27.人間のエゴ
「で、政治家には、なれたわけ?」
「なっていたら、こんな所にはいませんよ」
それもそうだと同意すると、黒田は悲しそうに微笑んだ。
「何があったの?」
「戦争です」
何気ない調子で訊ねた俺は、男が発した生々しい言葉の感触に、ごくりとつばを飲み込んだ。
戦争と言えば、日本史や世界史の教科書ではおなじみの言葉だ。
小説やゲームの中にもごまんと出てくる。
だが、黒田が口にした戦争は、これまでに数え切れないほど見聞きしてきたそれとは、全く別のものだった。
遠い大陸で始まった戦争は、またたく間に日本国中を飲み込んだ。
経済不況を植民地政策で乗り切ろうとした日本は、自作自演で紛争を引き起こし、中国侵略を開始したわけだけど、アメリカやイギリスが中国を支援したことで、侵略戦争は長期化泥沼化していった。
昭和十五年。
黒田は旧制第一高等学校を主席で卒業し、帝国大学法学部に入学した。
そしてその翌年の二月八日に、英米の厳しい経済制裁で追い詰められた日本は、当時イギリス領だったマレー半島とハワイの真珠湾を攻撃した。
「日本陸軍の生みの親が誰なのか、ご存知ですか?」
「知るわけないだろ?」
「それもそうですね」
さらりと告げられてむっとした。
さっき、自分が口にしたのと同じ言葉だ。
負けず嫌いがむくむくと頭をもたげたが、知らないものは知らないのだから、どうしようもない。
悔しさを隠して、顎だけで先を促した。
「山県有朋という人で、吉田松陰の弟子の一人です」
「しょーいんって、あのしょーいん?」
「そう、あの松陰」
黒田自身から聞いた名前なのに、以前からの知人の名前が出たような気がして、わずかに身を乗り出した。
幕末――徳川幕府の末期だなんて大昔の話だ。
明治も昭和もはるかな過去で、戦前の日本も右に同じ。
でも、黒田の話を聞いていると、だんだんとそんな風に思えなくなってきた。
山県有朋は、吉田松陰の弟子の中では下っ端だ。
本当に革命に奔走した高弟たちはことごとく二十代の若さで亡くなっているから、徳川幕府が倒れた後の日本の舵取りをしたのは、彼らの後ろにいて、先輩連中が死に絶えた後、最終的に革命の果実を手にした小者連中だった。
黒田は遠い昔のことを、見てきたように口にする。
法学が専門だというけど、日本史だってなかなかのものだ。
黒船が浦和にやってきて日本に開国を迫った時、当時の日本人は幕府が外国船を追い払うと信じて疑わなかった。
けれども時の為政者は、恫喝に負けて国を開いてしまった。
そもそも幕末の革命は、外国の侵略から日本を守るために、天皇を中心とした新しい国を作るために始まったものだった。
それなのに、明治の初めから太平洋戦争でこてんぱんにやられるまで、日本は侵略戦争にあけくれた。
人間のエゴだと黒田は言う。
人間のエゴがこの世の地獄を作り出し、いもしない神を作り出すのだと。
「愛国心なんてものは、自然に生まれてくるものでしょう? それを無理やり押し付けて、国のために死ねと言う。大した考えもなく戦争を起こした上、国のために戦って死ねば、靖国神社に祀られて神になれるだなんて……」
はっと笑って、唇をかみしめた。
すっと細められた切れ長の目は、闇以外の何かを見つめている。
薄ら寒い思いで、俺は背後を振り返った。
公園の中ほどで平和の火が燃え続けている。
夜の中に浮かび上がる炎は、きれいというより、不気味だった。