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令嬢と令息の距離1

「侯爵家って肩が凝りますね」

「そうねえ……。わたし、まさかお父様がオートリエ様に根回ししていたとは思わなかったわ」

 ベリアナはうんざりした声を出した。

 貴族にとって結婚は避けても通れない問題だ。けれど、田舎で悠々自適にのんびり暮らしていたベリアナにとって、それは対岸の火事というか、自分にはまだ関係のないことだと思っていた。

 だいたいロレントだって全然ベリアナのことを急かしてこなかった。

「わたし……この屋敷でやっていけるかしら。だってほら、レカルディーナ様付きのダイラっていう女の子いたじゃないですか。あの子とっても出来る子なんですよ。わたし、年上なのに……自信失くします。侯爵家の侍女たちがいらっしゃるのなら、わたし完全にお荷物じゃないですか」

 ベリアナがお供として連れてきたマリカはベリアナよりも一つ年上の十八歳だ。アルデア領で生まれ育った使用人一家の娘で小さいころから何かと世話を焼いてくれている。

 ど田舎の領地で育ったため彼女も都会におののいている。

 二人とも村のイボット家のお祖父さんの『都会は怖いところじゃ。若い娘なぞ、すぐに食われてしまう』という言葉を聞いてそだってきた。具体的に誰に食べられるのかをベリアナ含め村の少女たちは一度は尋ねるのだが、それについて具体的回答をもらったことはない。

「やだ、ちょっと。わたしを置いて一人で帰らないでね、マリカ。わたし一人でミュシャレンに残れなんて、それはひどいと思うわ」

 ベリアナは慌てた。

 彼女がいなくなったらベリアナは完全にアウェーである。

 侯爵家の使用人はみんなすました顔をしているし、男爵令嬢とはいっても所詮は田舎娘である。使用人の方がよほど洗練されていてベリアナは身の縮む思いだ。

「わかってますよぉ。でも、わたしもつらいんです! ここの人たちみんなお高く留まっていて。正直怖い! 帰りたいっ! やっぱり都会は怖い。イボットじいさんの言う通り」

