオニオに強要しようとする。

 カルディスカと離れてしばらく歩いて、立ち止まると、ベリアナが心配そうにディオニオの顔を覗き込んできた。


☆ ☆


 結局カルディスカは翌日にもう一度王宮に現れてディオニオに面会を申し入れた。ディオニオは執務のために王宮にいるのだ。そう言っておかえり願ったのに、彼女曰く、自分の要件は王宮の仕事より大事だそうだ。

 面倒になったディオニオはカルディスカの話を聞いてやった。

 聞いてげんなりした。

 面倒極まりない。不快な言葉の数々の連続だった。

 ディオニオは夜遅い時間にセドニオの書斎の扉をたたいた。

「どうぞ」

 中から了承の言葉が聞こえたためディオニオは扉を開いて書斎へと入った。

 セドニオは書き物机の椅子に着席しておらず、片方の壁に備え付けられた大きな本棚の前に佇んでいた。もう片方の壁側には飾り棚が置いてあり、一部には家族の細密画が絵画立てに入れられて飾られている。

「こんな時間に珍しいね。なにかあった?」

 セドニオは柔和に目元を細めた。

「父上、昨日のあれはわざとですね」

「昨日の?」

 セドニオは首をかしげた。

「ベリアナを私にけしかけたでしょう。一緒に庭園を散策するように」

「ああ、あれね。不器用で奥手な息子を応援してあげたいっていう親心だよ。失礼だな、けしかけるだなんて言い方。ベリアナ嬢はきみの恋心なんて気づいてもいないのに」

 父の言葉は容赦なかった。

 第三者から見たベリアナのディオニオへの対応を聞かされてディオニオは地味に傷ついた。

「気づいていらっしゃったのですか」

 なんとかそれだけ口にする。

「まあね。エリセオも気が付いているよ。気づいていないのはオートリエとレカルとベリアナ本人だね。あんなにもわかりやすくきみが好意を示しているのに、というかきみがあれだけ何かに執着するのって学問以外に何かあったっけってくらいなのに」

 セドニオはさすが父親だけあり、ディオニオの変化に敏い。しかし、オートリエがこの家に来るまでは、ディオニオとセドニオの親子関係なんて淡白なものだった。

「ベリアナはまったくこちらの意図など築かないのに、面倒な輩には気づかれました」

「ああ、聞いているよ。義母上だろう」

 セドニオは得心顔をした。

「あれもあなたの差し金ですか」

「きみが女性と連れ立って歩いていれば絶対に彼女の耳に入るだろうなとは思ったけど。まさかあんなにも電光石火だとは思わなかった。女性の連絡網を甘く見積もっていたよ」

「どうしてそんなことをしたのです」

「きみがベリアナ嬢とお出かけしたくてうずうずしてるからだよ。せっかくお膳立てしてあげたのに、そういういい方されると悲しいなあ」

 セドニオは分かりやすく顔を歪めた。

 昔は何を考えているかわからない父親だったのに、オートリエと再婚をしてから彼は変わった。感情を表に出すようになった。子供に対して愛情表現をするようになった。

「それと、もうひとつ。私の息子は将来の伴侶を自分の力で見つけたから、手を引いてくださいねって伝えたくて」

「伝わっていませんよ。むしろ逆効果です」

 ディオニオは昼間の会見を思い出した。


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