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31.運命の落とし穴

予定より半年ほど遅れで、百合は朝鮮総督府に勤める許婚のもとに嫁いでいった。

当初、祝言は日本で挙げる計画だったが、戦況の悪化がそれを許さなかったのだ。

百合は最後まで抵抗したが、迎えに来た中古城家の人間に促され、強引に船に乗せられた。


ところがそれから三ヶ月もしないうちに、泣く泣く大陸に渡った花嫁は、婚家から送り返されてきた。

追いかけるようにして届いた手紙には、医師の診断書が同封されていた。


検査の結果、子供が生めぬ体であることが、わかったのだという。

百合の嫁ぎ先だった中古城家は、百合の家よりもはるかに家格が高かった。

あまりにひどい仕打ちに百合の父親は呆然となったが、抗議しようにも相手は遠い海の向こうだ。


屋敷に戻った百合は、崩れるように床についてしまった。

何も目に映さず、何も聞こうとしない。

じっと布団に横たわったまま、嘘で塗り固められた黒田の手紙を、宝物のように抱きしめているという。


『百合は嫁いで行く時でさえ、その手紙を手放そうとしなかった。こんなことになるのなら、たとえほんのいっときでも、君たちを夫婦にしてやれば良かった』

手紙は謝罪の言葉で結ばれていた。

だが、謝罪など、一体、何になる?


黒田が所属する第三十一師団は二週間後にインパール作戦に参加することが決まっていた。

主計見習士官である黒田の任務は、経理上の事務に加え、食料、衣服、軍需品の調達と保管、軍事施設の設営などで、大卒のエリートゆえの比較的恵まれたポストと言えた。


半年後には少尉になることも決まっている。

だが、そんなことはどうでもいい。


問題はその時まで生きていられる可能性が限りなく低いことだ。

任務上、軍のふところ事情を知る立場にある黒田には、インパール作戦が失敗に終わることが、作戦が実行に移される前からわかっていた。


「その頃の日本はジリ貧でした。ミッドウェー海戦で四隻の主力空母を全て失い、続くガダルカナルの攻防戦では世界最強と言われた航空隊が壊滅的な被害を受けた。制海権も制空権も失って、輸送船だって七割から八割がアメリカの潜水艦に沈められてしまう。そんな状況下で展開された、史上まれにみる稚拙な作戦とでも申しましょうか」


淡々と話し続ける黒田の顔からは、一切の表情が消えていた。

まるで、闇に浮かんだ能面と向き合っているようだ。

黒田の話は怪談ではないが、巨大な墓地とも言える平和公園を見下ろしながら聞く戦争話は、ある意味、怪談よりもはるかに不気味だ。


ビルマからアラカン山脈を越えてインドのインパールに侵攻し、イギリスの支配下にあるインドを独立へと導くという、壮大だが、戦略上はほとんど意味をなさない作戦は、無能な一人の司令官によって提言され、天皇直属の最高統帥機関である大本営に認可された。


作戦には三十万人もの兵士が動員されたが、用意された食料ではインパールまではとてももたない。

代わりに荷物運び兼食用として牛を連れて行けという。


富士山級の峻険が連なる山脈越えは、山肌にはりついて進む危険な道の連続で、ビルマの貧しい農家から徴発した牛のほとんどは、背負った食料ごと谷底に落ちてしまった。

それ以前に、餌となる草も生えない山の上では、牛はもちろん軍馬だって生きられない。

結局、連れてきた牛も馬も全て失って、人間だけが残った。


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