 ここにも一人イボット信者がいるのである。

 マリカはベリアナの連れてきた侍女ということもあり、客間に近いところにある客人用の使用人部屋を一人で使うことになった。

 アルデア領の屋敷の部屋よりも格段に立派な内装に早くも涙目だ。こういうとき豪華な部屋でラッキーと割り切れないくらいまだ都会に慣れていないのである。

「わたしなんて、ミュシャレンで結婚相手を探さないといけないのよ……」

 ベリアナは長い溜息をついた。

 ミュシャレン二日目の朝食の席でオートリエはベリアナに結婚について熱く語った。

 まさかあんな風に話が進んでいるとはまったく思ってもみなかった。

 先行きの雲行きの悪さを感じ取ったマリカは主人のためにお湯を持ってきてくれて、お茶を入れてくれた。

 用意された客間は続き間で、前室と専用の居間と衣裳部屋と浴室と寝室がついている。広すぎてびっくりした。前室の隣にお付きの人間用の部屋があるのだ。

「あーあ、貧乏を盾にしたら引いてくれると思ったのに」

 ベリアナはありがたくお茶を頂戴して一人ごちた。

 それどころかがぜんやる気になってしまった。侯爵夫人相手にあまりにも不躾なことは言えないので始終苦笑いに徹したベリアナだった。

 最後ディオニオとセドニオがとりなしてくれたおかげでどうにか話題がそれたけれど、それでも前途多難だ。

「お嬢様、本当に婚活するんですか?」

「婚活?」

「ミュシャレンではそういう言い方をするらしいです。ええと、スラング的な」

 マリカはつい先ほど下の使用人専用の食堂で仕入れてきた知識を披露した。

「へえ、田舎とは言葉一つとっても違うのね」

「本当ですよ。わたしの発音大丈夫かな」

「それを言うならわたしだって似たようなものよ」

 お互い生まれも育ちもど田舎のアルデア領である。

「お嬢様ったら、暢気すぎですよ。もういっそのこと、ここのご子息を狙ったらどうですか。持参金なんてけっちいこと言いませんよ」

 マリカがとんでもないことを言いだした。

「何を言うのよ! あのね、相手はお金持ちの侯爵家の跡取りよ。わたしなんか相手にするわけがないでしょう」

 ベリアナは身の程はわきまえているつもりだ。それはロレントだって同じで、ベリアナにそこまでの上昇志向を求めてはいない。

「そっか。そうしたらわたしもお嬢様について侯爵家へ奉公なんて……駄目! 怖い想像はやめよう」

 マリカは何を想像したのかぶるりと身を震わせた。

「でも、ディオニオ様びっくりしていたわね。わたしいつまでここにいるかわからないけれど、迷惑って思わないといいなあ」

 期限が区切られていないことがさらに恐ろしいミュシャレン滞在なのだ。

 ロレントははっきりといつまでに帰ってこいは言わなかった。下手をすると嫁ぎ先が決まるまで帰ってくるなとか言いそうである。

「確かに相変わらず怖い顔していましたね」

 マリカは思い出したのか、再び両腕を交差させて二の腕あたりをさする。

「あら、あれがディオニオ様の通常の顔よ。よおく観察するとたまに笑ったり、怒ったりするのよ。見ていて面白いわ」

「お嬢様大物ですね。あの顔を見て怖いと思わないなんて」

「最初は怖いって思ったんだけどね。なんだか、知れば知るほど可愛く思えてきちゃって」

 ベリアナは思い出して笑った。

 妹であるレカルディーナに対する不器用な優しさとか、父親と妹を取り合う姿とか、観察しているとなかなか奥深い。

 ベリアナはディオニオに嫌われたくないと思っている。レカルディーナのお兄さんなのだし、彼はベリアナのお転婆加減を目にしても呆れたり、怒ったりしなかった。いや、呆れてはいると思うけれど、それを態度に現していない。

(でもそれって、単にわたしに興味がないだけなのよね)

 それはそれでちょっとつまらないと思うベリアナだ。ディオニオのことを考えると、ベリアナの心は少し騒がしくなる。どうしてだかわからないけれど、彼の隣にいるとたまに逃げ出したくなる。顔が怖いとか、そういうことじゃなくて、なんだか落ち着かなくなる。

 ベリアナは首をひねった。

 久しぶりに再会をしたディオニオは特にこれといって変わったところもない。

「やっぱり、わたしの思い過ごしなのかしら……」

「どうしました?」

 ベリアナの小さなつぶやきを聞き取ったマリカが尋ねたが、ベリアナは「なんでもない」とだけ言った。


☆ ☆


 ベリアナがパニアグア侯爵家に滞在するようになって数日後。

 ベリアナはオートリエの私室へと招かれていた。

 私室の一室である衣裳部屋だ。衣裳部屋とはいえ、女主人のそれはベリアナの故郷の屋敷のちょっとした部屋くらいの広さがある。

「あら、ベリアナ似合うわ」

「は、はあ……」

 嬉々としたオートリエとは対照的にヴぇリアナの返事は冴えない。なにしろかれこれ二時間は彼女のお着換え遊びに付き合っている。

(なんだか着せ替え人形にでもなった気分)

 今ベリアナが身に着けているのは空色に少し灰色を混ぜたような冬らしい色合いのドレスで、そで飾りの三段レエスが特徴のものだ。この前はこっくりとした紅色のドレスで、そのまえは暗い黄色のドレスだった。黄色のドレスは光沢のある白い刺繍意図で大きなゆりが刺繍されていた。

 真新しいドレスはどれも高級品でベリアナは汚したら弁償と心の中で冷や汗をかいていた。

「奥様、こちらのドレスはいかがでしょう?」

「あら、いいわね」

(ひぃぃっ! まだあるの?)

 止まることのない着せ替え大会にベリアナは心の中で悲鳴を上げた。

「この中でベリアナに似合うものはどれかしら」

 侍女がベリアナからドレスを脱がせていく。

 あっという間に矯正下着だけの姿になり、オートリエはまじまじとベリアナの下着姿を眺める。

「胸は詰め物をしなくても大丈夫ね。問題はウェストね。あなた、ちゃんと日ごろからウェスト周りをしっかり引き締めておかなと駄目よ。こういうのは日ごろの努力がものをいうのだから」

 オートリエはさながら女教師である。

「あら、奥様。ベリアナ様は無駄なお肉はあまりついていませんわ」

 日ごろ領内を走り回っているおかげか、腹回りはわりとすっきりしているベリアナだ。ほっそりした腹回りとは逆に胸元はそれなりに豊かで、幼馴染の令嬢レオノーラはたまに不機嫌そうに彼女の胸をじろじろと眺める。

「そうねえ。でも、自分自身がもう少し気を付ければ、もうあとすこしくびれがキュッと作れるわ」

 オートリエは素早くベリアナの後ろにまわって矯正下着のひもを緩めていく。かと思えば「はい、息吐いて」と言われてその通りにしたらキュッとひもを締められた。

「うっ……」

 いまだかつてこんなにもキツキツにしめたことがないベリアナは息ができなくなった。

「く、苦しいです……」

「奥様。急に締めすぎるとよくないですわ」

 侍女が急いで締まった下着のひもをゆるめてくれた。

(た、助かった……。にしても、貴婦人てこんなこと毎日しているの?)

 自分自身も貴婦人に属する階級なのだが、彼女にとってはこれは非日常なのだ。田舎でのびのび過ごしてきたベリアナは当然のことながら矯正下着など月のうちに身に着ける回数など片手で数えるほどである。

「もう、ベリアナったら。ほっそりしていることに胡坐をかいていたらだめよ。年取るとね、お腹周りにお肉が付いてきちゃうんだから」

「こ、これから徐々に引き締めますから……」

 ベリアナは無難にやり過ごすことにした。

 これも社会勉強だと思えば、というか今までさぼってきたツケだと思えばなんとか乗り切れるかもしれない。


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