39.通り雨
アスファルトを叩く突然の通り雨。
ビジネスバックを頭上に掲げ、水を跳ね上げながら駆けていくサラリーマン。
その傍らでは、ビルの軒先で雨宿りしている人たちが、街頭ビジョンに流れる映像を手持ち無沙汰に眺めている。
天気予報が大幅に外れると、都会の街は大変だ。
公共交通機関は人であふれ、道路は車で混雑する。
東京に大地震が起これば、一万人の死者が出るなどと言われているが、実際はそんなものではないだろう。
たった今、届いたメールを確認し、ジーンズのポケットに携帯電話を突っ込んだ。
無遠慮に向けられる視線を感じながら、黒のキャップを少しだけ目深にかぶりなおす。
何気なく見上げた先、都会を見下ろす巨大スクリーンには、路上インタビューの一コマが映し出されていた。
『戦争が起こればいいと思うんですよね』
同じ年頃の男が、向けられたマイクに向かってしゃべっている。
数日前に起きた、街中での無差別殺傷事件。
犯人は二十代のフリーターだった。
どうやら事件報道のついでに、犯人とよく似たプロフィールを持つ人間が、路上インタビューの餌食になっているらしい。
携帯電話に犯行を書き込みした犯人の気持ちが、自分には理解できるとその男は言った。
将来に対する漠然とした不安、欲望を満たされない苦悩、そんなものについて淡々と述べてから、男は最後にこう締めくくった。
『戦争が起これば、ヒーローになれるでしょ? 事件を起こした彼だって、同じ気持ちだったんじゃないかな。こんな日常はもうたくさんだ……ってね。だからね、戦争が起こればいいと思うんですよ』
死んだ魚のようにうつろな目。
不健康そうな色の唇には、薄気味の悪い微笑がはりついていた。
(黒田、あんたの言うとおりだ)
過去の経験から学ぶことをしないこの国は、破滅に向かって加速度的に進んでいる。
今、戦争が起これば、確かにあの男は最前線に送られるだろう。
だが、名もない兵士の一人として、戦場に骸をさらすだけだ。
かっこいいヒーローなんて、現実を知らぬ連中が生み出したまぼろしに他ならない。
画面が切り替わったのをしおに、スクリーンから目を逸らした。
通り雨は早くも小ぶりになっていて、人々の足取りもさっきよりゆるやかだ。
俺は、絶え間なく続く人波に少しだけ酔いそうになりながらも、こうもり傘を差した黒尽くめの男の姿を、半ば無意識に捜し始めた。
あの金色の光の中で姿を見失った瞬間から、ずっと黒田を探し続けている。
無駄だとわかっていても、そうせずにはいられないのだ。
明けない夜はないと黒田は言ったが、どっぷりと浸かりこんだ闇の世界から俺を引っ張り上げてくれたのは、他ならぬあいつだった。
あの時の震えるような感動は、年を経るごとに鮮やかになっていく。
広島市の片隅で起きた、俺と黒田以外は誰一人知らぬあのできごと。
あいつはこの世に存在する全てのものを巻き込んで、他人である俺のためだけに、たった一つの奇跡を起こした。




