38.光の中
「俺のこと、千人目のお客だって言ってたよな? 奇跡が起こせるかどうか、ためしてみろよ、うまくいけば、あんたの大切な人に会えるかも知れない!」
「…………」
ようやく苦労が報われる時がきたというのに、男は少し唖然とした顔で、じっとこちらを見つめている。
「どうした? 何で黙ってるんだ?」
不安ともどかしさがこみ上げてきて、思い切り相手の肩を揺さぶった。
何の抵抗もしないで、ほうけたように揺さぶられるままになっていた上体が、やがてがくりと前に傾ぎ、そのまま動かなくなったと思ったら、いきなり腕をつかまれた。
「あなたは人のことばかり心配してますけど、ご自身のことは気にならないのですか?」
どこか責めるような口調だった。
「は? 何、言ってんだよ? あんたこそ、俺のことより自分のことだろ?」
同じような口調で言い返すと、腕をつかむ手に少しだけ力がこめられた。
「千人目があなたで、本当に良かった」
つかまれた腕から、かすかな震えが伝わってくる。
「そりゃどうも」
いちおう言葉を返したけど、男が何に感激しているのか、俺にはさっぱりわからなかった。
「百年は草も木も生えないと言われたものですが……」
鉄骨にひっかけていた傘を手にとって、黒田はゆっくりと立ち上がった。
感慨深そうに細められた瞳には、夜のベールをゆっくりと剥いでゆく広島の街が映っている。
「あの胡散臭い声、私はてっきり自分の妄想の産物だと思っていたのですが、そうではありませんでした」
「えっ、本当に? ど、どうしてわかったんだ?!」
思わずネクタイをつかむと、黒田はにこりと微笑んだ。
「奇跡が、起きたからですよ」
いつしかその身体は、金色の光に包まれていた。
いや、目の前の男だけじゃない。
黒田に触れた俺の手も金色だ。
あせって顔を上げた俺は、目に飛び込んできた光景に息を飲んだ。
空も、川も、街も、視界に映る全てのものが、金粉をぶちまけたように輝いている。
「……行くのか?」
光の輪郭に縁取られた男は、静かな微笑を浮かべたまま、首を横に振った。
「行くのは私ではなくあなたです。ようやく時が満ちたようです」
「時が満ちた? どういう意味だ? お、おい、一体どこへ!?」
叫んだ途端、俺の身体はふわりと宙に浮かんでいた。
どんどん空に引っ張られていく。
わけがわからず、夢中で手足を振り回していると、今ではすっかり慕わしいものになった黒田の声が、直接心に響いてきた。
―― どこへ行かされるのかって?
あなたに、ふさわしい場所にお送りすると、先ほど申し上げたでしょう?
ここにお連れしたのは、ちょっとした寄り道だったんです。
本当は、ぎりぎりまで迷いました。
でも、決心して良かった。
その声も次第に遠くなっていく。
俺は全神経を集中させた。
―― 起こせる奇跡は一つだけ。
でも、時代が時代ですからね。一つや二つや三つの奇跡では、百合さんを幸せにすることは到底できない。だから、高望みはやめたんです。
もしも本当に奇跡が起こせたら、ほんの短い時間でも良いから彼女に会って、思いを伝えよう。それだけで十分だ……ってね。
―― それはゆるぎない信念だったはずなのに、あなたに会って、ぐらりと心が揺れたんですよ。
あなたと吉田比奈さんは、まるで私と百合さんのようでした。
初めてお会いした時、理不尽な理由で命を奪われたあなたは、駅のホームにうずくまり、白い薔薇を見つめながら静かに涙を流していました。
あなたは繊細で不器用で……吉田比奈さんを守ろうと必死になっている姿を見ていると、もう、他人事とは思えませんでした。
―― だから、決めたんです。もう、おわかりですよね?
百合さんの分も、彼女を幸せにしてあげて下さい。
あっ、そうそう、例の耳鳴りみたいな声は今も聞こえていますから、六十数年後、いえ、がんばって働いて五十年後あたりに……。
黒田の声はそこで途切れた。
金色の光の中、俺は情けなくも、また泣いてしまった。
泣きながら、吉田を助けてくれと黒田にすがりついて懇願したことを、心の中で何度も謝った。
神などいないと、あいつは言った。
賽銭や、お布施や、何らかの見返りを求めるものは、神ではない。
ギブ・アンド・テイクは人間界のルールだから、それに則ったものであるならば、神も信仰も人がこしらえたものに過ぎないと。
「じゃあ、あんたは何なんだ?! あんたこそが、神じゃないのか?!」
答える声はない。
何も聞こえない。
俺の全ては光に解け、黒田圭吾も消えてしまった。
そろそろクライマックスです。
気合を入れてイラストなど描いてみましたが……下手ですね(苦笑)。
※イラストはパソコン版のランキングページに掲載。
ここまでお読み頂いた方に心よりお礼申し上げます。
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