34.あなたを探して
昭和十九年の六月にマリアナ諸島が陥落し、日本軍が築いたサイパン島の航空基地は、アメリカ軍に奪われた。
その結果、日本の都市の大半がアメリカ軍の爆撃圏内となり、黒田が帰国した昭和二十年の夏までに、東京は百回にのぼる空襲を受けていた。
「私は遅かったのですよ」
「まさか……空襲で?」
半ば義務的に訊ねた俺は、「いいえ」という返事にほっとした。
「それじゃあ……」
何が起こったのかを聞こうとした時、黒田は頭上を指差した。
「昭和二十年八月六日午前八時十五分。あなたも広島の方なら、何が起こったのかはご存知でしょう?」
「嘘だろ!」
咄嗟に立ち上がっていた。
「残念ながら本当です」
静かに答える男の顔をまともに見ることはもうできない。
「で、でも、どうして!?」
疑問を口にしたものの、本当はもうわかってしまった。
眼下には広島の夜景が広がっている。
赤茶けた鉄骨は産業奨励館のなれのはて。
偶然であるはずがない。
黒田は敢えてこの場所を選んだ。
全てはこの場所から始まり、そしてこの場所で終わるのだ。
昭和二十年三月十日の東京空襲で亡くなった都民は十万人。
それでは生き残った人はどうしたか。
行き場がなくて東京を離れられなかった人もいるだろう。
だが、百合の父親はそうじゃない。
彼の郷里は広島だった。
当時の広島には第五師団司令部をはじめとする名だたる軍事施設がひしめいていたが、B29は上空を素通りするばかり。
なぜか、空襲とは無縁だった。
傷と病が癒えた黒田は陸軍少尉に任官し、内地勤務に回されていた。
南方の島々で玉砕が相次ぎ本土決戦が叫ばれる中、休みなどないに等しかったが、空いている全ての時間を使って百合を探し回っていた。
河島家の人間が広島の親戚宅に身を寄せていることを教えてくれたのは、東京の陸軍第三病院に内科医として勤務している、かつての書生仲間の山木だった。
南方戦線から生きて戻って来た黒田を見て、山木は無精ひげの目立つ顔をほころばせたが、河島家の話題になった途端、別人のように表情を曇らせた。
「広島は軍都だからな。だんな様には危ないと申し上げたんだ。でも、お嬢様の具合がおもわしくなくて、きちんとした病院のある街でなくては、どうしても心配だと……」
思わず相手の腕をつかんでいた。
「どういうことだ? まさか、百合さんは空襲でおけがを!?」
「違う、けがなんかじゃない」
けがの方がましだとでも言いたげな苦々しい表情を一瞬だけ見せてから、男は医者の顔を取り戻し、聞いたことのない病名を口にした。
「こうげんびょう?」
思わず眉をひそめると、ざらりと無償ひげを撫でながら、難しい顔で頷いた。
「原因不明の難病だ。子供の頃から病弱で、しょっちゅう熱が出ていたのは、そのせいだ。たぶん長くは生きられない」
あくまでも事務的であろうと努力しているが、声にはありありと動揺が現れている。
だが、そんなことは、どうでも良かった。
急いで配属先に戻り、いもしない身内の葬式をでっち上げ、三日間の休みを手に入れた。
焼け付くような夏の日。
黒田を乗せた汽車は、名古屋、大阪、神戸と空襲で焼けた街々を走り抜けたが、広島駅のはるか手前で動かなくなった。