40.ずっと好きでした
空調の音と、耳慣れない小さな電子音とが、単調なリズムを刻んでいる。
人工的で乾いた空気は、全く馴染みのないものだった。
(うるさいな。誰か、あの音をとめてくれよ)
黒田が消えてしまった今、心の声に応えてくれる者はいない。
仕方なく重いまぶたを持ち上げると、シミ一つない真っ白な天井が目に飛び込んできた。
「ここ……どこだ?」
発した言葉は声にはならず、乾いた唇がかすかに動いただけだった。
駅のホームでもなければ、学校でもない。
山の中の別荘でもないし、広島市街を見下ろす原爆ドームの上でも、もちろんない。
そして、奇妙な電子音はずっと鳴り続けている。
耳をふさごうとして、ぎくりとした。
身体が……動かない?!
胴体をピンで留めつけられた昆虫標本にでも生まれ変わったのだろうか?
いや、標本はすでに死んでるわけだから、いくらなんでもそれはないだろう。
浮かんだ思いに自分で突っ込みを入れた時、右手に触れる柔らかな感触に気がついた。
ほのかに伝わってくる、血の通った肌のぬくもり。
身体に電流でも通されたように脳が一気に覚醒し、それに呼応するように電子音の間隔が短くなる。
苦労して首だけ動かすと、俺の手をしっかりと両手で包み込んだまま、吉田が目を閉じていた。
震えるような思いで、疲れた寝顔を覗き込んだ。
折りたたみ椅子に腰かけて、片頬だけをベッドに預け、泣きながら眠ってしまったのか、ほんのりと染まった頬には涙の跡が残っていた。
吉田が生きている!
ひょっとして、俺も……生きてるのか?
電子音を絶え間なく発し続けているのは、ベッドの傍らに置かれた心電図モニターだった。
身体が動かないのは当然で、あちこちギプスで固定された身体からは、複数の管やコードがのびていた。
包帯でぐるぐる巻きにされているわりに、痛みは不思議と感じなかった。
やたらと眠いのは、たぶん痛み止めのせいなのだろう。
細い指に指を絡めると、吉田はゆっくりと目を開けた。
どれだけ心配させたのか検討もつかない。
俺の顔を見るなり、子供のように泣き出した。
愛しさと切なさがごちゃごちゃになって、俺はベッドに横たわったまま、唯一動く右腕でそっと少女を抱き寄せた。
「吉田が好きだ。ずっと、好きだった」
花びらのようなキスが、ふわりと唇に落ちてきた。
傘を差さなくても、言葉が通じる。
互いを見つめることができて、こうして触れ合うことも……。
それはどんなに願っても、得られなかったものだ。
俺は今、奇跡の中にいる。
「私も好き。柳瀬君が大好き」
きらきら光る宝石のような瞳がまばたきして、涙のしずくが俺の頬に落ちた。
話したいことが、たくさんある。
でも、それを語る未来は、用意されているのだろうか?
ふと浮かんだ疑問について、思いを巡らせることはできそうになかった。
頭にクモの巣が張っていくように、次第に意識が遠のいていく。
でも、決していやな感じじゃなく、長い旅の終わりに、重い荷物を下ろしたような気分だ。
吉田の手を握り締めたまま、俺はすいこまれるように目を閉じた。