37.終わらない夜はない
「柳瀬さん、私とあなたは何だか似ていると思いませんか? もっとも私は、あなたのように泣き虫ではありませんが……」
「な、な、泣き虫! お、俺が!?」
「最近の若い人は、皆さんそうなんですかね?」
この上なく失礼なことを、真顔でさらりと口にする。
頭突きの一つでもくらわせてやろうかと思ったが、その肩越しに見えた空に、俺はたちまち目を奪われた。
夜は永遠に続くのだと思っていたのに。
下へゆくほど闇が薄らいでいく。
建物のシルエットを映したあたりは、群青と紫とオレンジを一気に水の中に溶かし込んだような、何だか不思議な色をしていた。
「終わらない夜なんてありませんよ」
静かな声が耳朶を打つ。
東に背を向けたまま、黒田は懐中時計の文字盤を磨き始めた。
「どうして俺が考えていることがわかるわけ?」
「さあ? 年の功ですかね」
「としの……何?」
「お年玉の年に功労賞の功。亀の甲より年の功なんてことわざがありましてね、長年の経験は貴重だという意味です。ただ、私の場合は二十五年と少々ですから、本当にこの言葉が当てはまるかどうか……」
「当てはまるわけないだろ! 人のことを泣き虫よばわりして、何が年の功だ! 二十五歳なんて、俺たちとそんなに変わんねえよ!」
こちらの剣幕に少しも頓着することなく、黒田は言葉を返してきた。
「でもね、昭和二十年の男性の平均寿命は二十三歳なんです。今は八十歳ぐらいでしたっけ? 時代は変わりましたねえ。必ずしも良いよい世の中とは言えませんが、国のために死ぬことを強要された時代よりは、はるかにましだ」
一つしかない目を細めてしみじみと言うものだから、気勢をそがれて、うなずいてしまった。
確かに黒田の言う通りだ。
妙な閉塞感がただよっていて、クレイジーなやつらがウヨウヨしてるけど、今の日本人は、南方戦線に送られて餓死することも、特攻機に乗せられることも、空襲から逃げ惑うことも、原爆で死ぬこともないだろう。
「二十五歳と少々なんて、おかしな言い方をしましたけど、実は私、自分がいつ死んだのか、わからないんです。もっと言えば、死んだという意識すらない。だから時折、思うんですよ。本当はまだ昭和二十年なんじゃないかって……。自分は正気を失ったまま、妙な妄想にとらわれているだけなんじゃないかってね」
そんな疑問を抱かせたのは、他ならぬ、あの不思議な声だった。
『千の迷える魂を導け。そうすれば、お前の望む奇跡を一つだけ起こしてやろう』
無視し続けていた声が、時間の経過とともにだんだんと大きくなってきて、耐え難いほどに心を侵食し始めて、しまいには、その声以外、何も聞こえなくなった。
それでも必死で百合を探した。
探していたつもりだったけど、実際は、放射能にやられて、あるいはひどい出血で、動けなくなっていたのかも知れない。
「そして、気がつくとこんな姿に。これじゃあまるで葬儀の参列者ですよね」
黒尽くめの男が情けなさそうに肩をすくめる様を見て、俺ははじかれたように立ち上がった。
そうだ、葬儀の参列者だ。
初めて会った時、俺も同じことを思った。
あの時、黒田が口にした言葉。
あれこそが……。